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夏の風物詩 (鳥文齋栄之)

鳥文齋栄之筆 納涼美人図 絹本(44×33)16022 
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江戸の蒸し暑い夏の郭で、花瓶を置いた文机にもたれかかり、団扇を持って、二匹の蝶の戯れを眺めて寛ぐ遊女の姿。
ここに描かれた切り花が朝顔ですし、蝶も飛んでいるので、昼間で午前中くらいの風景なのでしょう。

江戸時代には朝顔ブームが二度あり、その第一次のブーム(1804~1830)が、鳥文齋栄之(ちょうぶんさいえいし:1756-1829)の肉筆画制作の活動時期とほぼ重なっていましたので、その頃の情景ですね。


千葉市美術館の収蔵品検索システムにも、似たテーマの画が見付かりますので、栄之の定番だったのでしょう。
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by Ru_p | 2018-08-01 07:26 | アート・コレクション | Comments(0)

月の天女

月天図 (無落款) 34×78 06011

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月天は、「十二天」(八方位と上下の他に、太陽と月をも加えた十二の方向を象徴し神格化した十二人の仏法の守護神)に属する「天部」の一人です。

その「十二天」の図(十二天図:灌頂という密教寺院での儀式に用いられる法具)は通常、十二枚の屏風や掛け軸を一組として描かれる仏画群で、日本では平安時代初期頃からの作例があるそうです。

しかし、ここの月天の胸像の様に写実的で優雅な画は、十二天図としては他に類を見ませんし、これと組になりそうな他の「天部」の画も見る事がありませんので、おそらくは儀式の法具としてではなく、始めから貴族の念持仏などの様に独尊像として描かれたのではないかと思われます。

仏画なので作者は不明(厳密な制作年代も不詳)ですが、こんなに優しそうで神秘的な天女を見れば、古の人々も心惹かれ癒やされていた事でしょう。



【参考で、ウィキペディアでの「月天」の解説を下に引用します】

月天(がつてん、がってん、Skt:Candra、音写:戦達羅、戦捺羅、旃陀羅など)は、仏教における天部の一人で、十二天の一人。元はバラモン教の神であったが、後に仏教に取り入れられた。

正しくは月天子で、月天はその略称。月宮天子、名明天子、宝吉祥との異名もある。やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の変化身ともされる。四大王天に属し、月輪を主領して四天下を照らし、また多くの天女を侍(はべ)らし、五欲の楽を尽くし、その寿命は500歳といわれる。

形象は、一定しないが3羽から7羽のガチョウの背に乗り、持物蓮華や半月幢を持つものがあり、として月天后を伴うものがある。両界曼荼羅や十二天の一人として描かれることがほとんどであり、単独で祀られることはほとんどないようである。



なんと、元来の月天は、男神だったと・・・






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by Ru_p | 2018-03-22 12:15 | アート・コレクション | Comments(0)

歌麿に 三代目・・・?

榮文筆  柳下美人図 (南木山人画賛)  15014 39x89
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この画の作者 栄文(えいぶん)は、「栄文歌麿」または「別人歌麿」とも呼ばれていましたが、世界的に有名だった(初代の)喜多川歌麿とは、別の人です。

作例は少なくて、文化年間〈1804~1818年〉に描かれた僅か数点の肉筆浮世絵が知られていただけだったそうです。
(・・・となると、この画は新発見なのかも知れません)

筆致は初代歌麿や二代目歌麿とは幾らか異なります(この画の場合には、当初の師匠だった鳥文齋栄之の影響と思われる「品格」が幾らか感じられます)。
描いた美人画のレベルは高く、歌麿にも迫るとの評判もあったそうです。ただ、作品の絶対数が少なかった事もあり、必ずしも、十分な人気は得られなかった様で、彼の記録は殆ど残っていません。(もしも、木版画を手掛けるなど、上手に宣伝活動をしていれば、更に高い評価も得られていたことでしょうに)

作画時期が特定出来ないのですが、彼の作品の中には、落款に「歌麿」(又はそれに類した)の署名をした謎の作品が、何点かあるようです。
初代歌麿をそっくりコピーをした訳ではなく、独自の印章を使うなどの自己主張も見られますので、必ずしも真剣に「喜多川歌麿」の偽物作品を描こうとしたとは、不自然で考えにくいのです。
初代歌麿(~1806)又は二代目歌麿と何らかの接点が有り、その門人となったとか、三代目を襲名していたと考えれば納得出来そうなのですが、残念ながらそれを裏付ける資料は見付かっていません。

この人物の筆と思われる画の落款には、「栄文筆」「一掬斎(いっきくさい)栄文」「栄文菅原利信筆」「鳥文斎一流 一掬斎栄文筆」「歌麿筆」「喜多川主人筆」等と、無署名も含めて複数の例が有ります。
ところが、それらの印章に関しては「自成弌家」「拂袖」等の共通する物が使い回される例が見られたので、同一人物の作と判断(推定)されている様です。

資料不足の為にか、あまり掘り下げた研究はされていなかったのかも知れません。
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画像の見られる作品例では、

二女図」(東京国立博物館所蔵)には、上の画の落款と酷似の「自成弌家」の印章が見られますが、署名は無い様です。
ちろり美人図」(熊本県立美術館所蔵)には、落款に「喜多川主人哥麿」と記し、「拂袖」の朱文長方印を捺してある様です。
また、
「肉筆浮世絵 美人画集成Ⅰ」(毎日新聞社刊) にも下記3例の画像掲載があります。
「矢場の女図」  (署名:哥麿筆)
「夕涼み美人図」 (署名:喜多川主人筆)
「若衆と美人図」 (署名:無署名)



栄文は当初、喜多川歌麿とは、人気を二分するライバル関係にあった鳥文斎栄之の門人だったそうです。その栄之の門人達の多くが「鳥〇齋」と言う様に名の頭に「鳥」の文字を置いていた中で、一掬斎(「一掬」には「少しの期間」の意味が有るらしい)と言う変わった字を落款頭に使っていました。
落款での「一掬斎」や「自成弌家」の印章は、例えば、栄之とは決別を果たした事を意味するものだったのでしょうか?
「歌麿筆」や「喜多川主人筆」などと、敢えて波風を立てる様に挑戦的に、師匠のライバルだった一派の名前を使ったのは、三代目を引き継いだ事を、主張したかったからでしょうか?


なやましくも、永遠の謎に・・・・









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by Ru_p | 2015-08-29 22:37 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (海水浴)

「波と婦子」  二代目 歌川芳宗筆(肉筆画)   13007 40x105
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二代目 歌川芳宗は、文久3年に江戸で生まれ、明治時代に活動した浮世絵師です。
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明治時代中頃には、欧米人の健康志向による海水浴に影響され、日本でも上流階級を中心に、海水浴がブームになったことがあったそうです。

この画の描かれた時代が何時頃なのか厳密には判りませんが、この女性は(和風の腰巻きでなく)洋風の下着姿(?)なので、少なくとも明治中期以降の情景なのでしょう。
有名なシマウマ水着が出現したのは、明治の終わりから大正に掛けてだったそうですので、それ以前の情景なでしょうか。 (それとも、ただ単に水着の準備が無かっただけ?)

この女性は、海女の様に上半身をあらわにしていますが、昔の日本人の裸に対する羞恥の意識は、今日と比べるとかなり大らかだった様です。(公衆浴場でも、混浴が一般的だったとかで)
明治以降は欧米の文化の影響も有って、お上によって人前での裸姿が禁止され、裸体が見苦しく野蛮なものと言う観念が、日本人の心に植え付けられてしまったのかも知れませんね。

夏の暑い日に、静かな海辺で、水に浸かり涼を求める母と子の様に見えますが、人影の無いプライベートビーチで、こんな穏やかな時間を過ごせるとは、
           
        まさに『古き良き時代』の・・・
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by Ru_p | 2015-07-31 14:10 | アート・コレクション | Comments(2)

どんな美女でも・・・

 美人訓  童元基筆   11003 絹本 41.5x116.5
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作者は、清時代の中国浙江省の絵師で、名を童元基、字は虎方。立山と号て長崎に度々来舶していた日本通だったそうで、数え年77歳(1833年冬)の作なのだそうです。
日本で依頼されて描いた為か、面白い事に下唇を緑色に染める『笹色紅』(紅花の紅を重ねて塗ると緑色に見えるらしく、塗膜で光が干渉する為の構造色かな?)と呼ばれる江戸時代中期に流行した化粧法になっています。

中国の絵師が描いた支那美人図なのですが、前漢時代の武帝の夫人なのでしょうか?(それとも唐時代の楊貴妃のつもりなのでしょうか?)。
亡くなった人の姿が煙の中に現れる『反魂香』と呼ばれる伝説上の香を焚き、幽霊が現れた時の様子と似ています(上質の反魂香は死者が蘇るという言い伝えがあり)。反魂香は江戸時代の日本で、読本や、妖怪画集の『今昔百鬼拾遺』、人形浄瑠璃・歌舞伎の『傾城反魂香』などの題材としてよく取り上げられていたそうです。
また、一種の降霊具として、日本の幽霊図の多くで幽霊とセットで描かれているようです。

ところで、よく見ると、この幽霊の描写では、足が煙に隠れて描かれていません。
円山応挙で有名な「足の無い幽霊の図」ですが、実は、応挙誕生の60年以上前に描かれた“花山院きさきあらそひ”という浄瑠璃本の挿絵の藤壺の幽霊や、他にも“死霊解脱物語聞書”や近松門左衛門の“傾城反魂香”などの挿絵などに足無し幽霊が出てくるそうです(江戸初期に描かれた“山中常盤物語絵巻”には足のある常盤御前の幽霊が出てくるそうですが) 。
未確認なのですが、土佐光起(1617~1691土佐派) の足の無い幽霊の画を森徹山(1775~1841円山派)が少くとも元禄の頃に模写した作品も(福岡の民俗資料館に)あるそうです。

美女は幽霊となっても、画や演劇の題材として永遠に生き続ける様ですね。




参考図 06009
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by Ru_p | 2015-01-02 08:35 | アート・コレクション | Comments(0)

模写美人図の背景

江戸時代頃の日本人にとって、先進国だった中国(支那〔しな〕・唐〔から〕・唐土〔もろこし〕などと呼ばれていた)の文化は大変な憧れだったようです。
絵画の分野でも渡来の画は非常に珍重され、盛んに模写が繰り返されました。中でも美人図は好まれて模写されていた様です。


『支那美人図』 池 雲英筆 06002 42.5x111 絹本
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上の画の作者池雲英は、幕末から明治にかけて活動した朝鮮の絵師で、日本・中国の事情に大変精通していた人物だったそうです。この画からは、中国美女のはずなのに、朝鮮の女性の雰囲気が感じられます。


『姑娘(くーにゃん)図』 作者不詳 (住吉派の絵師?)  10027 36.8x100 絹本
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かなり濃い存在感の女性ですが、どことなく好感が持てます。


この様に墨を磨り、香を焚き、お茶を飲み、お気に入りの場所で寛ぎながら、詩や絵を思案して優雅な時間を愉しむ高貴な美女の姿は、現代人が眺めても癒やされます。
(机の上の「文房四宝」は、定番のお洒落アイテム)

模写された人物画は殆どの場合、写した人毎の感性や解釈により表情が微妙に異なるようです。美人画でも不思議な事に、絵師の好みの女性像や、自身の顔などに近づいてしまう傾向があるようで、それが絵師毎の個性なのではないかと思います。

画題となる元画の構図を借りて、単なるコピーではない味わいや魅力を表すには、不可欠なアレンジだったのだと思われます。






















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by Ru_p | 2015-01-01 17:46 | アート・コレクション | Comments(0)

化粧する武家 (江戸の風俗)

「若衆」 龍山樵夫 筆(= 狩野養長)  08045 32x70
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一見、男装の麗人にも見えますが、元服前の武家の男子の姿の様です。色白の肌・切れ長の目・体を捩るポーズは妙に艶めかしく、ある種の「美人画」の様でもあります。

江戸時代には、男社会の封建制度のしきたりの中で、性が抑圧され、その捌け口が同性に向けられる事も多かった様で、金や権力で『男色』の相手をさせられる芝居役者の「陰間」や、大名家の小姓が、その様な存在だったようです。

これを描いた絵師は、(真筆ならば)落款から狩野養長(かのう おさなが 1814-1876)かと思われます。
養長は肥後熊本に生まれ、19歳で狩野弘信の養子としなり、まもなく狩野家八代目となったのだそうです。以後幕末までは、狩野家と因縁の深い肥後細川藩のお抱え絵師として、頻繁に江戸と熊本とを往復していた様です。
落款は、養長、元象、信象、登雲堂、凌霄花齏、龍山樵夫、など多数使っていましたが、藩主細川斉護さんの命で描いた物には落款を入れられなかったので、落款が在るのは他所からの依頼などで描いた物なのだそうです。

この画のモデルさんも、何処かのお殿様のお気に入りだったのでしょうが、 
もしも、当時そんな詮索をしていたら、首が飛ん・・・・



















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by Ru_p | 2013-06-22 08:28 | アート・コレクション | Comments(0)

看病 (鳥居清経)

看病する美人の図 鳥居清経筆   08052  36x102
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江戸中期の風俗画ですが、構図や状況が興味深く、十畳以上の広い部屋(敷居・鴨居が省略されてなければ)で、床に就いたあどけない顔の病人を、布団で包み、見事な屏風(六曲一双:12面?)を建てて隙間風を除けつつ、絵でも楽しませて励まし、薬湯の湯気で部屋の温度と湿度を保ち、近しい人が付き添って顔色を見ながら手を当てていますので、この時代としては出来うる限りに手を尽くした看病の様子と言えそうです。

枕を頭の横から当てているのは、結った髪を乱さない為の配慮なのでしょう。また、体を半ば起こした姿勢は、薬湯を飲む時の誤嚥を防ぐ為の配慮なのでしょう。
屏風や着物の柄に梅の花があるので、季節は春なのでしょうが、この病人は熱でも出しているのでしょう。
顔色からは、病状が深刻そうではないので、幾らか気楽に眺めることが出来ます。

これを描いた鳥居清経は、生没年不詳らしいのですが、初代の鳥居清満に師事して、宝暦-安永(1751-1781年)の頃に作画活動をしていたとも言われています(謎の多い鳥居派の事ですし、清満の事すらあまり定かではありませんが)。
鳥居清経は、一枚物の画の作例が極めて少ないらしいので、(厳密には、もう誰も立証出来ませんが)真筆であれば希少な資料と言うことになりそうです。
鈴木春信風の美人画を描いていたと言われていますので、その点では、この画もそれらしく見えます。
それと、人物の表情には、この絵師の人柄の優しさが感じられます。

こんなテーマの画ですので、果たして客からの依頼で描かれた物なのでしょうか・・・?鳥居派の作品となれば、この人物も役者(当時のアイドル?)と言う事なのでしょうか?
見ていると、次第に想像が膨らみます。









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by Ru_p | 2013-06-18 00:43 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥居清峰)

蚊遣り美人図  二代目 鳥居清満(=初代 鳥居清峰)
 肉筆浮世絵 (岡本楼 稲岡) 31.5x78 07032
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蚊遣り(かやり)部分
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蚊の出る時季にはお馴染みのブタ型の蚊遣りですが、これが19世紀初頭(1810年頃)の江戸(浅草の新吉原)では既に使われていた、と言えそうです。

除虫菊を加工した『蚊取り線香』は、明治中期以降に『金鳥』の創始者に依って考案されたのだそうですので、まだこの頃には、松の葉などをこの中で焚いて、蚊が嫌う煙を出す為の器だった様です。

蚊遣りブタのルーツに関してweb上で検索してみますと、「推定年代 19世紀前葉~中葉」として発掘された蚊遣りブタが見付かりましたが、その形は、口が小さくて、全体に大振りで、「徳利を加工した様な形」でした。ところが、上の肉筆浮世絵を見ると、口が大きくて、現代の「蚊遣りブタ」にかなり近い形です。その時代の江戸新吉原の遊郭では、既にこの形が使われていたことが判ります。(果たして、この画は「蚊遣りブタ」の歴史資料として、最も古い物となるのでしょうか?)

今日使われている渦巻き状蚊取り線香(※)の様に、長時間の安定した燃焼を期待出来なかったでしょうから、寝る前には、蚊が忌避する煙を、この様に体や衣類に焚き込んでおく必要があったのでしょう。
「蚊取り」でなく「蚊遣り」と言われていたのも、まだ、除虫菊の無かった時代の煙では殺虫効果が弱かったからかも知れません。

豚の体を連想する形になっていたのは、寝具に火が移ることを避ける為の機能性と、陶器職人の遊び心とがもたらした必然の結果だったのではないかと推測されますが、真実はどうだったのでしょうか。

上の画の落款にある「鳥居清峯」ですが、画風などから初代鳥居清峰〈1787~1869年 :二代目鳥居清満が後に改名)と思われます。
参考: ボストン美術館のwebページ中に、酷似の画像を見付けました。そちらは木版画なのですが、図中に「青楼四季之詠 岡本屋内 稲岡」とあり、1810年の制作とのことです。人物や衣服の線や構図には共通する部分が多く、上の肉筆画と同一の絵師が同一の時期に(同一のモデルを)描いたと判断出来る作品です。
画の遊女部分の大きさは上の肉筆画の方が二倍程度と大きいのですが、背景のモチーフ(蚊帳など)での季節は設定も同じ夏です。



湯上がりの透ける単衣の着物に団扇とはお洒落ですし、7頭身以上の長身は、当時の標準的体型の女性よりも当然誇張された美女なのでしょう。

いったいどんな経緯でこの画が描かれたのでしょうか? 夢ででも、当時にタイムスリップしてみたい
          

 



                                                                                                                                                                                                           ※蚊取線香は、まだまだ使われてはいますが、マット式~ノーマット式~プッシュ式(それぞれに含まれる「ピレスロイド系」の有効成分を空気中に蒸散させるタイプ)へと進化したため、次第に消えてしまう運命なのかも知れません。 
あれに郷愁を感じる世代としては、少し寂しい気持ちも・・・・                                                               



                                                                                              
                                                                                                              ・
                                         
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by Ru_p | 2013-06-17 00:10 | アート・コレクション | Comments(0)

猿曳き (その2)

猿曳き少女図(小猿と少女の図) 無落款 07050   27x122
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上から見下ろす可愛い小猿と、真剣そうに見上げる少女との視線のぶつかり合いに、緊張感を感じます。

髪型や服装の特徴から、江戸初~中期でしょうか、肉筆浮世絵としては、比較的早い時期の「美人画」と思われます。
(私感的には奥村政信の作品に似ていると感じます)

構図として上の余白が多過ぎとも感じられますが、江戸絵画ではこういうバランスがしばしば見受けられます。昔は床の間などに掛けて眺めたので、鑑賞者への「見せ方」を絵師が演出したとも考えられますし、用紙のサイズや表具の技術的な合理性の関係もあったと思われます。
そんな余白なので、見ていると画賛を書き込みたいという衝動も起こるのでしょう。

江戸時代には、猿と猿曳き(猿廻し・猿遣い)が見世物としては多かったでしょうが、現代は殆ど見かけなくなりました。古来の日本では猿が馬の守護神として崇められていたそうです。柳田國男によれば、昔は猿曳きは馬の医者をも兼ねている場合が多かったそうです。それ故にか、馬が少なくなった現代では猿曳きも見掛けなくなったのかも知れませんね。











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by Ru_p | 2013-06-11 00:41 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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