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大文字 焼き?(芦雪)

大文字山送り火の図 長沢芦雪筆 紙本彩色 48×111: 17011_R33  
大文字 焼き?(芦雪)_e0259194_14403213.jpg
〔落款署名の書体の特徴から1780年頃の風景と推定〕



この頃の京都でも、盆の送り(お迎えした精霊を再び冥土に返す為の祭礼)は、既に(民間信仰での)恒例行事だった事でしょう。
(その起源は不明確ですが、古来からの習俗で、祖先の霊への供養の信仰に由来していると考えられます)

画の右上には、山の中腹の「大文字」形に配された火床に上から次々と点火する(下からの点火だと、逃げ場が無くなり危険だからか)「送り火」(京都では「大文字焼き」とは呼ばれない )の左側半分の作業の様子が描かれています。




法然院の後の善気山(標高271mのこんもりとした所)辺りから、ほぼ東方向を向いて、すぐ隣の大文字山(標高465m)の中腹を見上げて写した様です。
(正面の火床までの距離は、およそ百メートル程度か)
大文字 焼き?(芦雪)_e0259194_14563719.jpg
(現代では樹木が繁茂して視界を遮り、全く同じ方角には見通せない様です)




盆の送りは、旧暦7月16日(新暦換算すると8月中旬~9月初旬で年毎に変動)に行われた、秋の(旧暦で7月は「秋」)夕暮れ後の行事でしたので、薄暗く描かれていますが、現代の大文字山の送り火(新暦8月16日の20時より点火開始)よりも早い時刻だったのでしょうか。
旧暦で7月16日は、毎年満月の直後頃になるので、日没の少し後の東の空には、円に近い月が出たでしょう(もし月が見えれば大凡の時刻も判ります)。
(盆の送りや迎えは、満月の前後に行われる民間信仰での儀式でした)



現代の大文字山での火床(標高290~370m)は架台が水平に出来ていますが、この画での火床は、急な斜面に直接薪を格子状に積み重ねた様に見えますので、毎年同じ場所だとしても、手際の良い点火を行うには苦労した事でしょう。
全火床を描いてはありせんが、現代と同数なら、全部で75基だったはずです。
現代では大文字の交点の火床(金尾:かなわ)が一際大きく造られていますが、この時代には未だその様な構造の特徴は無かった様です。

この画では、高い所の炎と煙が、強い南風に煽られ、ほぼ水平にまで棚引いて、火災が心配になる程の勢いですが、消火器も貯水槽も無い時代の、非常に危険な作業なので、時には「山火事」に近い事故も起こっていたのでは無いかと考えられます(しかし、何故か火災に関する記録が見付かりません)。
予め樹木や下草が除去されている範囲が、現代の大文字山よりも広そうですし、奥の尾根にいる人達は、延焼防止の為の見張り役もしていたのでしょう。
(終了時の残り火の始末は、当然厳重に行われていたはずです)

使われていた薪材は、何処かで予め乾燥させておき、そこから参加者達が分担して「火床」まで運び上げ、設置していたのでしょう。
現代の大文字山では、の護摩木が使われていますので、恐らくこの画の薪材も、入手が容易で煙も多いが使われていたのでしょう。
(各火床の薪の量が、現代に比べて非常に少ないのて、「省エネ」や「脱炭素」ではあっても、燃え尽きるまで時間が短くて、忙しかった事でしょう;本来の「送る」だけが目的なら、これでも充分でしょうが)

画での山の樹木の植生は、現代よりも密度が低目なのに、(赤松?)ばかりが多く目立っています。
芦雪(長沢蘆雪:1754~1799)の他の風景画にも共通しますので、この頃の京都付近の山の植生には、そんな傾向があったのでしょう。
(後にそのの多くは、病害虫の為に枯れて姿を消し、現在の様な植生へと換わって来たのでしょう)


この画に描かれている人だけで、41人を数えられますが、全体なら、恐らくその倍以上の人手が掛かる作業だった事でしょう。
髪型や衣服、素朴で和気藹々と楽しげな表情から、近隣に住む顔見知りの常連仲間達らしく、特に主導的な人(僧侶や役人)が見分けられないので、強要ではなく、自主的に参加した人達だったと思われます。

江戸時代の戸籍管理は、主に寺の過去帳で行われていたので、場合によっては、まだ近くの寺に、彼らの名前が残っているのかも知れません。
(現在では、浄土院の元檀家等の世襲による「保存会」の手で、行事が仕切られているそうです;「京都市登録無形民俗文化財」にも指定)
大文字 焼き?(芦雪)_e0259194_15054027.jpg
これが当時の一般庶民の普段の作業姿だったのでしょうか、中には裸足で参加している人も見えます。
(これ等は踏襲されていませんが、何かの時代考証で参考に出来そう)

松明が、現代使われている物と比べると、非常にコンパクトで先端だけに炎がある様なので、その部分に、油と芯の壺でも仕込んであったのでしょうか?
長時間保って、軽くて火の粉も出にくい構造が求められた事でしょうから。





【芦雪の若い修業時代の画?】

更に一人づつを見比べると、体型・姿勢・顔つき・服装・持ち物など、執拗な観察に基づいて、意図的に「描き分け」を試みた(極端なほど別々の個性を強調)とも感じ取れます。

登場人物の表現は、職業絵師(後年の芦雪の場合にも)であれば、主要な人物では特に重点を置き、そうでもない存在では味付けを省略する事も出来るのですが、この画では、取りあえず要領よくまとめようとする「逃げ」の作為があまり感じられません。
ある意味では、敢えて「十人十色」又は「百人百様」への描き分け表現に挑戦したかの様に見えますので、課題又は修行の為の描画だったのではないかと考えられます。
師匠の応挙(円山応挙:1733~1795)ですら、若い頃には様々な物を描いて修行を重ねて来たので、当然とも思えます。
(「大文字山送り火」の遠景ならば、「伝応挙筆」の1760年前後頃の「眼鏡絵」にも描かれている様ですが、夜景でなく、火床数が25カ所しか見えず;その頃の火床数は少なかったのか??)

ところで、芦雪の落款で、この様な楷書での署名の例は、主に天明年間の頃(20代半ばから30代始め頃〔1780年代前半?〕まで)使われていた様(その後草書に代わり、楷書は殆ど見られず)ですので、恐らくその頃までに描かれた画なのでしょう。
(その気なら、材料の一部からの年代測定は、まだ可能でしょう)

また、この画の本紙に使われている用紙ですが、比較的雑に裂かれた、薄くて小さなサイズの紙片が十数枚継ぎ合わされ、裏打ちで、どうにか一枚の画用紙としての体裁に整えられている状態です。
大文字 焼き?(芦雪)_e0259194_07295416.jpg
(継ぎ目部分拡大;用紙の割り付けが不揃い)

紙の継ぎ跡も比較的雑(不揃い?)に見え、また、裏打ち紙(肌裏)の一部に、月の様な丸い穴まで開いていますので、修行中だった芦雪が、練習用(又は、課題?)で使う目的で、自から裏打ちを行った可能性も考えられます(芦雪の性格なら、その穴を、本当に見た月と重ねて使った可能性も有りそう)。
少なくとも、客に依頼された描画に使うべき品質では無さそうです。

修業時代の芦雪が通っていた京都四条の師匠(応挙)の住居は、送り火を写生した大文字山付近から近かった(南西方向に、約4km)ので、持ち帰った下描きを基に、忘れないうちに、この用紙に描いてみたら、思いの外良く描けたので、署名押印して、自身の財産ともなる下絵集にでも加えることにしたのかも知れません。
(現場での下描きは、上半分と下半分とを別々に描いたのでしょうか)


芦雪(や応挙)の画には宗教画が少なくて、この絵でも、宗教的な行事を描いてはいますが、恐らく本人の関心は、信仰心の伴う「霊を送る」儀式への参加よりも、生きた人間や迫力ある焔の存在感を、それらしく表現する修行(練習)の方にあったと考えられます。
(裏方作業の描写を優先して、肝心の「大文字」は半分しか描かれず)





[描かれた経緯が何にせよ]

江戸中期の「大文字送り」の具体的資料が、他には殆ど現存していないので、当時の作業風景を詳細に描写したこの画は、極めて希少で貴重な「歴史的資料」と言えるでしょう。



(見ていて飽きない、好きな画でもありますし)










「お盆」には、地域や時代で様々な風習や解釈があります。
その一つで、旧暦7月1日の「釜蓋朔日(かまふたついたち)」には、「地獄の釜の蓋が開く」とも言われています。

旧暦での日付は、月の満ち欠けと一致してますから、その日は「新月」頃に当たり、先祖の霊をお迎えするお盆(中日7月15日)が、「満月」頃に当たりました。
それ故、翌日(霊を送り返す16日)も、円に近い明るい月夜となり、恒例の「盆踊り」も、深夜まで盛り上がる事が出来たのでしょう。

ところが、明治5年に、旧暦から新暦に移行され、毎年変化する月齢の差も、便宜上「1ヶ月違い」と見なす新習慣に定着して来ました。
これは、月の満ち欠けを全く無視していますので、「恐らくそれ以来、多くの精霊達が冥界を彷徨い、迷惑し続けている(?)」と言う解釈(妄想)も出来そうです。(あの世の暦が、そのままならば)


そこまで考える人が少ないからでしょうが、他にも、多くの歴史と伝統のある「祭礼」が、新暦への移行に伴って、月齢との関連を愛でて来た古来の趣を失ってしまっている事は、とても残念です。
(旧暦なら例えば、ひな祭りは桃や桜の花が見頃ですし、七夕は、梅雨に掛からず晴れた夜の星空を期待出来る気候だったのでしょう)



(拘りたいのは、私ぐらいかな?)



by Ru_p | 2017-07-21 20:05 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の気まぐれ記(ジユウビョウドウ)


by Ru_p

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