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仙厓の達磨?

仙厓義梵筆 『達磨図』自画賛 紙本 18015 31×88
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口をへの字に結び、僧衣に手を隠した、達磨(ダルマ)と思しき老人が、虚空を見上げながら、何か不満げな表情。

上部に書かれている賛文の、下手くそ(風)な文字は、
佛の佛け臭きハとへらより鼻可きつか

もっと現代語(風)に直すと、
佛のホトケ臭きは、とべらより鼻がきつか

ここで「とべら」は、節分に門の(とびら)などに吊す、鬼が忌み嫌うと言われる「鰯の頭」や「ひいらぎ」と同じ目的で使われていた、葉や枝に独特の異臭のある植物の名称です。
名前の由来は、吊してあった「(とびら)」が訛った言葉とも言われています。

禅僧の身でありながら、禅宗の開祖である達磨(?)に、画の中であっても「佛臭い」と、(博多弁で)言わせてしまう大胆さに、多くの人が驚かされた事でしょう。

見る人に「とんでもない不敬」だとか「佛罰が当たるのでは」と感じさせることで、逆に画の世界に引きずり込んてしまう。仙厓さんは、そんな奇抜な表現で、佛の教えの本質(最も大切な何か)を改めて考え直させる事を、目論んでいたのかも知れません。

江戸時代には、幕府の方針によって、寺の「檀家制度」が固められ、以後それに守られ堕落し腐りきった寺院や僧侶等による横暴や乱行が横行しましたので、宗派の違いも含めて実際に「佛臭さ」が「鼻に付く」事態は、実感していた事でしょう。

釈迦が悟りを得て、教えを説いた時代には、その「教え」は単なる信仰の対象と言うよりも、己の心のあり方を知り改める事で自身が救われる為の「哲学」の性格が強かった様ですが、時が経ち、後の人々が拡大解釈を繰り返す内に、佛への信仰心が、救いや加護を得る代償の行為と思わせる風潮が強くなり過ぎて行ったからかも知れません。


ところで、この『達磨』さんの顔は、殆ど威厳が感じられず、単に頑固そうで、お茶目な「おじいちゃん」風です。

仏画にちょっと詳しい人が見れば、当然『達磨』が禅の教えを語る画、と思いがちですが、そもそも、画の中の何処にも、この老人が『達磨』であるとは書かれていません。

その辺に、この画を読む一つの鍵が隠れていのるかも知れません。
(もしかして、単なる人物画?)

おそらくは、この「おじいちゃん」が仙厓さんご本人で・・という解釈も


「達磨風自画像」!?


相手の事を考える故に、敢えて誤解を受けたり非難される事を厭わず、
誰にでも平然と苦言暴言を並べてしまう、勇敢で心温かいひねくれ老人。
そんな仙厓さん像を思い浮かべる事で、画に共感出来る気がします。




癒やしが感じられ、好きです。
(可愛くて魅力的)











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by Ru_p | 2018-05-27 14:39 | アート・コレクション | Comments(0)

白隠の禅画(の4)

白隠慧鶴筆 蓮池観音座像図 自画讃 18008 29×98

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白隠さんが度々描いていた定番的な画題で、観音菩薩の図とその画賛の様です。

上部の賛は、「観音経」(「法華経」の中の「観世音菩薩普門品第二十五」)から引用した、「慈眼視衆生 福海無量」という文言の中の、一文字「(ジュ:「あつめる」意味)」を、「(ジュ:「祝い」の意味)」の文字に置き換えて、一際大きく書き、「(観音菩薩が)海の様に大きな慈悲の心で衆生を見て祝福する」と言う様な意味にアレンジして、画を目出度そうな雰囲気にも見せている様です。

内側に蓮華柄の衣を着て、蓮華の花の宝冠を被り、外側には頭から白い布をまとった、ふくよかで穏やかそうな表情の女性が、両手で印(禅定印)を結び、目を閉じて蓮池に面した岩の上の蓮華座に座り瞑想しています。
その左側には、瓶に挿された柳の小枝が蓮の実の上に載っています。

宗教的絵画で、一般に尊像が描かれる場合には、象徴的に結びつけられたアイテム(持ち物、小道具・背景、又は手足等の特定のポーズ等)が、その尊像の性格を示す約束事として描かれる事が多く見られます。
そのアイテム類は、「持物(じぶつ)」又は「アトリビュート(attribute)」とも呼ばれ、古い経典などの中に、その根拠が示されている場合も有ります。

そんな理由があるので、この女性は、「楊柳観音」とか「白衣観音」と解釈されて呼ばれる場合もしばしばあります。

しかしながら、逆の意味では、どれか一つの尊名には、特定しにくい画とも言えそうです。

場合によっては、この女性を様々な観音の化身の様に見立てて描く事で
、多くの変化観音の、それぞれの優れた能力を集約的に、ご利益として期待させたかったのかも知れません。



観音経の「観世音菩薩普門品第二十五」は、104句(520文字)の(大乗仏教の)経典とされて伝わっています。

白隠さんは、それを上の様に、たった2句(10文字)の画賛に要約して使った訳ですが、それと似た要約版に、「延命十句観音経」(「延命」は白隠さんの命名)という42文字の便利な経典(原典では無く、「偽経」とされる)もあり、(生衆が)それを幾度も唱える事で、救済(の現世ご利益)が期待出来ると信じられていたそうです。

何れにしても、白隠さんご自身が、慈悲の心を持って、生衆の救済を望んでいたからこそ、この様な画や画賛を描き続けていたと言う事なのでしょう。(それが、白隠さんの目指した「禅」の一つの形だったのでしょう)

おそらく当時は、今より多くの生衆の苦しみを目にする時代だったでしょうが、その生衆へは、白隠さんご自身と同様の「禅」の道を勧めるのではなく、観音様への祈願と言う形で救われる手段をすすめた。
(何だか、大昔のお釈迦様の苦悩にも似た、判断や選択の葛藤が感じられます)










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by Ru_p | 2018-05-07 19:55 | アート・コレクション | Comments(0)

白隠の禅画(の3)

鷲頭山図 白隠慧鶴筆 17009 41×108

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禅僧の白隠さんは、65歳を過ぎた頃から、多くの「禅」の教えを、自らの賛文とアニメチックな画とに込めて、繰り返し表現する様になりました。
この「鷲頭山図」も、その意味で同じテーマの画が何点か現存している様です。

賛文にある変体仮名を、母字(表音文字である仮名の元となった漢字)に置き直すと、 
見あけて見連は鷲頭山 見お路せは志け鹿濱能徒里ふね

この時代の仮名交じり文は、濁点も句読点も付けなかったので、更に現代語風に書き直すと、
見上げてみれば、鷲頭山。見下ろせば、志下鹿浜の釣り舟。
(みあげてみれば、わしずさん。みおろせば、しげししはまのつりぶね)

この画賛は、この地域で当時歌われていた民謡(作業歌?)からの引用でもあったので、地元では誰もが知っていた文言だったようです。

画にある三隻の小舟にはそれぞれ、一人が艪で東の風に向かって舟を操り、もう一人が釣り糸を手繰って魚を誘うと言う(穏やかな早朝の)伝統的で、誰もが見慣れていたであろう一本釣り漁の様子が簡潔な筆遣いで現されています。


「鷲頭山」は、富士山の南南東約30kmで、伊豆半島の付け根西側に位置し、沼津アルプスとも呼ばれる標高392mの低いながらも険しさのある山で、画とも雰囲気は似て見えますが、実物はもう少し勾配が緩い様です。
白隠(はくいん:1686~1769)さんが晩年を過ごした原の松陰寺からも、約10kmと近い場所でした。

志下(しげ)の「鹿濱(ししはま)」は、鷲頭山の南西約1kmの駿河湾に面する小さな漁村の地名でしたが、今では読みはそのまま同じで「獅子浜(ししはま)」と言う字の地名に変わっています。


ここで、鷲頭山を見上げるべき崇高な存在として象徴的に扱っている理由ですが、お釈迦様が悟りを得た後に、『無量寿経』や『法華経』を始めて説いた聖地とされる山の名前(梵語でグリドラクータ:鷲の山を意味する/和名:霊鷲山)と通じるので、その聖地(霊山)に見立てたからと言う説が一般的には知られています。

(但し、この画の場合には、鷲頭山の背後に、「霊山」として名高い富士山や愛鷹山まで描いていあります;この画の鷲頭山の向きですと、富士山はもっと左側に見える筈で・・・ご愛敬かな?/何点かある同テーマの画の中では、構成や体裁が比較的整って見えますので、遅い時期の作品だったのかも知れません)


そしてもう一つ、(未だ何方も言及されてない解釈の様ですが)更に大きな理由が考えられます。
それは、文明元年(1469)に金比羅大権現の分霊(わけみたま)によって祀られた「鷲頭神社」が、江戸末期までは、この鷲頭山の山頂に鎮座していたと言う事です。
(明治維新の後、北東約1.5km先の天満山へ、周辺の神社と合祀しての遷座が行われてしまいましたが、その奥宮だけは現在でも鷲頭山の山頂にひっそりと残されています)

全国の金比羅神社の総本宮となる讃岐の金比羅宮(明治以降には金刀比羅宮と改称)の社殿が建っていた山は、名を象頭山と呼ばれています。象頭山という名は、もとはインドのガヤの南西にあって、お釈迦様と因縁の深かったガヤー・シーサと呼ばれる霊山の和名なので、そこにあやかって付けられた様です。
象頭山と鷲頭山(霊鷲山の別名)とは、インドでは約50km隔たった別個の山(霊山)ですが、日本では似通った由来を持つ名前なので、混同される事もしばしばあった様です。

金比羅宮のあった象頭山(標高538m)は、「日和山」とも呼ばれ、海の民が船を出すかどうかを判断する際に日和を見る事(天候予測)にも利用されていたそうです。この画にある釣り人を含め、海に生きる人々は、おそらく分霊された方の鷲頭山山頂の神社にも金比羅の神の霊験を感じつつ、日々の海上安全を祈願していた事と考えられます。

金比羅神は、もとはインドのクンピーラ神と言われ、ガンジス川に住む鰐(ワニ)が神格化されたものとも言われていますが、日本では仏教に守護神として取り込まれ、「金毘羅大権現(※)」(主に海難や雨乞いの守護神)として信仰される様になったそうです。(日本古来の「神」とは無関係ながら、神仏習合や修験道が融合して、更に江戸時代の民間信仰の流行の波も加わり、当時は特異な隆盛を誇っていました)




(※)

数多い白隠さんの墨蹟の中には、「金比羅山大権現」と書かれた書が複数ありますので、白隠さんは当然「金比羅大権現」に対して強い敬意を持っていたと考えられます。

(白隠さんの墨蹟;「神号」/『墨美』より;龍翔寺蔵)
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白隠さんの時代(廃仏毀釈運動が起こった明治維新よりも百年以上前)の「金比羅さん」の総本宮と言えば、讃岐にあった象頭山松尾寺の金光院に祀られた「金比羅大権現」が主祭神だった訳ですが、何故か何れの墨蹟を見ても、「金比羅」と「大権現」との間には敬称の「さん」ではなく、「山」の文字が書かれています。

(もしかして白隠さんは、揮毫の時に対の様に書いていた「秋葉山大権現」の「山」の意識が強かったので、つられて書いてしまったという単なるご愛敬だったのか?   それとも何処かの「山」 を意図して・・?)









鷲頭神社の前身(金比羅大権現を祭祀)があった鷲頭山は、白隠さんの時代(江戸中期)には、仏教とも関わりの深い場所であったと同時に、地元の庶民にとっては「見上げるべき」崇高な「山」であった事でしょう。

現存する同一テーマの他の「鷲頭山図」の中には、鷲頭山の中腹に大きく鳥居の形(神域を示すシンボル;実際のその位置に、こんな大鳥居はありません)が描き込まれている例もあります。
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(鳥居の描かれた「鷲頭山図」/『墨美』より;旧山本發次郎コレクション)




白隠さんは、同じ視界(一枚の画の中)で、崇高な聖域と庶民の日々の生業とを、対比させながらも、ごく身近に共存している様に表現する事で、「禅の宇宙観」を、見る人に判りやすく解こうとしたのではないでしょうか。










【参考】


江戸時代に「金比羅さん」として庶民に親しまれた象頭山松尾寺の金光院は、元々は神仏習合の寺社だったので、仏教(真言宗)の「寺」でもありました。
ところが、明治時代には、近代日本の歴史上の大きな汚点(政治と宗教の絡んだ)とも言うべき神仏分離令や廃仏毀釈運動での弾圧の標的とされた為に、改宗を迫られ、結果として廃寺にまで追い込まれてしまい、多くの貴重な尊像や経文までもが焼却などで失われてしまいました。


金比羅大権現尊像 (紙本肉筆:作者不詳)

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明治初期には、異なる祭神の宗教団体が、信者をほったらかしで、入れ替えわってしまうと言う、大胆な組織改造が『権力』に依って強行されていたのです。
現在の『金刀比羅宮』での祭神は、大物主命(と崇徳天皇)に代わってしまい、有名な歌にまである「金比羅大権現」ではなくなっています。

(♪~♬)
金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
一度まわれば


明治42年には象頭山松尾寺が、『金刀比羅宮』を相手に、建物や宝物の所有権返還請求の訴訟を起こしましたが、当時の高松地方裁判所に依って棄却されています。





今日の日本では考えられない様な権力による暴挙があったのですね。
(学校では詳しく教わらなかった歴史)

鷲頭山山頂にも分霊されていたる「金比羅大権現」の存在が、ますます有難く感じられそう・・・








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by Ru_p | 2018-03-10 17:20 | アート・コレクション | Comments(0)

蛙・・・岩 (仙厓)

仙厓義梵筆 岩に蝦蟇(いわにがま)図 自画賛  14006    58×137
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仙厓さんは、石や岩にとても関心があった様で、珍石の蒐集が大の楽しみだったそうです。
保護色で周囲と一体化したガマ蛙の肌にもそんな魅力を感じていたのかも知れません。

仙厓さんの別の有名な画の賛(自画賛)に「坐禅して人が仏になるならば」という言葉(坐禅するだけで仏になれるのなら蛙はとっくに・・・という意味の)がありましたが、この世の万物に仏性が宿っている、という気持ちで蛙を見ていたのでしょうか。

大自然が創り出す『奇岩』の造形に、時として深い神秘性を感じさせられることって同感出来ますし、仙厓さんの画にはいつもながら 『かわいい』 を感じてしまい飽きません。










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by Ru_p | 2016-02-21 15:35 | アート・コレクション | Comments(0)

仙厓の 福と福

仙厓義梵筆 彼岸河豚図 自画賛  16005 49x36

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仙厓さんの描く生き物のカワイイ表情や奔放な文字には、人間愛的優しさがあり、好きです。

自画賛には、

唵阿毘羅 千いと 福れた 彼岸福 

(唵阿毘羅 ちいと ふくれた 彼岸ふく)

冒頭の「唵阿毘羅」の字は、唵阿毘羅吽欠蘇婆訶(読み:オンアビラウンケンソワカ)と言う大日如来(胎蔵界)を表す「真言(言葉の音が仏尊を現すとされる「呪文」)」の先頭の四文字の様です。( 相変わらず、巧さを捨てた奔放な筆遣い )

仙厓さんは、禅宗の坊さんでしたが、有名な〇△□の図をも描き残している事から、真言(的宇宙観;三角が火、円が水、四角が地を表わす;元はインドから伝わった五輪思想で、宇宙の構成元素が「空・風・火・水・地」とする)にも知識と関心があったと思われます。

春の彼岸()の頃に大漁となり、その頃までが旬となるヒガンフグ(フグ目 › フグ亜目 › フグ科 › トラフグ属;別名=マフグ)ですが、水揚げ時に歯を摺り合わせて出す音(フグが唱える声?)が、戒律によって食する機会も無かったかもしれない仙厓さんの耳には「真言」の様に聞こえた(仏性を感じた)のかも知れません。
古来インドの初期仏教で、「空」は「膨れ上がった」「うつろな」を意味するそうですので、河豚の膨れた姿に、その宇宙観の「空」を重ねて見たのかも知れませんね。

仙厓さんのいた福岡(から山口方面に掛けて)では、フグ(河豚)を濁らずにフクと発音するので、読みの同じ「」の字を当てて使う事があった様で、ちいと膨(フク)れたにも更に「」を掛けてみたのでしょう。

が重なる 目出度い画の様で、、万物に禅の宇宙・・・なので『禅画』?

※彼岸:春は、春分の日(昼と夜の時間が最も近づく日)を中日として、前後各3日を合わせた7日間の事です。
 今年(西暦2016年)の場合、3月20日が春分ですので、春の彼岸は3月17日~3月23日となります。



フグの背の斜め等間隔の白筋は、畳の上に紙を置いて輪郭線を描いた仙厓さんが、畳編み目の谷部分で墨がかすれる事()に気付き、急遽角度を調整してそれを背中の柄として利用したものと思われます。意図的であろう根拠は、直後に同じ墨で書き加えた画賛の方には、かすれが無い様ですので・・



※下敷きの畳編み目の筋と墨跡とを描画効果に利用する事は、江戸時代の他の絵師でも行なわれていた事の様です。















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by Ru_p | 2016-01-29 23:47 | アート・コレクション | Comments(0)

だるまさんが・・ (北斎)

達磨図 北斎画   15003 28.1x19.8 紙本
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達磨は中国の禅宗の開祖とされていて、インド人の仏教僧でした。
現在まで残っているのは僅かですが、北斎は、その生涯に数多くの達磨図を、好んで描いていた様です。
(北斎は、妙見を始め様々な仏尊を信仰し、また描いてもていた様ですが、彼自身の仏門の宗派は不明らしいです)


北斎は、この様なヒゲ面でとぼけた雰囲気の顔(ちょっと顎を突き出す様なしぐさ)の人物を多く描いていました。
現存する自画像や肖像とは違う様ですが、実際の北斎自身の雰囲気(又は、その内面)がこんなだったのではないか(?)と想像してしまいます。人物画が描く人自身に似て来るのは自然な事なので、場合に依っては『眼瞼下垂』(まぶたが下がりがちになる症状)があった可能性も考えられます。また、寛いだ雰囲気の画に特にそれが多いので、画業で日頃頭部を前傾させる事が多かった彼には、首の凝りを癒すために、頭を後方に反らせて休憩する習慣があったのかも知れません。




線が雑に見えますので「席画」として描かれた物でしょうか・・・
(落款・印章から北斎五十代始め頃の制作かと思われます)











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by Ru_p | 2015-06-13 00:11 | アート・コレクション | Comments(0)

見性成仏・・・・ (白隠)

達磨図 白隠筆 14003 35.5x38.5 紙本
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これは白隠さんが禅の教えを説く為に描いた『禅画』なのだそうです。

画の中で、眼光鋭く「見性成佛」と唱えている達磨ですが、この言葉は「人の本性をしっかり見据えることで仏道を成就する」と言う意味らしいです。実際に達磨が使った言葉なのかどうかは不明らしいのですが、白隠さんはこの様な達磨図を生涯に数多く描き残し、画の中で一貫してこの(この字を含む「直指人心見性成佛」の)語を唱えていた様です。











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by Ru_p | 2015-06-12 19:53 | アート・コレクション | Comments(0)

酒宴の禅画?

絵師ではなく、禅僧だった仙厓さん。
画で禅の教えを説く作品は多く残っていますが・・・

  この自画賛には
  「 山中で酒を呑のは 誰だか さむらい 坊主 庄屋 船頭
   と書かれている様です。
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  山中酒宴の図 13010 仙厓義梵筆 紙本 30×128

端正な画や字も得意だったそうですが、敢えていかにも ヘタクソ風な筆致で描く。
それなのに、登場人物は可愛らしくキャラクターも個性的に描き分けられています。

下の方には、屋外パーティーの食材に供される鶏や野菜が載ったカゴと天秤棒が描かれ、状況説明されています。(隣の犬君は、食材ではないのでしょうね)

奈良時代から続いた獣肉食禁止の習慣は、江戸時代でも有ったはずですが、四つ足でない鳥(兎も鳥と同類視され)や魚はその対象から外れていたので、食べても悪くはない様に思えます。
ただ、江戸時代には度々、奢侈禁止令(しゃしきんしれい)と呼ばれる、贅沢(奢侈)を禁止して倹約を強制する法令が御上から出されたので、この様な酒宴は行ってはならない行為だった事がしばしばありました。
しかし、中には、隠れてでも贅沢行為を求める輩がいたはずです。

ところで、この絵の坊さんは仙厓さんご本人ではないと言うことなのでしょうか?

仙厓さんは、庶民を愛し、サムライの権威を大変嫌っていたので、目先のご馳走には惑わされず、逆にこの様な風刺画で批判を行ったとも考えられます。

仙厓さんは、美濃(ミノ)の国で、新任家老の悪政に対して
「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう 」
と狂歌で批判を行い、国を追放された事が有あったそうです。また、その際更に
「 から傘を広げてみれば天が下 たとえ降るとも蓑(ミノ)は頼まじ 」
とも詠んで屈しなかったと言う話も残っています。
権威や権力に流されない高潔な人だったのでしょうから。

(ですが、僧の身でも、酒は大好きだった事も確かでして、批判を覚悟でご自身の姿を描いた可能性もありますね)
 
それで、この楽しそうな場面の画も 『禅画』 なの? と問われると・・・







































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by Ru_p | 2014-12-02 12:57 | アート・コレクション | Comments(0)

ひょうたんなまず

瓢鮎図(ひょうねんず) 無落款 36.5×28.8 13023
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"瓢鮎図は瓢箪で鯰(ナマズ)を捕らえると言う禅の公案(修行の為の難題)をテーマにした画です(中国から伝わって来た「」の字は「ねん」と読み、《あゆ》ではなく《なまず》の意味なのだそうで、という字が日本で作られた「国字」なので、ここでは元の字の「」が使われるのだそうで、とても複雑)。




【参考】
上の画とは別に、今から600年以上前の室町時代に将軍の足利義持が画僧の如拙(じょせつ)に命じて描かせたと言われる作品が最も有名で、そちらは国宝にも指定されていて、かつては京都の妙心寺塔頭(たっちゅう)の退蔵院に在りましたが、その後京都国立博物館に寄託された物で、美術の教科書にもしばしば登場するほど美術史的に大変希少な資料としての意味を持つ作品なのです。
下が参考のための、その如拙筆の瓢鮎図(75.8×111.5)
上半分の画賛の文が、当時の著名な禅僧30人による、この公案への回答に相当し、制作当時は障壁画で、下半分の図の背面に在ったのだそうです;この画賛によって、制作年代や作者を含む制作背景が明らかになるから、歴史的資料としての価値が大きい らしいのですが・・・・

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辞書による「瓢箪鯰」という言葉の意味では、《「瓢箪で鯰を押さえる」から》とらえどころのないようす。要領を得ないようす。また、そのような人。という説明を見かけました。
当然、瓢箪で鯰を捕らえさせる事など実際には不可能な難題と思われていたのでしょう。どうやってこの後鯰を捕らえようとするのか判りませんが、上の方の画の場合には、下の国宝の模写とも違い、あり得ないと思える程大きな瓢箪と鯰との組み合わせで、運ぶ人物も鯰も共に愛らしく、楽しそうに描かれていて、好きな画です。

室町時代に、如拙、周文、雪舟らの有名な画僧が幕府の庇護を受けて活躍していた後に、狩野正信が御用絵師としての座に着き、以後約400年にわたって活動し続けた狩野派の存在を考えると、この画題を扱わなかったはずがないので、上の画はそんな狩野派の誰かが残した可能性があるとも考えられますが、厳密にはいつ頃の誰の画なのかは判りません。

鯰には長い髭があるせいか、英語圏では“CATFISH”とも呼ばれ、どことなく愛嬌を感じさせるキャラクターなのですが、何か神秘的な能力を持っていそうな雰囲気も感じられます。
江戸時代中期になると、この様な瓢鮎図とは別にも鯰を描いた『鯰絵』が、地震や疫病など、人の力ではどうしようもない災難に対する民間信仰でのお守りとしての意味を持つようになり、浮世絵や大津絵での版画の出版物も含めて多数が世に出回る様になったそうです。





※鯰捕りの方法として、「コロンブスの卵」を参考に発想転換してみますと、ウナギ漁に使う筒の代わりに、瓢箪の底を割って穴を開けて水に沈め、鯰が入るのを待って引き揚げる、と言う単純な方法が思い浮かびましたが、もしもそんな方法で解決してしまったなら、600年の歴史有る難問だったはずの禅の公案がとても軽かったということにも・・・


















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by Ru_p | 2014-01-03 01:34 | アート・コレクション | Comments(0)

白隠の禅画

 楊柳観音図   10002     42.5×121.0
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観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度
一切苦厄舎利子色不異空々不異色々卽是空々卽是色受想
行識亦復如是舎利(子)是諸法空相不生不滅不垢不淨不遝不
減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香
味觸法無眼界乃至無意識界無々明亦無々明盡乃至無老死亦無
老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依
般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒
夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是
無等等咒能除一切苦真実不虛故説般若波羅蜜多咒卽説咒曰
羯諦々々波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶
明和 第二乙酉佛成道日
   沙羅樹下老衲書拝写


賛文は旧字体の『摩訶般若波羅蜜多心経』(いわゆる般若心経)の写経ですが、よく見ると3行目の8~9文字間に「」の字が脱字。(この位ならご愛敬だと思われますね;写経した原本の方の誤記だったかも知れませんし・・)
文字には意図的とも思われる濃淡の変化があり、無味乾燥と思われがちな経文に景色を与えている様にも見えます。墨には「藍墨」が使われている様です。



白隠さんは多くの観音図を描き残しましたが、このお顔は珍しく目を開けていて、優しく穏やかな表情だと思います。(こんな感じが理想のタイプだったのでしょうか)
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楊(柳)の枝を挿した小瓶で象徴される「楊柳観音」ですが、この枝には悪病を祓い清める力があり除病すると言われていて、そのことが般若心経と関連の深い『陀羅尼集経』にも見られるそうです。
また、職業絵師ではなく、僧侶であった白隠さんは『内観法』と呼ばれる独自の健康法(今でも多くの人が続けている)を考案・提唱した人なので、それとも関連があって、この観音を頻繁に描いたのかも知れません。

アニメチックで敢えて下手くそ風にデフォルメを強調した画風は65歳以降のものですが、それによって更にインパクトが強まった様に感じられます。年代的に見ると、後の仙厓さんや更に下った芦雪辺りにも大きな影響を与えたと考えられ、興味深いです。


「明和 第二乙酉佛成道日」は明和2年で、旧暦の12月8日(西暦では1766年1月18日)。
この日付は、何の因か、その後満80歳頃で亡くなる丁度3年前に当たる様です。

※白隠慧鶴(はくいんえかく)
  1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日)
 『沙羅樹下』は60歳頃以降使われるようになった白隠さんの号。
 『老衲(ロウノウ)』とは老いた僧という意味。
 『佛成道日』は12月8日で、お釈迦様が悟りを開いた記念日。




 白隠さんの辞世の言葉は 「 一たび死ねばもう死なぬぞや 」 だとか・・・







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by Ru_p | 2012-12-13 08:45 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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