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タグ:美人画 ( 26 ) タグの人気記事

江戸でもコスプレ?(鈴木芙蓉)

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鈴木芙蓉 筆 (見立て?)唐美人図 絹本肉筆 32.5×96 18023

鈴木芙蓉(すずき ふよう;1752-1816年)は、江戸時代中~後期の日本の文人画家で、江戸南画様式の確立に影響を与えた人物だったそうです。
信濃国(現在の長野県飯田市伊賀良)に生まれ、若くして江戸で画や儒学を学び、当時の著名な文人達との深い交流を通して互いに高め合い、後に徳島藩の御用絵師となった人だそうです。
(有名な谷文晁の『師』とも『弟子』とも言われる関係だったそうですし、当時の文人情報ネットワークの要人と言われる木村蒹葭堂とも交友関係があったそうです)

自身は、『絵師』よりも『儒者』(儒学者;得意分野を活かして)としての召し抱えを望んでいたらしく、画は職業としてではなく、『文人』の余技(達観した趣味人として;本来の『芸術家』的な表現者のあり方を求めたのか?)と言う立場で、もっと自由に、好き勝手に描き続けたかったのかとも思われます。
(その時代の「儒者」への求人は、残念ながら減る傾向にあったそうなのに、そんな生き方がカッコ良く思えたのでしょうか?)

芙蓉さんは、『儒者』を目指したこともあり、中国文化への憧れが強かったらしく、他の画のテーマでもその傾向を好んでいたそうです。

この画のテーマは「唐美人」(「唐」は、必ずしも「唐時代」という意味ではなく、「中国の」という意味として)なのでしょうから、中国から渡って来た画を参考にしていたのでしょうが、その緑色の唇は、文化・文政以降に日本中で大流行したと言われる「笹色紅」(紅花の抽出物の液が、乾燥後に緑色に見える状態となる性質を利用した高価な「口紅」)を表現したものと思われます。
しかしその頃までの中国では、必ずしもその色の口紅の文化は起こっていなかった様です。

この女性の顔も、中国絵画で良く見らる小顔で控え目な表情とは異なり、何か強い主張を感じさせていることから、おそらくは、芙蓉さんの身近な特定のモデルさんを、画の中で(遊び心で)コスプレさせ見立てで、『唐美人』風に描いて見せたのではないか(?)と思えてしまいます。

当時流行の美人ではないまでも、何となく優しさを感じさせる、魅力的な人柄が伝わって来る様で・・・


















by Ru_p | 2019-02-17 19:32 | アート・コレクション | Comments(0)

中年北斎の美人画?

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伝北斎画 新吉原見送り花魁図 紙本肉筆 式亭三馬賛 28×95 18030


画賛を書いた式亭三馬(しきていさんば;1776年-1822年2月27日)が、存命で、名が売れて、活躍しいた時期を考えると、この画の作画時期は、1810~1820年の前後と推測出来そうです。

それは、北斎が号を「北斎」から「戴斗」に改め始めた文化7年頃から、「為一」を使い始める文政3年頃までと、ほぼ重なりそうです。(北斎が中年の50代頃?)

画の方では、その頃の北斎の他の席画(出先での即席描画)風の美人画に、似た筆致の作品が多く見られます。

手早い筆裁きで、無駄な線の無い、見事な表現です。
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ただ、草書の落款署名は、「北」に続く間隔が少し不自然で、次の文字も判読しにくく、「戴・?」でしょうか?(不詳)

何だか、つい「北斎」と書こうとしてしまい、一旦躊躇い、改めて続きを書いたかの様にも感じられます。
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このほぼ7ミリ角が二つと小さい連印も、「北」の下の文字が難読です。(他の作品での使用例は見ません)


この花魁は若く美しく、それなりに可愛い姿ですが、私には何だか内心で「また来てお金を沢山使ってね!」と思いつつ、客に手を振っている様に見えてしまいます。
(現代でも似た情景がありそうでコワイ!でもチョット惹かれそう・・)





by Ru_p | 2019-02-08 11:36 | アート・コレクション | Comments(0)

雪岱の魔力

小村雪岱筆 美人立姿 絹本彩色肉筆画(軸装) 本紙55.9×43.3 18025
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 草むらから飛び去る小鳥。それを目で追い振り返る切れ長の目の女性。そんな一瞬を永遠に止めてしまった。

「小村 雪岱(こむら せったい:1887~1940年)」は、大正〜昭和初期に、日本画家、版画家、挿絵画家、装幀家、舞台装置デザイナーなどと多彩に活動したマルチアーティストでした。

特に、挿絵や版画の分野では「昭和の春信」(春信:江戸中期の人気浮世絵師の鈴木春信)とも称され、描かれる女性の表現が、華奢(きゃしゃ)でたおやか、清楚でほのかに色気を保つ事などで共通しているのですが、肉筆画作品が殆ど残っていないと言う点でも「鈴木春信」と共通しています。

雪岱という名前が一般的には読み難い事や、現存する作品数が極めて少ない事、活動した時代の社会的背景などもあって、一部に熱狂的な信奉者(ファン)がいるにも拘わらず、そんな彼の知名度は決して高いとは言えません。


ところで、上段の「美人立姿」の画には、ほぼ同一構図(背景もサイズもほぼ同一)の作品(埼玉県立近代美術館に収蔵)があります。

桔梗の花やメヒシバの様な夏草の一つ一つが、それと同様の筆致で描かれているのに、顔の表情は明らかに異なって見えます。
より細部を見比べてみると、上の作品では特に、目や眉、地面など背景の僅かな彩色、落款印章の種類や位置などですが、明らかに(意図的に)変えられている様に見えます。

真作(客観的な証明は不可能)であれば、個人的注文で私的に描かれたのでしょうが、その違いは、単に作者の拘りによる微細な修正だった様に思えます。
ただし、顔は別人の様に見えますので、雪岱さんは、それぞれ誰をモデルに想定して・・?



【参考①】
小村雪岱筆 美人立姿 絹本彩色肉筆画(軸装) 本紙56.5×43.2
 (埼玉県立近代美術館収蔵)
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(個人的には、どちらも素敵な作品に感じますが、何に拘ったのか?)


【参考②】
小村雪岱画 見立寒山拾得 復刻木版画(没後) 18005 42.8×28.9
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この版画の元絵の女性は、下谷の福子と赤坂山王下「宇佐見」の琴、という芸妓さん達がモデルだそうで、親交のあった作家の泉鏡花を囲む親睦会「九九九会」での馴染みだったと言われています。

雪岱さんは、
「私は挿絵を描きますのに、未だモデルを使ったことはありません」
とか、
「描きたいと思う女は、自分の内部にある記憶であって、私の心象です」
と言っていて、その「心象」とは、幼い頃に別れた母親だったり、仏像や浮世絵に由来していたそうです。
(「写実」を離れた心象画ということらしい)

②の版画の様な実在モデルでの作画は、晩年の希な試みだったのかも知れません。




雪岱さんの作品には、見る者を時間や空間を超えた幻想の『異世界』に引きずり込む『魔力』が潜んでいると言われています。

それには同感で、時々引き込まれたくなる、ドラマチックな非日常を感じる、大好きな異世界です。











by Ru_p | 2019-02-03 00:34 | アート・コレクション | Comments(0)

春信風? でも・・

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作者不明(印不詳)納涼美人図 絹本肉筆浮世絵  26.3×26.3 18021

落款印は、「文円堂」「堂文」とは読めそうですが、誰の事なのかは不明です。
髪型などの特徴は、江戸中期の人気絵師、鈴木春信の描いた美人画(主に版画での)を思わせる雰囲気がありますので、それに近い時代で、春信の何らかの影響が及んだ絵師の作かと思われます。
しかし、この時代の浮世絵師たちの肉筆画を比較出来る信頼出来る残存資料等が極めて少ないので、作者が誰かという想定は、しばらく難しそうです。


ただ単に、江戸中期の美人画としてだけで見れば、それなりの面白さがあります。
例えば、描かれた様々な要素から、その場の状況を考察してみるのも楽しそう。

①青竹の縁台(シンプルそうなデザイン;その構造や接合部の納まりは?)
②黒漆塗り笹の葉柄の煙草盆(この女性が寛ぐ為?キセルが見えないが?)
③春信風の髪型や櫛飾り(簪が無いので、花魁ならオフタイム休憩?)
④桐(五・三)の紋の団扇(遊郭の紋?だとすれば年代は?)
⑤竹垣の朝顔(時季は新暦なら7~11月でしょうが、その内の何月頃?)
⑥着物の着方(秋物柄の羽織で、夏なら暑そう)
⑦使われている絵の具(鮮やかで高級な岩絵の具が使われているので、退・変色は少なそう/描いたのは高名な絵師?)
⑧白い部分の胡粉(ごふん;貝殻を粉にして膠と練った絵の具)は剥落が多そう(古い軸装等の画の宿命)なので、その上に塗られた墨や顔料も、一部は失われているの可能性がある。


表情にあどけなさを感じますが、小顔でスリムな8頭身以上と思われる体型なので、幼児体型を思わせる多くの春信木版画とは、幾分異なる雰囲気が感じられます。








by Ru_p | 2019-02-02 11:53 | アート・コレクション | Comments(0)

カミナリ怖い! (春信)

「恋文を渡そうとする雷神」 鈴木春信 画 木版 11.7×36.6 10035
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(色調レベル等調整済み画像)


耳を塞いで怯えている二人は、遊女と禿(かむろ)でしょうか。
どうやらカミナリ様の一方的な、片思いの様です。
(ですが、場合によっては、誰かをカミナリ様に例えて隠れている場面の見立てを描いたのかも知れません)

この版画には、ネット検索で柱絵サイズ(11.7×68.6 cmの縦長で、約1.8倍に拡大された画)の別バージョンが見られます。
構図は酷似なのですが、十分な資料も無かったので、どちらが元の版だったのか不明です。
(カミナリ様の目の表情は変えられている様で、絵師の拘りの修正なのか?)

そちらの版画は、ボストン美術館の所蔵品の「The Thunder God Delivering a Love Letter 」などで参照出来る様です。




春信の描いたとされる美人画には、華奢で独特の可愛らしさが感じられます。



鈴木春信(すずき はるのぶ:1725-1770)の門人と言われる鈴木春重(すずき はるしげ:1747-1818){後に「司馬江漢」(しば こうかん)と改名}は、春信様式の美人画を得意としていて、多くの作品(代筆?又は贋作??)を巧みに描いていたそうですが、殆ど見破られる事が無かったと、春信の死後に本人も語っていたらしいので、場合によっては、その様な経緯のある作品なのかも知れません。

木版画は、絵師の描いた下絵を、彫り師が板に貼り、その下絵に忠実に板を下絵ごと彫るのですが、彫り師の腕に依っては、結果の雰囲気が変わってしまう事もあるので、画だけでの厳密な比較は難しそうで・・・



by Ru_p | 2018-12-18 15:06 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥文齋栄之)

鳥文齋栄之筆 納涼美人図 絹本(44×33)16022 
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江戸の蒸し暑い夏の郭で、花瓶を置いた文机にもたれかかり、団扇を持って、二匹の蝶の戯れを眺めて寛ぐ遊女の姿。
ここに描かれた切り花が朝顔ですし、蝶も飛んでいるので、昼間で午前中くらいの風景なのでしょう。

江戸時代には朝顔ブームが二度あり、その第一次のブーム(1804~1830)が、鳥文齋栄之(ちょうぶんさいえいし:1756-1829)の肉筆画制作の活動時期とほぼ重なっていましたので、その頃の情景ですね。

【参考】
千葉市美術館の収蔵品検索システムにも、似たテーマの画が見付かりますので、栄之の定番だった様です。
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by Ru_p | 2018-08-01 07:26 | アート・コレクション | Comments(0)

月の天女

月天図 (無落款) 34×78 06011

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月天は、「十二天」(八方位と上下の他に、太陽と月をも加えた十二の方向を象徴し神格化した十二人の仏法の守護神)に属する「天部」の一人です。

その「十二天」の図(十二天図:灌頂という密教寺院での儀式に用いられる法具)は通常、十二枚の屏風や掛け軸を一組として描かれる仏画群で、日本では平安時代初期頃からの作例があるそうです。

しかし、ここの月天の胸像の様に写実的で優雅な画は、十二天図としては他に類を見ませんし、これと組になりそうな他の「天部」の画も見る事がありませんので、おそらくは儀式の法具としてではなく、始めから貴族の念持仏などの様に独尊像として描かれたのではないかと思われます。

仏画なので作者は不明(厳密な制作年代も不詳)ですが、こんなに優しそうで神秘的な天女を見れば、古の人々も心惹かれ癒やされていた事でしょう。



【参考で、ウィキペディアでの「月天」の解説を下に引用します】

月天(がつてん、がってん、Skt:Candra、音写:戦達羅、戦捺羅、旃陀羅など)は、仏教における天部の一人で、十二天の一人。元はバラモン教の神であったが、後に仏教に取り入れられた。

正しくは月天子で、月天はその略称。月宮天子、名明天子、宝吉祥との異名もある。やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の変化身ともされる。四大王天に属し、月輪を主領して四天下を照らし、また多くの天女を侍(はべ)らし、五欲の楽を尽くし、その寿命は500歳といわれる。

形象は、一定しないが3羽から7羽のガチョウの背に乗り、持物蓮華や半月幢を持つものがあり、として月天后を伴うものがある。両界曼荼羅や十二天の一人として描かれることがほとんどであり、単独で祀られることはほとんどないようである。



なんと、元来の月天は、男神だったと・・・






by Ru_p | 2018-03-22 12:15 | アート・コレクション | Comments(0)

歌麿に 三代目・・・?

榮文筆  柳下美人図 (南木山人画賛)  15014 39x89
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この画の作者 栄文(えいぶん)は、「栄文歌麿」または「別人歌麿」とも呼ばれていましたが、世界的に有名だった(初代の)喜多川歌麿とは、別の人です。

作例は少なくて、文化年間〈1804~1818年〉に描かれた僅か数点の肉筆浮世絵が知られていただけだったそうです。
(・・・となると、この画は新発見なのかも知れません)

筆致は初代歌麿や二代目歌麿とは幾らか異なります(この画の場合には、当初の師匠だった鳥文齋栄之の影響と思われる「品格」が幾らか感じられます)。
描いた美人画のレベルは高く、歌麿にも迫るとの評判もあったそうです。ただ、作品の絶対数が少なかった事もあり、必ずしも、十分な人気は得られなかった様で、彼の記録は殆ど残っていません。(もしも、木版画を手掛けるなど、上手に宣伝活動をしていれば、更に高い評価も得られていたことでしょうに)

作画時期が特定出来ないのですが、彼の作品の中には、落款に「歌麿」(又はそれに類した)の署名をした謎の作品が、何点かあるようです。
初代歌麿をそっくりコピーをした訳ではなく、独自の印章を使うなどの自己主張も見られますので、必ずしも真剣に「喜多川歌麿」の偽物作品を描こうとしたとは、不自然で考えにくいのです。
初代歌麿(~1806)又は二代目歌麿と何らかの接点が有り、その門人となったとか、三代目を襲名していたと考えれば納得出来そうなのですが、残念ながらそれを裏付ける資料は見付かっていません。

この人物の筆と思われる画の落款には、「栄文筆」「一掬斎(いっきくさい)栄文」「栄文菅原利信筆」「鳥文斎一流 一掬斎栄文筆」「歌麿筆」「喜多川主人筆」等と、無署名も含めて複数の例が有ります。
ところが、それらの印章に関しては「自成弌家」「拂袖」等の共通する物が使い回される例が見られたので、同一人物の作と判断(推定)されている様です。

資料不足の為にか、あまり掘り下げた研究はされていなかったのかも知れません。
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画像の見られる作品例では、

二女図」(東京国立博物館所蔵)には、上の画の落款と酷似の「自成弌家」の印章が見られますが、署名は無い様です。
ちろり美人図」(熊本県立美術館所蔵)には、落款に「喜多川主人哥麿」と記し、「拂袖」の朱文長方印を捺してある様です。
また、
「肉筆浮世絵 美人画集成Ⅰ」(毎日新聞社刊) にも下記3例の画像掲載があります。
「矢場の女図」  (署名:哥麿筆)
「夕涼み美人図」 (署名:喜多川主人筆)
「若衆と美人図」 (署名:無署名)



栄文は当初、喜多川歌麿とは、人気を二分するライバル関係にあった鳥文斎栄之の門人だったそうです。その栄之の門人達の多くが「鳥〇齋」と言う様に名の頭に「鳥」の文字を置いていた中で、一掬斎(「一掬」には「少しの期間」の意味が有るらしい)と言う変わった字を落款頭に使っていました。
落款での「一掬斎」や「自成弌家」の印章は、例えば、栄之とは決別を果たした事を意味するものだったのでしょうか?
「歌麿筆」や「喜多川主人筆」などと、敢えて波風を立てる様に挑戦的に、師匠のライバルだった一派の名前を使ったのは、三代目を引き継いだ事を、主張したかったからでしょうか?


なやましくも、永遠の謎に・・・・









by Ru_p | 2015-08-29 22:37 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (海水浴)

「波と婦子」  二代目 歌川芳宗筆(肉筆画)   13007 40x105
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二代目 歌川芳宗は、文久3年に江戸で生まれ、明治時代に活動した浮世絵師です。
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明治時代中頃には、欧米人の健康志向による海水浴に影響され、日本でも上流階級を中心に、海水浴がブームになったことがあったそうです。

この画の描かれた時代が何時頃なのか厳密には判りませんが、この女性は(和風の腰巻きでなく)洋風の下着姿(?)なので、少なくとも明治中期以降の情景なのでしょう。
有名なシマウマ水着が出現したのは、明治の終わりから大正に掛けてだったそうですので、それ以前の情景なでしょうか。 (それとも、ただ単に水着の準備が無かっただけ?)

この女性は、海女の様に上半身をあらわにしていますが、昔の日本人の裸に対する羞恥の意識は、今日と比べるとかなり大らかだった様です。(公衆浴場でも、混浴が一般的だったとかで)
明治以降は欧米の文化の影響も有って、お上によって人前での裸姿が禁止され、裸体が見苦しく野蛮なものと言う観念が、日本人の心に植え付けられてしまったのかも知れませんね。

夏の暑い日に、静かな海辺で、水に浸かり涼を求める母と子の様に見えますが、人影の無いプライベートビーチで、こんな穏やかな時間を過ごせるとは、
           
        まさに『古き良き時代』の・・・
by Ru_p | 2015-07-31 14:10 | アート・コレクション | Comments(2)

どんな美女でも・・・

 美人訓  童元基筆   11003 絹本 41.5x116.5
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作者は、清時代の中国浙江省の絵師で、名を童元基、字は虎方。立山と号て長崎に度々来舶していた日本通だったそうで、数え年77歳(1833年冬)の作なのだそうです。
日本で依頼されて描いた為か、面白い事に下唇を緑色に染める『笹色紅』(紅花の紅を重ねて塗ると緑色に見えるらしく、塗膜で光が干渉する為の構造色かな?)と呼ばれる江戸時代中期に流行した化粧法になっています。

中国の絵師が描いた支那美人図なのですが、前漢時代の武帝の夫人なのでしょうか?(それとも唐時代の楊貴妃のつもりなのでしょうか?)。
亡くなった人の姿が煙の中に現れる『反魂香』と呼ばれる伝説上の香を焚き、幽霊が現れた時の様子と似ています(上質の反魂香は死者が蘇るという言い伝えがあり)。反魂香は江戸時代の日本で、読本や、妖怪画集の『今昔百鬼拾遺』、人形浄瑠璃・歌舞伎の『傾城反魂香』などの題材としてよく取り上げられていたそうです。
また、一種の降霊具として、日本の幽霊図の多くで幽霊とセットで描かれているようです。

ところで、よく見ると、この幽霊の描写では、足が煙に隠れて描かれていません。
円山応挙で有名な「足の無い幽霊の図」ですが、実は、応挙誕生の60年以上前に描かれた“花山院きさきあらそひ”という浄瑠璃本の挿絵の藤壺の幽霊や、他にも“死霊解脱物語聞書”や近松門左衛門の“傾城反魂香”などの挿絵などに足無し幽霊が出てくるそうです(江戸初期に描かれた“山中常盤物語絵巻”には足のある常盤御前の幽霊が出てくるそうですが) 。
未確認なのですが、土佐光起(1617~1691土佐派) の足の無い幽霊の画を森徹山(1775~1841円山派)が少くとも元禄の頃に模写した作品も(福岡の民俗資料館に)あるそうです。

美女は幽霊となっても、画や演劇の題材として永遠に生き続ける様ですね。




参考図 06009
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by Ru_p | 2015-01-02 08:35 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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