フォント

タグ:肉筆浮世絵 ( 22 ) タグの人気記事

夏の風物詩 (鳥文齋栄之)

鳥文齋栄之筆 納涼美人図 絹本(44×33)16022 
e0259194_14243088.jpg
江戸の蒸し暑い夏の郭で、花瓶を置いた文机にもたれかかり、団扇を持って、二匹の蝶の戯れを眺めて寛ぐ遊女の姿。
ここに描かれた切り花が朝顔ですし、蝶も飛んでいるので、昼間で午前中くらいの風景なのでしょう。

江戸時代には朝顔ブームが二度あり、その第一次のブーム(1804~1830)が、鳥文齋栄之(ちょうぶんさいえいし:1756-1829)の肉筆画制作の活動時期とほぼ重なっていましたので、その頃の情景ですね。

【参考】
千葉市美術館の収蔵品検索システムにも、似たテーマの画が見付かりますので、栄之の定番だった様です。
e0259194_10401999.jpg








[PR]
by Ru_p | 2018-08-01 07:26 | アート・コレクション | Comments(0)

江戸でもダンス(の2)

①舞美人図  岩佐勝重筆 絹本肉筆 39×31.6 17015
e0259194_23180535.jpg
女性が鼓と踊りで、若い男性をもてなしている、江戸初期の花街の情景なのでしょう。
あどけなさの残る、若い男性の視線は、片袖を脱ぎつつ踊る、お気に入りの女性に釘付け・・


画の作者は、落款印「勝重」から、岩佐又兵衛(1578-1650)の嫡子の岩佐勝重(1613-1673)かと思われます。

この親子は、筆致が非常に似ている事や、無落款の作品が多い事など、謎が多かったので(時代が古く、資料が少ない:同じ工房で活動していたり、「御用絵師」と言う立場もあり)、同一人物の作と見る説もあったそうです。
(物理的な年代測定は可能でも、厳密な作者の特定は今でも無理です)


画は描線も衣装の柄も、活き活きとして繊細、その場の会話までが聞こえて来そうです。

岩佐勝重の生きた時代の作品ですと場所は、2代目吉野太夫をも輩した京都六条三筋町辺りの遊郭でしょうか、人々が大らかだった頃の風情が感じられます。






②俳画 与謝蕪村筆 紙本淡彩色 26×71  17003
e0259194_23241161.jpg
画賛には、蕪村の「四五人に 月落ちかかる おどりかな」の句。
(自画賛の俳画ですので、俳句と画は、リンクしているはず)

蕪村は、これと同じテーマの俳画作品を、他にも複数(仮名遣いや構図はそれぞれ異なる)残していますが、何れも気負いのない文字や画で、自然体の人柄が感じられます。(どれも画が、かわいい)




真夏の盆踊り。
何かに憑かれたかの様に踊り続け、最後に残った四~五人。
始めは上にあった月も、すっかり低く傾いてしまっている。
そんな情景が思い浮かびます。

この時代には、BGM(笛太鼓の演奏)も、夜通し付き合ってくれていたのでしょうか。







昔も今も、踊り( ≒ ダンス )には、踊る側はもちろん、見る側をも引き込む魅力(魔力?)がある様です。









[PR]
by Ru_p | 2017-09-26 00:06 | アート・コレクション | Comments(0)

歌麿に 三代目・・・?

榮文筆  柳下美人図 (南木山人画賛)  15014 39x89
e0259194_1331711.jpg

この画の作者 栄文(えいぶん)は、「栄文歌麿」または「別人歌麿」とも呼ばれていましたが、世界的に有名だった(初代の)喜多川歌麿とは、別の人です。

作例は少なくて、文化年間〈1804~1818年〉に描かれた僅か数点の肉筆浮世絵が知られていただけだったそうです。
(・・・となると、この画は新発見なのかも知れません)

筆致は初代歌麿や二代目歌麿とは幾らか異なります(この画の場合には、当初の師匠だった鳥文齋栄之の影響と思われる「品格」が幾らか感じられます)。
描いた美人画のレベルは高く、歌麿にも迫るとの評判もあったそうです。ただ、作品の絶対数が少なかった事もあり、必ずしも、十分な人気は得られなかった様で、彼の記録は殆ど残っていません。(もしも、木版画を手掛けるなど、上手に宣伝活動をしていれば、更に高い評価も得られていたことでしょうに)

作画時期が特定出来ないのですが、彼の作品の中には、落款に「歌麿」(又はそれに類した)の署名をした謎の作品が、何点かあるようです。
初代歌麿をそっくりコピーをした訳ではなく、独自の印章を使うなどの自己主張も見られますので、必ずしも真剣に「喜多川歌麿」の偽物作品を描こうとしたとは、不自然で考えにくいのです。
初代歌麿(~1806)又は二代目歌麿と何らかの接点が有り、その門人となったとか、三代目を襲名していたと考えれば納得出来そうなのですが、残念ながらそれを裏付ける資料は見付かっていません。

この人物の筆と思われる画の落款には、「栄文筆」「一掬斎(いっきくさい)栄文」「栄文菅原利信筆」「鳥文斎一流 一掬斎栄文筆」「歌麿筆」「喜多川主人筆」等と、無署名も含めて複数の例が有ります。
ところが、それらの印章に関しては「自成弌家」「拂袖」等の共通する物が使い回される例が見られたので、同一人物の作と判断(推定)されている様です。

資料不足の為にか、あまり掘り下げた研究はされていなかったのかも知れません。
e0259194_15174763.jpg



画像の見られる作品例では、

二女図」(東京国立博物館所蔵)には、上の画の落款と酷似の「自成弌家」の印章が見られますが、署名は無い様です。
ちろり美人図」(熊本県立美術館所蔵)には、落款に「喜多川主人哥麿」と記し、「拂袖」の朱文長方印を捺してある様です。
また、
「肉筆浮世絵 美人画集成Ⅰ」(毎日新聞社刊) にも下記3例の画像掲載があります。
「矢場の女図」  (署名:哥麿筆)
「夕涼み美人図」 (署名:喜多川主人筆)
「若衆と美人図」 (署名:無署名)



栄文は当初、喜多川歌麿とは、人気を二分するライバル関係にあった鳥文斎栄之の門人だったそうです。その栄之の門人達の多くが「鳥〇齋」と言う様に名の頭に「鳥」の文字を置いていた中で、一掬斎(「一掬」には「少しの期間」の意味が有るらしい)と言う変わった字を落款頭に使っていました。
落款での「一掬斎」や「自成弌家」の印章は、例えば、栄之とは決別を果たした事を意味するものだったのでしょうか?
「歌麿筆」や「喜多川主人筆」などと、敢えて波風を立てる様に挑戦的に、師匠のライバルだった一派の名前を使ったのは、三代目を引き継いだ事を、主張したかったからでしょうか?


なやましくも、永遠の謎に・・・・









[PR]
by Ru_p | 2015-08-29 22:37 | アート・コレクション | Comments(0)

御神木だった「首尾の松」

鳥文齋栄之筆 「首尾の松」(絹本肉筆浮世絵/太田蜀山人画賛) 15005 29x83
e0259194_0102887.jpg

紅い楓と、東の空に浮かぶ月、群れで飛ぶ雁とを併せて、静かに暮れるもの寂しい秋の情景を演出している様に見えます。(この月ですと、ほぼ満月で雲が少し掛かった状況かと思われます)

画賛には
夕汐に 月の桂の 棹さして さてよい首尾の 松をみるかな
とありますので、これは「首尾の松」と呼ばれて浅草の新吉原にもほど近い江戸名所の画だった様です。(画賛にある「月の桂」は、中国の古い伝説からの引用で、月の影又は月の光を表した言葉と思われます~「桂」と「松」との対比も狙って・・)

画の作者は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし/本名:細田時富/1756~1829年)という旗本出身の絵師(人気の浮世絵師)の様です。
上の画賛を書き加えたのは、御家人でありながら狂歌師でもあり、非常に多くの書画に画賛を書き加えて残した人として有名な蜀山人(本名:大田 南畝/1749~1823年の別号)の様で、栄之とは交友が深かった様です。
蜀山人が、文化5年(西暦1808年)頃、「首尾の松に月出て舟ある画」にこれとほほ同じ文の画賛を書いたという記録(出典:千紅万紫)が残されていますので、それがこの画の事である可能性が高そうです。
西暦1808年の少し前(※)に描かれたことになれば、葛飾北斎が狂歌絵本「絵本隅田川両岸一覧」の中で描いている「首尾松の鉤船」の図が、ほぼ同じ頃の同じ場所の風景の様です。また、広重の「名所江戸百景」の木版画は、それよりも約50年後の同じ場所の風景という事になりそうです。


ここの主役となる松は「御蔵神木首尾の松」とも呼ばれていたそうですので、画面左下に見える小さな屋根が、その神木を祀った祠の様です。

首尾の松は、安永年間の強風災害のために、倒れてしまい、その後幾度も手当が試みられたそうです。画をよく見ると、確かに傾き過ぎて懸崖で川に跳ね出している様に見えますので、その話とも一致しています。
支柱の内で古くて朽ちたような何本かは短く描かれていますので、霊験が有ると信じられていたこの松は、災害の後も長い間人々に大切に守られ続けていたのだと思われます。

安永9年8月25日(西暦1779年10月4日)、日本各地に疲害をもたらした台風が、この辺も通った様で、神田川も氾濫・浸水したという記録が残っているそうです。
当時の松は、残念ながら江戸末期の安政年間(1854~1859)には枯れてしまっていたそうで、現在見られる松は後継の何代目かになる別物なのだそうです。
ここの場所は、現在の住居表示では台東区蔵前1丁目の隅田川西岸付近に当たり、上部に蔵前橋が掛かっていますが、江戸時代末期の「江戸切絵図」と見比べると、当時幕府の米倉庫「御蔵」があり、そこに隅田川から運搬舟を引き込む為の堀が8本あり、その4~5番目の間の突堤の先に、この松が位置していた様です。
ちなみに、川の対岸右側に見える施設は、その当時は、丹後宮津藩の下屋敷(現在は旧安田庭園:藩主は松平姓を与えられて名乗りましたが、元は本条氏で、地名の『本所』の語源なのだそうです)の辺りですので、その一部かとも思われます(そこの右には、『本所の七不思議』の「椎の木屋敷」とも呼ばれた名所の肥前国平戸藩松浦家下屋敷もあった様です)。


当時ここの少し上流には「御蔵(おくら)の渡し」とも呼ばれた渡し場もあり、舟で新吉原(この川の上流で画面左側方向に約2キロ)へ向かう客達の多くがここを通って目印としていたので、蜀山人の画賛にも有る様に、その夜の好い首尾の結末を見ることをこの御神木に掛けて祈願していたことでしょう。
松の向こうの川面に浮かぶ猪牙舟(ちょきぶね)にはそんな客達が乗っていたのかも知れませんね。

ということは、これって「神仏画」でもあり・・??



祠の屋根の上の千木(ちぎ;神社建築の屋根のにある部材)の先端部分を拡大すると、何となく「内削ぎ」と呼ばれる水平の切断形に描かれている様に見えます。
そうだとすると、ここの祠は「女神」を祀ったものになりそうです。(男神の祠の屋根にある千木は、先端の切断面が垂直の向き)
e0259194_2482090.jpg
果たして、吉原での「好い首尾」を祈願するのに、女性の神様の方がご利益があったということなのでしょうか?



まさか、そんな身勝手な願い事が重荷になって、枯れてしまった・・・?








※栄之は寛政12年(1800年)に、御物に収められた作品の中で、「隅田川図巻」として、この首尾の松をも含めた風景画を描いていたそうで、それが栄之の同類作の中では最も初期の作品と考えられているそうです。(出光コレクション「肉筆浮世絵」解説文より)。その説に依れば、上の画の制作時期は、1801~(1808)年の制作だった様です。
ちなみに、上の画とほぼ同じ構図構成の画は「バーク・コレクション」にもあり、同じく蜀山人の画賛が書かれていますが、微妙に風情が異なるのが面白いです。


ところで、それ等を描くために使った下絵の制作年代(すなわち、この画の情景が実際に見られた時期)は何時だったのでしょうね?。

長い歴史を持つ松なので、同じテーマの画は他の浮世絵作者にも多いのですが、それぞれの制作年代の違いによって、松の表情や背景の様子が微妙に違っていますので。








[PR]
by Ru_p | 2015-08-18 22:45 | アート・コレクション | Comments(0)

江戸の餅つき・・(北斎)



餅つきの図 「前北斎為一筆」(絹本 肉筆画)  15009 49.7x40.6 
e0259194_06061544.jpg
(クリックで拡大)



前北斎為一(まえほくさいいいつ)と言う名は、葛飾北斎(1760~1849年)の60代始めから70代半ばに使われていた画号なので、真筆ならば今から二百年近く前の肉筆浮世絵ということになりそうです。
(その頃既に「北斎」と言う号は、弟子に譲ってしまっていたので、「北斎だったが、今は為一」と言う、いい加減な理由で命名し、使われていた画号 / 時代が経ち過ぎたので、たとへ真筆であっても、厳密な意味で、その事を証明をする手段は、もうありません:古い物全ての宿命)

餅の絡んだ杵を力の限りに振り上げ、極まった瞬間らしく、その周りの3人の仕種や表情が、実に活き活きと描かれています。多くの木版画絵本で人気挿絵師として好評を博した北斎らしい画力と構成力(※1)を感じます。

江戸の新春の風俗となる餅つきが画題なのですが、各登場人物(若い衆たち)を連携させる様な構図がバランス良く組み立てられ、全体として躍動感と見応えを感じます。


他の北斎の画でも、雰囲気や存在感を強調する為に重要な役処には、非常に極端な体勢(無理な姿勢)をとらせる事があり、見ている側は楽しいのですが、「まさか、可能だろうか・・・」と感じつつも、知らず知らずに引き込まれていることがよくあります。

腰 折れそっ !!
e0259194_2102069.jpg

例えば、美人画で首を極端に前傾させるなど、人や動物の姿勢の誇張・風景画では遠近感や大きさや勾配などの誇張、 と絶妙で巧みに「誇張」を操ることが得意だったようです。
(やはり、天才・・・!)


(※1)
北斎が50代の頃に、描き貯めた下絵を基に編纂された万民向けの木版画絵手本誌の『北斎漫画』(十二編)の中に、下の様に似た画を見つけました。
(見開き頁左右の画「餅ハ餅屋」を結合して表示:下の木版画の原稿は、上の肉筆浮世絵よりも10年以上前に描かれたことになりそうなのですが、比べると進化の跡?が見られ・・・ 、設定や人物の数が幾分変わっています;北斎の性格ならば、未熟だった頃の似た画と全く同じ構成で描くことは、自在に発想出来るという自負やプライドからも、避けたかったのではないかと思われますが、木版の下絵の方は版が彫られる時に一緒に削られるので消滅:木版画の宿命)
e0259194_0303624.jpg











肉筆画の方では、描線や添景が洗練(無駄なく簡略化)され、楽しく滑稽な雰囲気はより強調されたよう・・
鑑賞者の視線が自然に誘導される先を辿ると、ループとなって循環させられる様な構成のトリックもある?(一つの画面なのに、人物毎に目で追って注視すると、自然に次の人物に視線が誘導され、コマの無いマンガや絵巻物の場面を見る様ですし、さらには餅をつくリズム感や声まで感じられる様で、楽しませてくれる画です) 

 笑顔が幸せそう・・・






画賛の「雛麻呂」は、(初代 弥生庵)雛丸と呼ばれた狂歌師(京都の二条家より「弥生庵」の号を受けた幕臣で、1830-1844年頃活躍していた人)の別号と思われます。





[PR]
by Ru_p | 2015-06-15 00:08 | アート・コレクション | Comments(0)

化粧する武家 (江戸の風俗)

「若衆」 龍山樵夫 筆(= 狩野養長)  08045 32x70
e0259194_1525590.jpg

一見、男装の麗人にも見えますが、元服前の武家の男子の姿の様です。色白の肌・切れ長の目・体を捩るポーズは妙に艶めかしく、ある種の「美人画」の様でもあります。

江戸時代には、男社会の封建制度のしきたりの中で、性が抑圧され、その捌け口が同性に向けられる事も多かった様で、金や権力で『男色』の相手をさせられる芝居役者の「陰間」や、大名家の小姓が、その様な存在だったようです。

これを描いた絵師は、(真筆ならば)落款から狩野養長(かのう おさなが 1814-1876)かと思われます。
養長は肥後熊本に生まれ、19歳で狩野弘信の養子としなり、まもなく狩野家八代目となったのだそうです。以後幕末までは、狩野家と因縁の深い肥後細川藩のお抱え絵師として、頻繁に江戸と熊本とを往復していた様です。
落款は、養長、元象、信象、登雲堂、凌霄花齏、龍山樵夫、など多数使っていましたが、藩主細川斉護さんの命で描いた物には落款を入れられなかったので、落款が在るのは他所からの依頼などで描いた物なのだそうです。

この画のモデルさんも、何処かのお殿様のお気に入りだったのでしょうが、 
もしも、当時そんな詮索をしていたら、首が飛ん・・・・



















[PR]
by Ru_p | 2013-06-22 08:28 | アート・コレクション | Comments(0)

看病 (鳥居清経)

看病する美人の図 鳥居清経筆   08052  36x102
e0259194_19371208.jpg

江戸中期の風俗画ですが、構図や状況が興味深く、十畳以上の広い部屋(敷居・鴨居が省略されてなければ)で、床に就いたあどけない顔の病人を、布団で包み、見事な屏風(六曲一双:12面?)を建てて隙間風を除けつつ、絵でも楽しませて励まし、薬湯の湯気で部屋の温度と湿度を保ち、近しい人が付き添って顔色を見ながら手を当てていますので、この時代としては出来うる限りに手を尽くした看病の様子と言えそうです。

枕を頭の横から当てているのは、結った髪を乱さない為の配慮なのでしょう。また、体を半ば起こした姿勢は、薬湯を飲む時の誤嚥を防ぐ為の配慮なのでしょう。
屏風や着物の柄に梅の花があるので、季節は春なのでしょうが、この病人は熱でも出しているのでしょう。
顔色からは、病状が深刻そうではないので、幾らか気楽に眺めることが出来ます。

これを描いた鳥居清経は、生没年不詳らしいのですが、初代の鳥居清満に師事して、宝暦-安永(1751-1781年)の頃に作画活動をしていたとも言われています(謎の多い鳥居派の事ですし、清満の事すらあまり定かではありませんが)。
鳥居清経は、一枚物の画の作例が極めて少ないらしいので、(厳密には、もう誰も立証出来ませんが)真筆であれば希少な資料と言うことになりそうです。
鈴木春信風の美人画を描いていたと言われていますので、その点では、この画もそれらしく見えます。
それと、人物の表情には、この絵師の人柄の優しさが感じられます。

こんなテーマの画ですので、果たして客からの依頼で描かれた物なのでしょうか・・・?鳥居派の作品となれば、この人物も役者(当時のアイドル?)と言う事なのでしょうか?
見ていると、次第に想像が膨らみます。









[PR]
by Ru_p | 2013-06-18 00:43 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥居清峰)

蚊遣り美人図  二代目 鳥居清満(=初代 鳥居清峰)
 肉筆浮世絵 (岡本楼 稲岡) 31.5x78 07032
e0259194_1215431.jpg


蚊遣り(かやり)部分
e0259194_12153448.jpg


蚊の出る時季にはお馴染みのブタ型の蚊遣りですが、これが19世紀初頭(1810年頃)の江戸(浅草の新吉原)では既に使われていた、と言えそうです。

除虫菊を加工した『蚊取り線香』は、明治中期以降に『金鳥』の創始者に依って考案されたのだそうですので、まだこの頃には、松の葉などをこの中で焚いて、蚊が嫌う煙を出す為の器だった様です。

蚊遣りブタのルーツに関してweb上で検索してみますと、「推定年代 19世紀前葉~中葉」として発掘された蚊遣りブタが見付かりましたが、その形は、口が小さくて、全体に大振りで、「徳利を加工した様な形」でした。ところが、上の肉筆浮世絵を見ると、口が大きくて、現代の「蚊遣りブタ」にかなり近い形です。その時代の江戸新吉原の遊郭では、既にこの形が使われていたことが判ります。(果たして、この画は「蚊遣りブタ」の歴史資料として、最も古い物となるのでしょうか?)

今日使われている渦巻き状蚊取り線香(※)の様に、長時間の安定した燃焼を期待出来なかったでしょうから、寝る前には、蚊が忌避する煙を、この様に体や衣類に焚き込んでおく必要があったのでしょう。
「蚊取り」でなく「蚊遣り」と言われていたのも、まだ、除虫菊の無かった時代の煙では殺虫効果が弱かったからかも知れません。

豚の体を連想する形になっていたのは、寝具に火が移ることを避ける為の機能性と、陶器職人の遊び心とがもたらした必然の結果だったのではないかと推測されますが、真実はどうだったのでしょうか。

上の画の落款にある「鳥居清峯」ですが、画風などから初代鳥居清峰〈1787~1869年 :二代目鳥居清満が後に改名)と思われます。
参考: ボストン美術館のwebページ中に、酷似の画像を見付けました。そちらは木版画なのですが、図中に「青楼四季之詠 岡本屋内 稲岡」とあり、1810年の制作とのことです。人物や衣服の線や構図には共通する部分が多く、上の肉筆画と同一の絵師が同一の時期に(同一のモデルを)描いたと判断出来る作品です。
画の遊女部分の大きさは上の肉筆画の方が二倍程度と大きいのですが、背景のモチーフ(蚊帳など)での季節は設定も同じ夏です。



湯上がりの透ける単衣の着物に団扇とはお洒落ですし、7頭身以上の長身は、当時の標準的体型の女性よりも当然誇張された美女なのでしょう。

いったいどんな経緯でこの画が描かれたのでしょうか? 夢ででも、当時にタイムスリップしてみたい
          

 



                                                                                                                                                                                                           ※蚊取線香は、まだまだ使われてはいますが、マット式~ノーマット式~プッシュ式(それぞれに含まれる「ピレスロイド系」の有効成分を空気中に蒸散させるタイプ)へと進化したため、次第に消えてしまう運命なのかも知れません。 
あれに郷愁を感じる世代としては、少し寂しい気持ちも・・・・                                                               



                                                                                              
                                                                                                              ・
                                         
[PR]
by Ru_p | 2013-06-17 00:10 | アート・コレクション | Comments(0)

猿曳き (その2)

猿曳き少女図(小猿と少女の図) 無落款 07050   27x122
e0259194_12481715.jpg
e0259194_1249041.jpg

上から見下ろす可愛い小猿と、真剣そうに見上げる少女との視線のぶつかり合いに、緊張感を感じます。

髪型や服装の特徴から、江戸初~中期でしょうか、肉筆浮世絵としては、比較的早い時期の「美人画」と思われます。
(私感的には奥村政信の作品に似ていると感じます)

構図として上の余白が多過ぎとも感じられますが、江戸絵画ではこういうバランスがしばしば見受けられます。昔は床の間などに掛けて眺めたので、鑑賞者への「見せ方」を絵師が演出したとも考えられますし、用紙のサイズや表具の技術的な合理性の関係もあったと思われます。
そんな余白なので、見ていると画賛を書き込みたいという衝動も起こるのでしょう。

江戸時代には、猿と猿曳き(猿廻し・猿遣い)が見世物としては多かったでしょうが、現代は殆ど見かけなくなりました。古来の日本では猿が馬の守護神として崇められていたそうです。柳田國男によれば、昔は猿曳きは馬の医者をも兼ねている場合が多かったそうです。それ故にか、馬が少なくなった現代では猿曳きも見掛けなくなったのかも知れませんね。











[PR]
by Ru_p | 2013-06-11 00:41 | アート・コレクション | Comments(0)

猫じゃれ美人 (暁斎?)

   08054 33.2x64
e0259194_17345663.jpg

「女三の宮と猫」 と共通する構図ですが、更に一工夫加わっている様にも見えます。

赤い布にじゃれた猫に驚く女性が、少し滑稽に描かれています。
目と手の作る表情に、『写楽』の「大谷鬼次の江戸兵衛」とも似た面白さが感じられます。
「肉筆浮世絵」で江戸末から明治始め頃の作品と思われますが、筆がたっていて描線がよく活きています。


不明瞭な印影?があったので、画像処理してみますと、なんと「暁斎」。
どうりで見覚えのある(気がする)色気を感じていました。
e0259194_17324219.jpg

「最後の浮世絵師」と称された河鍋暁斎の既知の印影と酷似しているのですが、署名は無く、肉眼での判読は難しい状態です。(また、当時の弟子たちが内緒で押した可能性もあるので、厳密な真偽はいまさら・・・・?)

無落款であっても、十分に楽しく眺められます。




【参考】
暁斎さんの画集の中に、弟子で次男の河鍋暁雲さんの描いた似た構図の画を見つけましたが、よく見れば描線も顔の表情もだいぶ違っていることに気付きます。そんなところに絵師毎の個性が現れてしまうのでしょうね。
e0259194_17281827.jpg
e0259194_175343.jpg



















[PR]
by Ru_p | 2013-04-28 17:38 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

最新の記事

ツルだらけ (芦雪)
at 2018-10-08 11:22
微笑みの石仏たち(甲斐の棒道)
at 2018-08-10 19:16
夏の風物詩 (鳥文齋栄之)
at 2018-08-01 07:26
ウチョウラン属 咲きそい
at 2018-06-22 19:51
仙厓の達磨?
at 2018-05-27 14:39
ウチョウラン始まり
at 2018-05-21 15:09
白隠の禅画(の4)
at 2018-05-07 19:55
月の天女
at 2018-03-22 12:15
白隠の禅画(の3)
at 2018-03-10 17:20
富士山を見なかった?(芦雪)
at 2017-10-28 13:27
『猫』 を躾ける人? (文晁)
at 2017-10-28 10:42
恋する・・・? (芦雪)
at 2017-10-14 00:08
憧れだった蕪村?(芦雪)
at 2017-10-01 06:41
江戸でもダンス(の2)
at 2017-09-26 00:06
大文字焼き?(芦雪)
at 2017-07-21 20:05
古今集の古筆(その2:素性法師)
at 2017-06-23 20:14
伝説の仙人 (芦雪の1)
at 2017-06-02 18:03
巣作り?
at 2017-05-31 07:25
旅の 常備品
at 2017-05-06 15:46
京都で タンポポ
at 2017-05-04 10:18

記事ランキング

タグ

(35)
(22)
(21)
(14)
(13)
(13)
(12)
(12)
(10)
(8)
(7)
(7)
(7)
(6)
(6)
(6)
(6)
(6)
(5)
(5)
(5)
(5)
(5)
(5)
(5)
(4)
(4)
(4)
(4)
(4)
(4)
(4)
(4)
(4)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(3)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)
(2)

以前の記事

2018年 10月
2018年 08月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 01月
2013年 10月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月

ブログジャンル

カテゴリ

東洋蘭
にゃんこ
アート・コレクション
その他