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白隠の禅画(の4)

白隠慧鶴筆 蓮池観音座像図 自画讃 18008 29×98

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白隠さんが度々描いていた定番的な画題で、観音菩薩の図とその画賛の様です。

上部の賛は、「観音経」(「法華経」の中の「観世音菩薩普門品第二十五」)から引用した、「慈眼視衆生 福海無量」という文言の中の、一文字「(ジュ:「あつめる」意味)」を、「(ジュ:「祝い」の意味)」の文字に置き換えて、一際大きく書き、「(観音菩薩が)海の様に大きな慈悲の心で衆生を見て祝福する」と言う様な意味にアレンジして、画を目出度そうな雰囲気にも見せている様です。

内側に蓮華柄の衣を着て、蓮華の花の宝冠を被り、外側には頭から白い布をまとった、ふくよかで穏やかそうな表情の女性が、両手で印(禅定印)を結び、目を閉じて蓮池に面した岩の上の蓮華座に座り瞑想しています。
その左側には、瓶に挿された柳の小枝が蓮の実の上に載っています。

宗教的絵画で、一般に尊像が描かれる場合には、象徴的に結びつけられたアイテム(持ち物、小道具・背景、又は手足等の特定のポーズ等)が、その尊像の性格を示す約束事として描かれる事が多く見られます。
そのアイテム類は、「持物(じぶつ)」又は「アトリビュート(attribute)」とも呼ばれ、古い経典などの中に、その根拠が示されている場合も有ります。

そんな理由があるので、この女性は、「楊柳観音」とか「白衣観音」と解釈されて呼ばれる場合もしばしばあります。

しかしながら、逆の意味では、どれか一つの尊名には、特定しにくい画とも言えそうです。

場合によっては、この女性を様々な観音の化身の様に見立てて描く事で
、多くの変化観音の、それぞれの優れた能力を集約的に、ご利益として期待させたかったのかも知れません。



観音経の「観世音菩薩普門品第二十五」は、104句(520文字)の(大乗仏教の)経典とされて伝わっています。

白隠さんは、それを上の様に、たった2句(10文字)の画賛に要約して使った訳ですが、それと似た要約版に、「延命十句観音経」(「延命」は白隠さんの命名)という42文字の便利な経典(原典では無く、「偽経」とされる)もあり、(生衆が)それを幾度も唱える事で、救済(の現世ご利益)が期待出来ると信じられていたそうです。

何れにしても、白隠さんご自身が、慈悲の心を持って、生衆の救済を望んでいたからこそ、この様な画や画賛を描き続けていたと言う事なのでしょう。(それが、白隠さんの目指した「禅」の一つの形だったのでしょう)

おそらく当時は、今より多くの生衆の苦しみを目にする時代だったでしょうが、その生衆へは、白隠さんご自身と同様の「禅」の道を勧めるのではなく、観音様への祈願と言う形で救われる手段をすすめた。
(何だか、大昔のお釈迦様の苦悩にも似た、判断や選択の葛藤が感じられます)










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by Ru_p | 2018-05-07 19:55 | アート・コレクション | Comments(0)

白隠の禅画(の3)

鷲頭山図 白隠慧鶴筆 17009 41×108

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禅僧の白隠さんは、65歳を過ぎた頃から、多くの「禅」の教えを、自らの賛文とアニメチックな画とに込めて、繰り返し表現する様になりました。
この「鷲頭山図」も、その意味で同じテーマの画が何点か現存している様です。

賛文にある変体仮名を、母字(表音文字である仮名の元となった漢字)に置き直すと、 
見あけて見連は鷲頭山 見お路せは志け鹿濱能徒里ふね

この時代の仮名交じり文は、濁点も句読点も付けなかったので、更に現代語風に書き直すと、
見上げてみれば、鷲頭山。見下ろせば、志下鹿浜の釣り舟。
(みあげてみれば、わしずさん。みおろせば、しげししはまのつりぶね)

この画賛は、この地域で当時歌われていた民謡(作業歌?)からの引用でもあったので、地元では誰もが知っていた文言だったようです。

画にある三隻の小舟にはそれぞれ、一人が艪で東の風に向かって舟を操り、もう一人が釣り糸を手繰って魚を誘うと言う(穏やかな早朝の)伝統的で、誰もが見慣れていたであろう一本釣り漁の様子が簡潔な筆遣いで現されています。


「鷲頭山」は、富士山の南南東約30kmで、伊豆半島の付け根西側に位置し、沼津アルプスとも呼ばれる標高392mの低いながらも険しさのある山で、画とも雰囲気は似て見えますが、実物はもう少し勾配が緩い様です。
白隠(はくいん:1686~1769)さんが晩年を過ごした原の松陰寺からも、約10kmと近い場所でした。

志下(しげ)の「鹿濱(ししはま)」は、鷲頭山の南西約1kmの駿河湾に面する小さな漁村の地名でしたが、今では読みはそのまま同じで「獅子浜(ししはま)」と言う字の地名に変わっています。


ここで、鷲頭山を見上げるべき崇高な存在として象徴的に扱っている理由ですが、お釈迦様が悟りを得た後に、『無量寿経』や『法華経』を始めて説いた聖地とされる山の名前(梵語でグリドラクータ:鷲の山を意味する/和名:霊鷲山)と通じるので、その聖地(霊山)に見立てたからと言う説が一般的には知られています。

(但し、この画の場合には、鷲頭山の背後に、「霊山」として名高い富士山や愛鷹山まで描いていあります;この画の鷲頭山の向きですと、富士山はもっと左側に見える筈で・・・ご愛敬かな?/何点かある同テーマの画の中では、構成や体裁が比較的整って見えますので、遅い時期の作品だったのかも知れません)


そしてもう一つ、(未だ何方も言及されてない解釈の様ですが)更に大きな理由が考えられます。
それは、文明元年(1469)に金比羅大権現の分霊(わけみたま)によって祀られた「鷲頭神社」が、江戸末期までは、この鷲頭山の山頂に鎮座していたと言う事です。
(明治維新の後、北東約1.5km先の天満山へ、周辺の神社と合祀しての遷座が行われてしまいましたが、その奥宮だけは現在でも鷲頭山の山頂にひっそりと残されています)

全国の金比羅神社の総本宮となる讃岐の金比羅宮(明治以降には金刀比羅宮と改称)の社殿が建っていた山は、名を象頭山と呼ばれています。象頭山という名は、もとはインドのガヤの南西にあって、お釈迦様と因縁の深かったガヤー・シーサと呼ばれる霊山の和名なので、そこにあやかって付けられた様です。
象頭山と鷲頭山(霊鷲山の別名)とは、インドでは約50km隔たった別個の山(霊山)ですが、日本では似通った由来を持つ名前なので、混同される事もしばしばあった様です。

金比羅宮のあった象頭山(標高538m)は、「日和山」とも呼ばれ、海の民が船を出すかどうかを判断する際に日和を見る事(天候予測)にも利用されていたそうです。この画にある釣り人を含め、海に生きる人々は、おそらく分霊された方の鷲頭山山頂の神社にも金比羅の神の霊験を感じつつ、日々の海上安全を祈願していた事と考えられます。

金比羅神は、もとはインドのクンピーラ神と言われ、ガンジス川に住む鰐(ワニ)が神格化されたものとも言われていますが、日本では仏教に守護神として取り込まれ、「金毘羅大権現(※)」(主に海難や雨乞いの守護神)として信仰される様になったそうです。(日本古来の「神」とは無関係ながら、神仏習合や修験道が融合して、更に江戸時代の民間信仰の流行の波も加わり、当時は特異な隆盛を誇っていました)




(※)

数多い白隠さんの墨蹟の中には、「金比羅山大権現」と書かれた書が複数ありますので、白隠さんは当然「金比羅大権現」に対して強い敬意を持っていたと考えられます。

(白隠さんの墨蹟;「神号」/『墨美』より;龍翔寺蔵)
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白隠さんの時代(廃仏毀釈運動が起こった明治維新よりも百年以上前)の「金比羅さん」の総本宮と言えば、讃岐にあった象頭山松尾寺の金光院に祀られた「金比羅大権現」が主祭神だった訳ですが、何故か何れの墨蹟を見ても、「金比羅」と「大権現」との間には敬称の「さん」ではなく、「山」の文字が書かれています。

(もしかして白隠さんは、揮毫の時に対の様に書いていた「秋葉山大権現」の「山」の意識が強かったので、つられて書いてしまったという単なるご愛敬だったのか?   それとも何処かの「山」 を意図して・・?)









鷲頭神社の前身(金比羅大権現を祭祀)があった鷲頭山は、白隠さんの時代(江戸中期)には、仏教とも関わりの深い場所であったと同時に、地元の庶民にとっては「見上げるべき」崇高な「山」であった事でしょう。

現存する同一テーマの他の「鷲頭山図」の中には、鷲頭山の中腹に大きく鳥居の形(神域を示すシンボル;実際のその位置に、こんな大鳥居はありません)が描き込まれている例もあります。
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(鳥居の描かれた「鷲頭山図」/『墨美』より;旧山本發次郎コレクション)




白隠さんは、同じ視界(一枚の画の中)で、崇高な聖域と庶民の日々の生業とを、対比させながらも、ごく身近に共存している様に表現する事で、「禅の宇宙観」を、見る人に判りやすく解こうとしたのではないでしょうか。










【参考】


江戸時代に「金比羅さん」として庶民に親しまれた象頭山松尾寺の金光院は、元々は神仏習合の寺社だったので、仏教(真言宗)の「寺」でもありました。
ところが、明治時代には、近代日本の歴史上の大きな汚点(政治と宗教の絡んだ)とも言うべき神仏分離令や廃仏毀釈運動での弾圧の標的とされた為に、改宗を迫られ、結果として廃寺にまで追い込まれてしまい、多くの貴重な尊像や経文までもが焼却などで失われてしまいました。


金比羅大権現尊像 (紙本肉筆:作者不詳)

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明治初期には、異なる祭神の宗教団体が、信者をほったらかしで、入れ替えわってしまうと言う、大胆な組織改造が『権力』に依って強行されていたのです。
現在の『金刀比羅宮』での祭神は、大物主命(と崇徳天皇)に代わってしまい、有名な歌にまである「金比羅大権現」ではなくなっています。

(♪~♬)
金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
一度まわれば


明治42年には象頭山松尾寺が、『金刀比羅宮』を相手に、建物や宝物の所有権返還請求の訴訟を起こしましたが、当時の高松地方裁判所に依って棄却されています。





今日の日本では考えられない様な権力による暴挙があったのですね。
(学校では詳しく教わらなかった歴史)

鷲頭山山頂にも分霊されていたる「金比羅大権現」の存在が、ますます有難く感じられそう・・・








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by Ru_p | 2018-03-10 17:20 | アート・コレクション | Comments(0)

見性成仏・・・・ (白隠)

達磨図 白隠筆 14003 35.5x38.5 紙本
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これは白隠さんが禅の教えを説く為に描いた『禅画』なのだそうです。

画の中で、眼光鋭く「見性成佛」と唱えている達磨ですが、この言葉は「人の本性をしっかり見据えることで仏道を成就する」と言う意味らしいです。実際に達磨が使った言葉なのかどうかは不明らしいのですが、白隠さんはこの様な達磨図を生涯に数多く描き残し、画の中で一貫してこの(この字を含む「直指人心見性成佛」の)語を唱えていた様です。











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by Ru_p | 2015-06-12 19:53 | アート・コレクション | Comments(0)

白隠の禅画

 楊柳観音図   10002     42.5×121.0
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観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度
一切苦厄舎利子色不異空々不異色々卽是空々卽是色受想
行識亦復如是舎利(子)是諸法空相不生不滅不垢不淨不遝不
減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香
味觸法無眼界乃至無意識界無々明亦無々明盡乃至無老死亦無
老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依
般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒
夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是
無等等咒能除一切苦真実不虛故説般若波羅蜜多咒卽説咒曰
羯諦々々波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶
明和 第二乙酉佛成道日
   沙羅樹下老衲書拝写


賛文は旧字体の『摩訶般若波羅蜜多心経』(いわゆる般若心経のこと)ですが、よく見ると3行目の8~9文字間に「」の字が脱字。(この位ならご愛敬だと思われますね)
文字には意図的とも思われる濃淡の変化があり、無味乾燥と思われがちな経文に景色を与えている様にも見えます。墨には「藍墨」が使われている様です。



白隠さんは多くの観音図を描き残しましたが、このお顔は珍しく目を開けていて、優しく穏やかな表情だと思います。(こんな感じが理想のタイプだったのでしょうか)
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楊(柳)の枝を挿した小瓶で象徴される「楊柳観音」ですが、この枝には悪病を祓い清める力があり除病すると言われていて、そのことが般若心経と関連の深い『陀羅尼集経』にも見られるそうです。
また、職業絵師ではなく、僧侶であった白隠さんは『内観法』と呼ばれる独自の健康法(今でも多くの人が続けている)を考案・提唱した人なので、それとも関連があって、この観音を頻繁に描いたのかも知れません。

アニメチックで敢えて下手くそ風にデフォルメを強調した画風は65歳以降のものですが、それによって更にインパクトが強まった様に感じられます。年代的に見ると、後の仙厓さんや更に下った芦雪辺りにも大きな影響を与えたと考えられ、興味深いです。


「明和 第二乙酉佛成道日」は明和2年で旧暦12月8日で西暦1766年1月。この日付は満80歳頃で、亡くなる3年前になるようです。

※白隠慧鶴(はくいんえかく)
  1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日)
 『沙羅樹下』は60歳頃以降使われるようになった白隠さんの号。
 『老衲(ロウノウ)』とは老いた僧という意味。
 『佛成道日』は12月8日で、お釈迦様が悟りを開いた記念日。




 白隠さんの辞世の言葉は 「 一たび死ねばもう死なぬぞや 」 だとか・・・







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by Ru_p | 2012-12-13 08:45 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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