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タグ:長沢芦雪(長澤蘆雪) ( 37 ) タグの人気記事

カタツムリの「書」? (芦雪)

長沢芦雪 筆 蝸牛(カタツムリ)図 紙本彩色肉筆 27.6×122 19011
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カタツムリが二匹描かれている、という事に違いはないのですが、
画としての主役となると、カタツムリの本体よりも、むしろ・・・・。



落款は、印象だけでなく、署名もされているのですが、不明瞭なので、見過ごされそうです。

【上の画の落款署名を拡大した画像】
(但し右画像は、筆跡比較のため色調調整してみたものです)
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この署名の文字(上の左側の拡大画像)の色が暗くて不明瞭(背景の地色に近く見える)なのは、使われた絵の具に、変色し易い成分が含まれていて、(意図的または保存環境の影響かで後に)黒っぽく変色してしまった可能性も考えられます。

例えば江戸中期に尾形光琳(1658-1716)が描いた、国宝の「紅白梅図屏風」の川の部分の黒っぽさは、意図的に硫黄を使い、銀箔部分を黒く変色させていたと考えられている様ですので、研究熱心だった芦雪ならば、そんな大先輩の手法を知っていて作画効果の為に利用した可能性も考えられそうです。

また、この「平安蘆雪」と言う楷書体の署名は、芦雪が20代後期(天明年間の初期)で、まだ駆け出しだった頃の作品に見られるものと、似ている様です。


ところで、上の画と酷似の作品が、クリーブランド美術館の収蔵品の中にもあり、ネットで公開されてます。
(下に参考画像)


【参考】長沢芦雪 筆 蝸牛図 紙本彩色肉筆 40.6×114.3
(Cleveland Museum蔵)
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この(クリーブランド美術館の)画では、落款署名の金色の文字には、全く変色した様子が見られません。


作品の寸法や縦横比率が異なりますし、署名に使った絵の具(金泥など)の調合が幾らか異なる様ですが、書体や背景地色などの要素では、双方共によく似た雰囲気が感じられます。
それに、二つの画でのカタツムリ部分は、形や塗り分け方が極めてよく似ていますので、その部分に関してだけは、同じ下絵(二種類一組の同じ型紙を使い分けて)で描かれたものの様です。
おそらく、これら二つの画は、極めて近い時期(天明前期?)に制作されたものと考えられます。

芦雪は他の作品を見ても、自身の署名には、それなりの拘りを持って使い分けていた様ですので、場合によっては、文字が目立ち過ぎて浮く事を懸念して、目立たぬ様に(「隠し落款」風に?)バランスの調整を試みたという可能性が考えられます。

ちなみに、カタツムリの通った軌跡の部分には、(おそらくどちらの画にも)絵の具として、ニカワに解いた白雲母(?)の粉がラメの様に使われていて、暗い背景の地色とも相まって、カタツムリが分泌した粘着物に似せて見せる表現を試みたものと思われます。

【軌跡部分の拡大画像】
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芦雪は双方の画で、軌跡のうねり具合の趣に拘っていた様で、意図的に雰囲気を変えてみたものと思われます。
(あたかも、前衛的な「書」を試みたかの様に)



芦雪の描いた、他の似た作例、と言う意味では、ナメクジの図でも軌跡(足跡?)の試みが見られます。

そのナメクジ図は、草書体の署名の特徴から、寛政年間後期に制作したものと思われます。
芦雪の最晩年に近い時期と言う事もあり、手慣れていた為にか、型紙(下絵)は使わず、淡墨と淡彩だけで、一気に描いた様です。
白地の紙にですが、ナメクジの単純な形と薄い墨色の軌跡で、「書」の雰囲気は強調されています。

【日本の『前衛書』の先駆者!】
これらの画(前衛的な「書」)には、当時奇抜だったと思われる画題や画法に挑戦した、芦雪の「遊び心」の「軌跡」が伺えて、とても面白い作品群だと思います。















※昔の(温暖化が進む前の)日本には少なかったのでしょうが、ナメクジやカタツムリの体内および分泌する粘液には、近年海外から入って来る様になった「広東住血線虫(主にネズミが媒介)」や「ロイコクロリディウム」などの寄生虫が、潜んでいる事もあるそうです。

それらの寄生虫が、人の口から体内に入ってしまった場合、脳や脊髄にまで達すると、死亡する例も少なくないそうですので、触れた手や、分泌粘液の付着した生の野菜などは、よく洗わずに口にする事のない様に注意しましょう。
当然、カタツムリやナメクジ以外の生き物であっても、食物連鎖と言う観点で見れば、人が生のまま口にすれば、感染する可能性があると考えられます

今後は子供たちも含めて、野外で活動したら、必ず手を洗うと言う習慣の徹底が、強く求められそうです。



カタツムリに罪は無いのに・・・


by Ru_p | 2019-05-04 20:19 | アート・コレクション | Comments(0)

虎も、猫並み

長沢芦雪 筆 四睡図 絹本淡彩色 68.7×32.2 19004
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これは「四睡図(しずいず)」と呼ばれ、禅で得られる境地と関連の深い、古い中国の仏教伝説を基にした画で、左から拾得・虎・豊干・寒山、の四者が描かれている様です。

凶暴で怖ろしい(はずの)虎ですが、あたかも飼い慣らされた猫の様に扱われる事への、見る側の驚きを狙った画題なのでしょうが、何やら深そうな『禅』の精神性よりも、無邪気そうに眠っているモデルたちの表情が、何とも可愛らしく、大好きな楽しい画です。




古くから多くの絵師たちが、この「四睡図」の画題を描き残していて、芦雪も何点か描いていた様です。

ネットで検索では、下の様な作品も見付かりした。

これらの画を見ていると、芦雪が虎を猫として見ていた事が、よく解ります。








by Ru_p | 2019-05-04 20:17 | アート・コレクション | Comments(0)

『虎図』のモデル? (芦雪)

長沢芦雪筆 見返り猫 絹本  37.5×90.5 18028
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(毛繕いする猫の、顔の拡大)



e0259194_08552672.jpgカメラ目線ならぬ絵師目線。
いかにも鼠を良く捕りそうで、気儘なオスの雰囲気。

丹念に毛繕いをしていますので、雲や湿気を感じて、天候の崩れを予感していたのでしょう。

ご近所で顔馴染み野良君だったのかも知れませんね。

街中で暮らしていても、野生の本能を強かに失わない、こんな猫達が、当時は虎図のモデルに見立てられていたのかも知れません。

この画には、型通りではなく、見たまま感じたままを描く、という写生の意思が感じられます。
ヒゲの曲がり具合や、瞳の形、毛皮の陰影まで、猫の生態が実に良く捕らえられていますし、対象と真摯に向き合い観察して来たそれまでの体験も、大きく参考となっていたのでしょう。




芦雪は似た毛並みの猫の画を何枚か残しているようなので、それらは近い時期(野良猫ならば寿命はおそらく数年なので)の作品なのかも知れません。
(「蘆雪」の落款の書体と印章を見ると、応挙の代理として南紀に赴いた天明7年;1787;34歳頃までの作品に似た物が多い様に感じます)

無量寺の襖絵の猫たちにも、近い雰囲気が感じられますが、この猫の寛いだ表情には、芦雪の心理状態も反映されていたのではないのでしょうか。









猫は、芦雪にとっても見飽きない・・・













by Ru_p | 2019-02-10 13:25 | アート・コレクション | Comments(0)

ツルだらけ (芦雪)

長沢芦雪筆_群鶴山水図 絹本 50.5×112 18001(上下を分割して表示)
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体が白くて頭の上の方だけが赤いのが、丹頂鶴(タンチョウヅル)で、体がグレーで目の周りが少し赤いのは、真鶴(マナヅル)の様です。

鶴たちが発って来た山は、伝説の理想郷とされる蓬莱産の様です。
丹頂鶴は、古い中国の画などでは、目出度い生き物として扱われて来ましたので、芦雪もこの題材を好んで数多く描いています。

主な生息地は、当時も恐らく全く別の場所(現代では、丹頂が北海道で、真名鶴は九州が、飛来・越冬地)だったでしょうし、鶴としての種類も別ですので、自然界ではこの様に仲良く混在する事は、まずないと考えられているそうです。
江戸時代の芦雪には、別の種としての認識すら無かったのかも知れません。
(例えば、円山派の虎の画では、豹を雌の虎と解釈して描いたものもありました)







by Ru_p | 2018-10-08 11:22 | アート・コレクション | Comments(0)

富士山を見なかった?(芦雪)

富岳図  長沢芦雪筆 紙本 59×120 17020

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落款の書体や、印の欠け方から、長沢芦雪(1754~1799)の晩年に近い寛政年間後期の作品の様です。


画題として縁起物を多く描いた芦雪は、富士山の画を幾つか残していますが、その多くで頭頂の角度を誇張したり、延びた裾までを描こうとしてませんし、スケール感が伴わず、何処かで見た事のある様な構図が多い気がします。
他の山を見て参考にしたり、想像力を働かせてそれらしい画には見えるのですが、何かが足りません。

どうやら、先人の残した画を見る事はあっても、本物の富士の姿を間近で観察する機会は無かったのではないか(?)と、推測出来そうです。

芦雪が住んでいた京都から、東海道をある程度東へ下って(現代では「上って」と表現)、富士山が見える場所まで行ったとしても、往復ではおそらく半月以上の日数が掛かってしまったでしょうから、修業時代の芦雪であれば、その時間を作る事は難しかったと考えられます。
また、それだけの時間を割いて旅をしたのであれば、当然その途中沿道の風景スケッチも多く残していた事と考えられますが、それらしい画が見られない事も不自然です。

(例えば、頑張って浜松辺りまで行っていたとして、条件さえ良ければ富士山が小さく見える事も期待出来る様ですが、裾の部分は他の山に遮られ、構図が限られる様です)
一度でも間近で見ていれば、その後の画が大きく変わっていたでしょうに、、、

見せてやりたかった!











by Ru_p | 2017-10-28 13:27 | アート・コレクション | Comments(0)

恋する・・・? (芦雪)

①左幅:虎図 長沢芦雪筆
 紙本淡彩色 17018 44.4×120.1
②右幅:龍図 長沢芦雪筆  
紙本淡彩色17019 44.6×120.3

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『恋するふたり』 (双幅図)


【まさか?】

実際には「龍虎図」なのですが、もしも そんな「題」が付いていたとしたら、
相思相愛の間柄、と言う見立てに合点してしまうのかも知れませんよね。

上の作品での落款署名の書体や筆致を見ますと、長沢芦雪の晩年にも近い寛政年間の中期頃の作品と思われます。
その頃の芦雪ですと、幅広い層での交友が有ったでしょうから、様々な場所で「龍虎図」を見る機会があり、知識も豊富に蓄えていたと考えられます。

この画は、当たり前の先入観で見た場合、力を誇示して威嚇し合う宿敵同士を、二頭の霊獣が象徴しているかの様に見える事でしょう。
しかし、もしもそんな全ての先入観を捨て去って見る事が出来るとすれば、仲むつまじい関係同士に見立てられない事もないのでは?


(芦雪の心に棲んでいた、猫の様に甘える虎と、優しく気の弱そうな龍とが、本紙紙面から滲み出て来てしまい・・?)


【そこで、疑問が 】

今までに芦雪の龍や虎を幾つか見て来て、不思議だと感じていた事があります。
表情があまりにも “恐ろしくない” 事です。

まるでペットの様に「ゆるめ」で可愛らしく描かれている作品が妙に多く目に付きます。
はみ出す様な構図による存在感や迫力は劣らないので、むしろ好まれる「ゆるさ」なのか、とも感じられます。
(他の絵師の作品でも、恐ろしくない龍虎図は、しばしば見掛けられます)

芦雪の表現力を以てすれば、更に恐ろしい表情で、もう一歩緊迫の度を高めて描く事も可能だったはずです。
龍や虎の実物など、だれも見た事は無かったはずですが、意図的にそうしたのであれば、その理由は・・


こんな事を感じたのは、私だけなのでしょうか?




【何か、見落としては?】

左幅①虎図では、顔と体の概略の形を描いた後で、ごく薄い赤を加えた墨で虎の柄の下塗りを行い、乾ききる前に中濃の墨を描き加えた様です。全体に赤茶色っぽい墨色の模様で、それが塗り残された白っぽい部分を引き立てている様にも見えます。
右幅②龍図では、龍の手や顔の概略の形を描いた後、一休みして乾燥を待ち、その後で藍を少し加えた墨で、水筆で雲をぼかしながら描いた様です。龍の腕には、虎図で使った薄い赤の墨も使って柄を描き加えた様です。(全体として青っぽい墨色と感じます)
それぞれの画を個別に眺めると、殆ど墨以外の彩色がされていないと感じる程度の薄い彩色です。

紙は、普通の唐紙(中国の黄色味の多目な竹の紙)が使われている様で、墨の滲み具合では良い味となっています。
(繊維が短かく強度が小さいので、傷みが多く、虫食い穴もあります。所々に過去に表具師が行ったと見られる修復跡があり、近くで見ると多少目立ちますが、少し離れて見れば気にならない程度です)

落款署名は意図的に、それぞれの画の外側の邪魔にならない場所を選び、添景も兼ねて画の雰囲気に合わせた書体(筆致)で、書かれています。
双幅ともに、ほぼ同じサイズで、同じ日に左右に並べた状態で、極短時間(1時間程度?)に描き終えられたものと思われます。

この龍図・虎図は「双幅図」と言って、二幅対の状態で鑑賞される事を前提に描かれた一組の画に違いありません。


【並べて壁に掛けると】

二つの「窓」の様に見えるそれぞれの画面で、はみ出す様に配された虎と龍とが、互いに縺れて渦を巻く様に干渉し合い、まるで「窓」の外には、嵐の様な別世界が存在しているのか、と錯覚しそうな気分にもなります。

この双幅龍虎図の作画意図が、小さな画面の効果的な使い方で、たとえ狭い部屋にいても、広い空間を感じさせる暗示効果を狙う構成、だったのでは無いのかと気付かされます。

陰陽の太極図(「二つ巴」に似た形)の様に見えそうな配置の時には特に、強い力の象徴である龍や虎の姿を借りて、見る者の直ぐ近くに広大な異空間が存在するかの様に感じさせられます。
はみ出た部分が大きく拡がって行く様に見せる演出効果を活かして、「禅画」(見る者が、自身の存在についても見直す為の効果?)としての意味をも持たせたかったのかも知れません。

狙いがそれならば、リアルで恐ろしい顔や姿に描くだけでは現せないとしても当然(むしろ邪魔)なのでしょうね。



【誰か、知っていた?】

「龍虎図」の本来の意味が、その辺にもあったのかも知れないと気付いた時点で、すぐにネット上での検索を試みましたが、そんな具体的で平易に説明された(合理的な)解説が見当たりません。見る者に何を訴え様とする画なのか、と言う最も重要な部分の解説が見付け難くて、淋しい事です。

元々が中国から伝えられた「龍虎図」なので、更に深い「禅」や「道教」の宇宙観との関わりが伴っていても不思議ではないのですが、かつてそんな解釈が有ったのだとしたら、その伝承はどんな理由で滞り、消えてしまったのでしょうね。




また、課題が一つ増えてしまいそう・・・













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by Ru_p | 2017-10-14 00:08 | アート・コレクション | Comments(0)

憧れだった蕪村?(芦雪)

まだ駆け出しで修業中だった長沢芦雪(1754-1799/7/10)が、「平安人物志」(近世京都文化人の名や住所を集成した出版物)天明二年版の画家部門に、掲載されたのが29歳(満28歳頃)で、彼には初めての事でした。

「平安人物志」は、芦雪の存命中では、明和五年(1768)の第一版に始まり、二版目の安永四年(1775)での改訂を経て、その天明二年版(1782年7月)で三度目の出版でした。(その次は30年も後の文化十年版で、芦雪の没後14年目)

芦雪の師匠の円山応挙は、既に画家部門の筆頭に名を連ねていましたので、芦雪にとって自分の名が平安人物志に載った(絵師として、世間から認められた)事は、さぞや嬉しい出来事だったと思われます。

天明二年版の画家部門を見ると、筆頭の応挙に次いで、伊藤若冲・与謝蕪村 等の名がありました。
その頃の与謝蕪村(1716-1784/1/17)は、芦雪の住居から約1キロの近距離に住んでいましたが、亡くなる1年半位前(数え年67歳)で、重度の下痢症を患って衰弱していた様です。

当時の芦雪にとって蕪村は同業者ですが、自分より遙かに名前の売れた先輩でしたから、老い衰えたとはいえ、その存在には大きな関心を持ち、顔や姿も当然見知っていたと考えられます。

長沢芦雪筆 空を見上げる歌人の図 紙本 29×128.5  17007
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上の画や落款の署名は、芦雪が最晩年(蕪村が没した10年以上後の寛政後期)に使っていた書体(筆致)の様です。
とすればこの画は、芦雪が見た最晩年の蕪村の姿を、何らかの理由で、十数年後に回想して描いたものかと思われます。

この画の場面は、蕪村が空を飛ぶ鳥(カラス?)に、何らかの想い(哀愁?)を感じて眺めている姿、と芦雪の目には映ったのでしょう。

場合によっては、カラスに似た、(※)八哥鳥に見えたのかも知れません。

(当時日本の絵師達は、中国の宮廷絵師として1731年から約二年間長崎に滞在した沈南蘋の、花鳥図の技法に大きく影響を受けていて、八哥鳥にも特に強い関心を持ち、飼育する人も多くいたそうです)

※ 八哥鳥:ハッカチョウ/叭叭鳥(ハハチョウ);スズメ目ムクドリ科;日本では殆ど見られませんでしたが、大陸南部に多く生息していて、中国画の題材には古くから吉祥鳥として扱われて来ました。


参考:芦雪にとって、応挙の同門で何かと因縁深かった松村呉春(1752-1811)も、後に蕪村を回想して、没後18年目の命日の為に、肖像画を描き残しています。  
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呉春筆 蕪村画像 享和元年(1801)
(MIHO MUSEUM 監修の展示会画集より)


蕪村存命中最後の十年間、呉春は画と俳諧で蕪村の弟子でしたし、その最期も看取っていました。




下の画は、落款の署名と印象から、芦雪が晩年の蕪村を見かけたのと近い頃に描いたと思われる八哥鳥の図です。
この画には、沈南蘋(中国清時代の宮廷画家)の画を基にした摸写という意味の「倣南蘋筆意」の文字が記されています。

写真も印刷も普及していない江戸時代以前の日本では、必ずしも絵師にオリジナリティーが求められず、摸写であっても価値を評価される時代でした。(仏画の場合などは、当然全てが仏典からの引用や複写でしたしので、その様な文化的背景もあったからでしょうか)
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長沢芦雪筆 岩上の八哥鳥図 「倣陳南蘋筆意」 紙本 24.3×88.6 17012

天明年間の初め頃(又はその前)の若描きで、文字や描線に、よく言えば初々しさはありますが、どことなく稚拙で、まだ芦雪らしい自信や勢いが感じられません。

その頃の多くの日本の絵師達と同様に、芦雪も練習のために中国の画(として沈南蘋の八哥鳥)を写したのでしょうが、虎図と同様で実物を見る機会が殆どない為、想像に頼った解釈で描かざるを得ない面があったのかも知れません。

この八哥鳥図での、羽の白っぽい色の部分の表現は、墨をわざと塗り残した様な描写で、蕪村の晩年の「鳶・鴉図(重文)」の雪の部分の描写(塗り残しの技法)に多少似ている様にも見えます。また、鳥の表情は妙に『アニメチック』(で擬人化されたかの様)に感じられます。
場合によっては、若く未熟だった芦雪なりに、蕪村の作品から、何らかの影響を受けて描いていたのかも知れません。



芦雪には、実在の生き物を描いたと思われる作品でも(十分観察しているはずなのに)、あたかも人の様に感情を持つ(?)のかと感じられる画が多々あり、そこが魅力でもあります。

この芦雪や蕪村(と更に仙厓も)の描く生き物には、「カワイイ」と感じてしまう画が多く、個人的に大好きな絵師たちです。
(彼らの個性や人柄からなのかも知れませんが、生き物への優しさ・慈しみが感じられ、癒やされます)






























by Ru_p | 2017-10-01 06:41 | アート・コレクション | Comments(0)

大文字焼き?(芦雪)

大文字送り火の図 長沢芦雪筆(蘆雪写)     17011  紙本:48×111

年中行事で、盆送りの風景(「夏の風物詩」)の様です。
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画の右上部分には、山の中腹で、大の字形に配した薪(火床)に、松明で上方から順次点火している様子が描かれています。
(京都では歴史的背景もあり「大文字焼き」という呼び方は嫌われているそうです )

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盆送りは旧暦7月中旬、夕刻に行われていた行事なので、全体に暗く描かれていますが、現代の大文字送り(毎年8月16日20時に点火)よりは、少し早い時刻の様です。

盆の送り火での薪は、一般的には、すぐに火が点き、すぐに燃え尽きる麻がらが燃やされています。この画の場合でも、細く真っ直ぐな(麻がらの様に見える)薪が火床毎に積まれている様です。画だけでは厳密な材質の判別は出来ませんが、予め乾燥させておいた薪を、参加者達が分担して持ち寄り設置したのでしょう(現代の京都五山の送り火では、もう少し太い材の護摩木が使われているので、その分で燃焼の時間が延びそう )。

高い所の炎と煙は、強い風(南から?)に煽られたらしく、殆ど水平に棚引いて見えますので、火事が心配になる勢いなのですが、この後にはきっと参加者達によって、確実に残り火の始末が行われていたのでしょう。

描かれている人物は、何れも屈強そうな男ばかりで、数えてみると41人。髪型や衣服、それに表情から、近隣に住む顔見知りの仲間同士の様です(中には裸足で参加している人もいます)。
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【長沢蘆雪の、若い頃の画?】

更に一人づつを見比べると、体型・姿勢・顔つき・服装・持ち物など、執拗な観察に基づき、意図的に「描き分け」を試みた(極端なほど別々の個性を強調)とも感じ取れます。

登場人物の表現方法では、職業絵師(後年の蘆雪の場合にも)であれば、主要な人物の表情には特に重点を置き、そうでもない存在には味付けを省略する表現が多いのですが、この画の場合には、雲や樹木などと省略に使えそうな要素が多いのに、それ等を要領よく使おうとする逃げが見えません。ある意味では、敢えて「十人十色」又は「百人百様」への描き分け表現に挑戦した、かの様です(師匠の指導だったのか?)。

ここでの、人物を妥協せずに描き込みきろうとする姿勢には、まるで師(応挙)の作品で「七難七福図巻(1768年制作:重要文化財)」などにも見られる様な生真面目なまでの拘り(後年の蘆雪なら、もっと気楽そうな・・)が感じられます。

長沢蘆雪(1754~1799)の落款で、楷書での署名の例は、主に天明年間の頃(二十代半ばから三十代始め頃まで)に使われていたのですが、ここの署名には、その最も初期の作品として知られる「東山名所風俗図(1778年制作)」にも近い雰囲気(真摯なぎごちなさ)が感じられます。

また、この画の本紙に使われている紙ですが、きわめて薄くて繊維の短い紙(画宣紙?)で、小さく半端なサイズの紙が十数枚継ぎ合わされ、裏打ちで整えた状態にして使われている様です。それも、比較的不器用そうな継ぎ跡なので、場合によっては、絵師として世間に認められる前の蘆雪(二十代半ば頃?)が、自から準備を試みた、貧しい修業時代の画材だったのかも知れません。
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(用紙の継ぎ目部分が粗雑;明暗を調整して拡大)




修業時代の蘆雪が通っていた京都四条の師(応挙)の住まいは、大文字の送りが行われた京都東山の如意ヶ嶽にも近いので、その山で描いた下絵を基に、この画が描かれたのかも知れないと考えれば、つじつまは合いそうです。




ところで、この画(掛け軸)の軸先には、仏表具の時に使われる金物(金属製品)が付いていますので、仏画として表具に仕立てられた様です。
盆送りは、仏教関連の宗教行事(現在では、地元の保存会の方々等によって運営されている様ですが)でもあるので、仏画として扱われていたとしても、不自然とは言えないでしょう。
ただ、画(本紙)の周辺部を二分(約6ミリ)以上の幅で(裂が)覆い隠す様な、粗雑な表装が行われているので、長い間所有者にあまり関心(興味)を持たれて来なかった可能性はあります。
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なぜ仏表具の軸先に金物が使われる様になったのか、と言うことの合理的な説明は殆ど語られていない様ですが、牙や骨などの殺生(宗派に依っては、戒律で禁ずる)で得られる材料を避ける(表具師の拡大解釈?)ためだったのかもしれません。



実際にこの画を蘆雪が描いたという客観的な立証は、今更誰にも出来ないのですが、この様に真面目に写された画なので、少なくとも江戸中期の風俗を知る上での希少な資料(大文字送り関する歴史的資料は、残念なことに、多くは残ってないのだそうです)とは言えるでしょう。




一般的に、有名な絵描きの初期の作品には、「若描き」と呼ばれて、あまり高くは評価をされない傾向がありますが、長沢蘆雪の場合には、殆どの作品で制作時期の情報が残されていないことから、逆にその謎への関心が高まります。
(物理的年代測定はしていませんし、その予定もありませんが、個人的には、見飽きない好きな画です)











by Ru_p | 2017-07-21 20:05 | アート・コレクション | Comments(0)

伝説の仙人 (芦雪の1)

陳楠 洪流濟行図 長沢芦雪筆  16006 56*130 紙本肉筆
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「陳楠」は、伝説上の『仙人』達(約500人)を集めて紹介した『有象列仙全伝(校次:世貞輯/1526~1590)』と言う中国の本(全九巻の八巻目)に図像と共に載っています。
その図像は上の画とよく似ているので、おそらく芦雪は、そんな資料を見る機会があったと言う事なのでしょう。

これと似た資料が他にも幾つか世に存在するのですが、長い間に様々に編集が繰り返されたらしく、微妙に記述が異なるので、何れのどの部分が大元の資料に近かったのか、今では判断が難しいところです。

その『有象列仙全伝』の原文から、陳楠に関する部分を
下に抜き出して(異字体は修正)みました。

陳楠字南木号翠虚。
傳羅人。
以盤櫳箍桶為生。
後得太乙刀圭金丹法於毘陵禅師。
得景霄大雷琅書於黎姥山神人。
能以符水捻土愈病。
時人呼之為沈泥九。
時披髪日行四五百里。
鶉衣百結塵垢満身。
善食犬肉終日爛酔。
嘗之蒼梧遇郡禱旱。
翠虚執鉄鞭下漳駆龍須曳雷雨交作過三山大義渡。
洪流舟不敢行。
翠虚浮笠而濟。
行欽管道中遇群盗拉殺之瘞三日盗散復甦遊長沙。
衝帥節。
執拘送邕州獄數夕回長沙矣中夜坐或倉水銀。
越宿成白金常自言(関?)世四十五。
然人傳有四世見之者。
以丹法授白玉蟾寧宗嘉定間。
於漳入水而解去當日有葛縣尉在潭州寧郷見之。
翠虚與尉父相能。
因寄書潮州達其父計之即水解日。
巳復與其父相見。



【これを勝手に解釈してみますと】

陳楠は、字を南木・号を翠虚、及び泥丸(原文中「泥九」ですが編纂読取りミス?)と呼ばれていた。
傳羅県(今の広東省恵州市;ホンコンの少し北の辺り)の人。
盤(さら)・檻(おり)・箍(たが)・桶(おけ)を作る事が生業だった。
異なる不思議な術を伝授される機会があり、それぞれ会得していた。
その能力で、泥を扱い病人を癒やした事で、泥丸(九?)とも呼ばれていた。
髪を振り乱し、時には日に百数十㎞(中国の一里は約400mらしいので)も走る事があった。
酷いボロ着と垢まみれに汚れた身なりでいた。
犬の肉をよく食べ、終日泥酔していた。
干ばつで人々が苦しんでいる時には池に入り、鉄ので龍を連れだし、雷雲を起こさせ雨を降らせて解決させた。
洪水となり、舟が進めなくても、陳楠は浮かせた笠に乗り渡る事ができた。
旅先で盗賊に襲われ、死んでしまっても、数日後には元気に甦ってみせた。
(以下省略)

つまりは、不老不死と言われた人の荒唐無稽なお話。

ここでの、
傳羅;この地名は紀元前214年に設置され、紀元後280年(太康元年)に博羅県と改称されています。
鉄鞭;製鉄は、前600年ころから始まり、前50年ころからは武器も鉄製となり、後漢(8~265)の時代には、鋼も量産されていたそうです。

以上の事から,
「陳楠」が実在したのならば、前1世紀~後3世紀頃の人物だった、と推測出来そうです。
(二千年近くも昔ですと、まともな資料が残ってなくて当然でしょうね)
超人の存在への期待と憧れから、伝承には尾ヒレが加わっている可能性が高い事でしょう。


これは、芦雪がいかにも好きそうな題材で、思い切りよい勢いのある描線で、陳楠の不気味なキャラクターが見事に描かれています。(円山応挙も似た画題の作品を残していましたね;「波上群仙図」;1786年製作;無量寺蔵)

当時、こんな大胆にデフォルメされた画って大衆にも好まれたのでしょうか?

まるで漫画の世界を見ているようで・・・♪






これぞ 絵 空 事




by Ru_p | 2017-06-02 18:03 | アート・コレクション | Comments(0)

月にひとり (芦雪)

長沢芦雪筆 月下に烏図 (部分) 17002 紙本 30.5*108
e0259194_12484478.jpg


円い月の手前に老木とカラスのシルエットが、墨の濃淡だけで簡潔に(迷い無く)描かれています。

カラスまでの距離は約40メートル?(標準的なカラスの体長と月の直径角との関係からの逆算にて想定)。この位の距離だと恐らく、月からの逆光のために細部まではよく見えなかった事でしょう。
(月夜って、月面が7パーセント程度の反射率で太陽光を反射するらしく、けっこう明るい)

細かく再現する必要も無い叙情的な景色、観る者の想像力で様々な世界に見える画だと思います。


以前にも触れましたが、カラスは意外にも生涯完全な一夫一婦、なのだそうです。
独り、手の届かない月を観入るこのカラスの後ろ姿から、失ったもう一羽の事を淋しく想い浮かべて沈んでいる、と芦雪には見えたのかも知れません。

動物や子供が大好きだった長沢芦雪は、一男二女の子供たちを四十近くなってから授かっていたのに、立て続けに病で失ってしまいました。(この頃は満五歳まで育たない子供が大半だった様です;徳川将軍家などの系図記録をも参考とした場合)


(あくまでも自遊な想像ですが)
芦雪にとって、このカラスの姿が 彼自身と重なって見えたのかも知れない。
と思えて来ませんか?







芦雪は、他にも月を題材にした画を幾つか残していて、



長沢芦雪筆 朧月夜山水図  18026 絹本 29.8*93.4
e0259194_13300719.jpg




この画は、署名のスタイルから、芦雪の晩年(40を過ぎた頃)の画かと思われますが、やはり淋しげな・・・











by Ru_p | 2017-04-16 19:38 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


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