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タグ:長沢芦雪 ( 31 ) タグの人気記事

伝説の仙人 (芦雪の1)

陳楠 洪流濟行図 長沢芦雪筆  16006 56*130 紙本肉筆
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「陳楠」は、伝説上の『仙人』達(約500人)を集めて紹介した『有象列仙全伝(校次:世貞輯/1526~1590)』と言う中国の本(全九巻の八巻目)に図像と共に載っています。
その図像は上の画とよく似ているので、おそらく芦雪は、そんな資料を見る機会があったと言う事なのでしょう。

これと似た資料が他にも幾つか世に存在するのですが、長い間に様々に編集が繰り返されたらしく、微妙に記述が異なるので、何れのどの部分が大元の資料に近かったのか、今では判断が難しいところです。

その『有象列仙全伝』の原文から、陳楠に関する部分を
下に抜き出して(異字体は修正)みました。

陳楠字南木号翠虚。
傳羅人。
以盤櫳箍桶為生。
後得太乙刀圭金丹法於毘陵禅師。
得景霄大雷琅書於黎姥山神人。
能以符水捻土愈病。
時人呼之為沈泥九。
時披髪日行四五百里。
鶉衣百結塵垢満身。
善食犬肉終日爛酔。
嘗之蒼梧遇郡禱旱。
翠虚執鉄鞭下漳駆龍須曳雷雨交作過三山大義渡。
洪流舟不敢行。
翠虚浮笠而濟。
行欽管道中遇群盗拉殺之瘞三日盗散復甦遊長沙。
衝帥節。
執拘送邕州獄數夕回長沙矣中夜坐或倉水銀。
越宿成白金常自言(関?)世四十五。
然人傳有四世見之者。
以丹法授白玉蟾寧宗嘉定間。
於漳入水而解去當日有葛縣尉在潭州寧郷見之。
翠虚與尉父相能。
因寄書潮州達其父計之即水解日。
巳復與其父相見。



【これを勝手に解釈してみますと】

陳楠は、字を南木・号を翠虚、及び泥丸(原文中「泥九」ですが編纂読取りミス?)と呼ばれていた。
傳羅県(今の広東省恵州市;ホンコンの少し北の辺り)の人。
盤(さら)・檻(おり)・箍(たが)・桶(おけ)を作る事が生業だった。
異なる不思議な術を伝授される機会があり、それぞれ会得していた。
その能力で、泥を扱い病人を癒やした事で、泥丸(九?)とも呼ばれていた。
髪を振り乱し、時には日に百数十㎞(中国の一里は約400mらしいので)も走る事があった。
酷いボロ着と垢まみれに汚れた身なりでいた。
犬の肉をよく食べ、終日泥酔していた。
干ばつで人々が苦しんでいる時には池に入り、鉄ので龍を連れだし、雷雲を起こさせ雨を降らせて解決させた。
洪水となり、舟が進めなくても、陳楠は浮かせた笠に乗り渡る事ができた。
旅先で盗賊に襲われ、死んでしまっても、数日後には元気に甦ってみせた。
(以下省略)

つまりは、不老不死と言われた人の荒唐無稽なお話。


ここでの、
傳羅;この地名は紀元前214年に設置され、紀元後280年(太康元年)に博羅県と改称されています。
鉄鞭;製鉄は、前600年ころから始まり、前50年ころからは武器も鉄製となり、後漢(8~265)の時代には、鋼も量産されていたそうです。

以上の事から,
「陳楠」が実在したのならば、前1世紀~後3世紀頃の人物だった、と推測出来そうです。
(二千年近くも昔ですと、まともな資料が残ってなくて当然でしょうね)
超人の存在への期待と憧れから、伝承に尾ヒレが加わっている可能性が高い事でしょう。


これは、芦雪がいかにも好きそうな題材で、思い切りよい勢いのある描線で、陳楠の不気味なキャラクターが見事に描かれています。
当時、こんな大胆にデフォルメされた画って大衆にも好まれたのでしょうか?

まるで漫画の世界を見ているようで・・・♪






これぞ 絵 空 事




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by Ru_p | 2017-06-02 18:03 | アート・コレクション | Comments(0)

月にひとり (芦雪)

 長沢芦雪筆 月下に烏図 17002紙本 305*108 
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円い月の手前に老木とカラスのシルエットが、墨の濃淡だけで簡潔に(迷い無く)描かれています。

カラスまでの距離は約40メートル?(標準的なカラスの体長と月の直径角との関係からの逆算にて想定)。この位の距離だと恐らく、月からの逆光のために細部まではよく見えなかった事でしょう。
(月夜って、月面が4パーセント位の反射率で太陽光を反射するらしく、けっこう明るい)

細かく再現する必要も無い叙情的な景色、観る者の想像力で様々な世界に見える画だと思います。


前回の投稿でも触れましたが、「カラスは生涯完全に一夫一婦」と言われています。
独り、手の届かない月を観入るこのカラスの後ろ姿から、失ったもう一羽の事を淋しく想い浮かべて沈んでいる、と芦雪には見えたのかも知れません。

動物や子供が大好きだった長沢芦雪は、一男二女の子供たちを四十近くなってから授かりましたが、立て続けに病で失ってしまいました。(この頃は満五歳まで育たない子供が大半だった様です;徳川将軍家などの系図記録をも参考とした場合)


芦雪にとって、このカラスの姿が 彼自身と重なって見えたのかも知れない。と思えて来ました。



(あくまでも想像ですから、自遊な解釈で・・・)












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by Ru_p | 2017-04-16 19:38 | アート・コレクション | Comments(0)

鬼の姿 (芦雪)

長沢芦雪筆 餅を食べる鬼   紙本 27.5×63 16016
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鬼は伝説上(架空)の存在なので、当然写生は出来ないでしょうが、どこかの画で見た記憶があれば似た画に描けるのかも知れません。既に平安から室町時代の鬼は、「鬼門」と呼ばれる北東(丑寅:うしとら)の方向の呼び名に由来して、角・牙・褌等を牛と虎の特徴を組合せた姿とされていたので、今日広く定着した鬼のイメージとも殆ど違ってなかった様です。

この餅を食べる鬼の図は、琉球の古い伝説を画題にしたと思われます。
琉球の舜天王の時代(12~13世紀頃?)
出来事として語り継がれて来た話で、18世紀(1745年)に編纂された沖縄の歴史資料 球 陽 の中でも、年寄りからの伝承として記述されています。
本土では、馴染みの薄い沖縄の昔話なのですが、琉球では、古くから日本(朝廷その他)との人的交流が盛んに行われていたので、その話が当時京都に住んでいた長沢芦雪(1754~1799)の耳にも届き、画題として扱われる事になったのかと思われます。(江戸時代には「琉球ブーム」もあり・・)

この鬼が食べようとしている大きな餅は、沖縄では鬼餅(ムーチー)と呼ばれ、邪気(鬼災)を払う縁起物として食される習慣が既に広まっていたらしく、おそらく芦雪は、需要の多い「縁起物」としてこの画を描いたのではないかと思われます。
(芦雪は、何故か他にも珍しい昔話を題材として多くの画を描き残していますが、今では、それらを見て想像を膨らませる以外に、真の作画意図を知る術は無さそうで・・・)

その歴史資料の 球 陽 には、親を亡くした兄妹の兄の方が人を殺し、その肉を食べる様になり、「鬼」として人々から恐れられてしまった事で、肉親としてそれを憂慮した妹が、自ら兄を退治する為に、兄の好物だった餅に鉄(「・・餅内装丸・・」)を入れて食べさせ、騙して崖から落として死なせると言う話(多少不自然な展開の悲劇)が漢文で記されています。
(その話は、後世沖縄の各家庭で、縁起物の「鬼餅」を旧暦12月8日に食べる習慣として広まった事の根拠の様でもあります)

ここで個人的には疑問が生じました。

餅の内に入れた「鉄(丸)」程度で、鬼を退治が出来たのでしょうか?
貧しい妹が、そんな不確実な作戦の為に稀少な「鉄」を使うのは不自然では?

何世代も伝承が繰り返されて来たのでしょうから、基の話と内容が変わってしまっている可能性が大きいでしょうし、編纂当時の琉球では平仮名(表音文字)は普及していましたが、漢字は未だ未成熟だったようですから、記録内容に怪しい部分があったとしても不思議ではありません。(文字の無かった琉球で漢字が通用し始めてから、あまり長くは経ってなかったので)

そこで、沖縄なら簡単に入手可能な毒性植物の蘇鉄(ソテツ)の存在が思い当たり、上の「餅内装鉄丸」が「餅内蘇鉄丸(実?)」の伝承ミス(読みも似ている為)だった可能性を想定してみました。

蘇鉄(ソテツ)は、18世紀以降の琉球では、毒を抜く加工方法が普及し、飢饉時の非常食として、保存しておいた種子などを食べる事もあったのですが、この鬼の時代(12〜13世紀頃?)にはまだ、食べれば死ぬ事がある 強い毒 (サイカシン)の植物だった(今でも牛が誤食して死ぬ例が多く、時には角が抜け落ちた例も有るそう)と思われます。
また、秋から冬にかけて朱色の実(種子)を成らせますので、この伝説の鬼の死んだとされる12月8日にも近く、つじつまが合いそうです。

更に、琉球にとって日本よりも繋がりが深かった中国では、蘇鉄(ソテツ)が「鉄樹」という名前で呼ばれていたそうですので、この話で単に「鉄」と混同されたとしても、無理も無かった事でしょう。


そこで餅の中身ですが、 「装鉄」の文字を「蘇鉄」に置き替えれば、
説得力の有る鬼退治ストーリーが 成立、   メデタシ


今まで誰にも指摘されていなかったとは、とても不思議。
(食べずとも、鉄なら重さで鬼に気付かれてしまうから)







もしこの鬼が昔話の通りなら、元の姿は人間で、それが醜く変わり果てていた事になります。
慢性的な不況下で食糧に困窮する最下層の人間が、生きるために人間を殺してその肉を食べてしまう様な事は、他でもきっと起こっていた事ではないかと思います。
ただ、おそらく芦雪ならば、そんな地獄絵図(※)や生々し過ぎる鬼人は、描きたくはないと思ったことでしょう。(芦雪の描く生き物達には、多くの場合に、どことなく可愛らしい雰囲気が感じられます)

この鬼、筋肉モリモリなのに、やんちゃ坊主の様なお茶目顔で、
立て膝もカワイイ

・・・・・・・・・おにーちゃん?!








描かれた人物は、往々にして描き手に似てしまうとも言われますが、
その頃の芦雪って、こんな雰囲気?  (まるで、謾画・・・ )





e0259194_12532629.jpg(※)この画の印は芦雪の寛政以降の作品に使われていた物の様ですが、摩耗が少な目なので、30代後半頃に押されたのでしょうか。(朱文蒲鉾形連印 A)

その頃の芦雪ですと、父親や幼い子供達を相次いで亡くし、暗く悲しい時期だったのかも知れませんが・・・・。








 

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by Ru_p | 2016-06-16 21:02 | アート・コレクション | Comments(1)

オウム も見てた芦雪

長沢芦雪筆 鸚鵡図 (紙本彩色)  15015  44.5x127
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一瞬、何が描かれているのか(?)と戸惑いそな構図ですが、じきに、とぼけた顔で、目の可愛いオウムが正面を向いて茅葺き屋根の上に留まっている様子の画だと分かります。(当時としては、珍しい南方から輸入された鳥)
屋根は上から見下ろす様な形なのですが、オウムと月は、下から見上げる様なので、幾分奇妙な位置関係に感じられます。
 
芦雪の描いた生き物の作品には、特徴の有る方向からだけでなく、あえて描き難い(特徴を捉え難い)方向から描いた画がしばしば見られます。
(この嘴の描き方、なんとなく見覚えもあり・・・けっこう好きです)
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    (目力!)   


ところで、芦雪は、ある事故が原因で片目の視力を失っていたとも言われています。
その事故とは、淀藩に仕えていた芦雪が、藩主稲葉公に独楽の芸を披露した際、放り上げた独楽を受け損ねて、片目に刺さってしまった、と言う事態だったそうです。

いつ頃の事なのか?どちら側の目だったのか?視力は全く失われたのか?などの詳しい事は判らないのですが、もしも、そんな事故が実際に起こったのならば、画の腕前でなく独楽の芸の披露だった訳ですので、若い頃の出来事なのだろうと思われます。(芦雪は29歳で既に「平安人物誌」に、画家として名が載っていた知名人)
かと言って、もっと若い十代から片目では、応挙門への入門も修行も出来なかったでしょうから、恐らくは二十代の終わり(天明初期)頃だったのではないかと思われます。

この事故が原因で、ある時期から両眼視が出来なくなったと仮定するならば、当然それ以後の画の作風に何らかの影響があったと考えられます。
(例えば、芦雪の「美人画」では、天明の始め頃とそれの後とでは作風が明らかに変わったとの評価があります)

片目で物を見た場合、側面の情報を気にせずに済む(空間全体を把握して、より良い視点のアングルを求めたいという無意識の衝動が抑えられる)のではないか(?)と考えられます。また、視野が狭くなる事に伴い、対象物が視界からはみ出る様な多少不自然な距離感をも容認出来てしまう可能性が考えられます。(それってもしや、あの奇抜な構図が生まれた理由に・・・?)

残った片方の目が、右脳が主導的に支配する左目だったのかどうかも判りませんが、奇抜な構図や奔放な筆遣いが特徴として現れた原因が、この失明事件と関連していたのか(?)と意識して、作品群を見直してみることで、納得も期待出来るし、新しい発見も有るのではないかと思います。

上の画は、落款の書体(草書に変える前の楷書の時期の)と、印章(「朱文氷形印」で外周に年代判別の指標となる欠けが見られないこと)から、寛政3年以前の作品と思われますが、

この頃には、もう既に・・・・











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by Ru_p | 2015-09-02 20:47 | アート・コレクション | Comments(0)

三羽ガラス (芦雪)

柳に烏の図 「平安芦雪 写」 (長沢芦雪) 15007 44.7x121.5 紙本
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落款(印章が珍しい)の筆跡に幾らか乱れは感じられますが、いかにも芦雪(晩年近い)の描きそうな画に見えます。(真筆だとしても、もう誰も立証はできませんが、逆にその否定も難しいでしょう)
見ていて飽きず、何故か癒やされる好きな画です。


枝垂れ柳に三羽の烏(ハシボソガラス?)が留まっています。
一般に『三羽ガラス』は、特定の組織内で技量の優れたトップ3を指します。

この画の烏が人の「見立て」だとすれば、芦雪に関連する場合のそんな3人は、円山応挙門下の「応挙十哲」の内の誰かと言うことになるのかも知れませんね。
この画が描かれたと思われる当時の「応挙十哲」筆頭といえば、「長沢蘆雪・駒井源琦・山跡鶴嶺」(この内の山跡鶴嶺と応挙は西暦1795年には亡くなっています)だった様です。
その辺に関連して何らかの「もめ事」(権力争い?)が有ったのだとしても不思議な事ではありません。

そんな見立てで描かれた可能性を踏まえて見直すと(同門同士の画業の優劣は別として)、

      芦雪自身は、おそらく手前で別の方角を向いた・・・(?)












































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by Ru_p | 2015-06-12 12:51 | アート・コレクション | Comments(2)

梅に・・・・ (芦雪)

白梅小禽図 長澤芦雪筆    09040
 
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芦雪は、勢いよく伸びた小枝や蔓を豪快な筆遣いで描き、小動物を描き添える作品を多く残しています。

小禽(小鳥)は、ウグイスではなく、ジョウビタキのオスを描いたものの様に思われます。ジョウビタキは、スズメ目・ツグミ科に分類され、日本では冬から梅の頃に見られる渡り鳥なのだそうです。

種や雌雄の識別が出来るほどよく観察されているのは、さすが 。




小鳥が注視する先に自分の落款とは寝・・
















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by Ru_p | 2015-03-08 12:21 | アート・コレクション | Comments(0)

芦雪の写生画

この画の題材にされた「和しのぶ」 は、秋に紅葉し、冬に枯れ落ち、春には芽を吹く多年生で、着生のシダ植物です。
コケ玉やヘゴ等の塊に根を張らせ、屋敷の軒下に吊して風流に観賞することが、江戸時代のお屋敷で流行っていたようです。

『吊しのぶと雀の図』 長澤芦雪 筆 14016 23.5x126  紙本墨画淡彩
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画のタイトルとしては『吊しのぶと雀の図』と呼ばれるべきでしょうが、しのぶの根は大胆に省略された勢いのある筆遣いで描かれています。更にこの画を見て視線が自然に向かうのは、汚れと見まがいそうな細かな蜘蛛だと思います。拡大してみると、風になびく糸の先の蜘蛛の精緻な筆遣いと、肉眼の限界とも思える観察眼に気付き驚かされます。
(足の線の太さは毛筆の限界でしょう)
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ユーモアとサービス精神に溢れた芦雪は、見る人が驚嘆するであろう細密部分を、さりげなさそうに描くことで、内心密かに誇らしくも悦に入っていた様な気がしてなりません。

それにしても、よくぞここまで描けたもので・・・








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by Ru_p | 2015-01-17 07:56 | アート・コレクション | Comments(0)

【漫画の語源】に関連して


江戸時代の絵師だった長沢芦雪の画の落款には『芦雪謾写』という表現が度々使われていました。

ここで、見た目に良く似た文字の「」ではなく「」と言う文字が使われてたことが気になります。

この「謾写」の意味なのですが、自分が勝手に想像し創作して描いた「漫画」や「戯画」とも似た意味で使っていたことと推測出来ますが、不思議な事に長沢芦雪以外での使用例を、見た事がありません。(今後、探せば有るのかも知れませんが)

【参考:字の意味】
  「謾」の辞書の意味:あざむく・だます・あなどる・軽く見る・おこたる 
  「漫」の辞書の意味:みだりに・むやみに・そぞろに・なんとなしに 

(この二文字は、意味が微妙に違ってはいますが、似通っている面も有るので、例えば、入れ替えて使われたとしても、解釈する上では、それほど重大な問題とは意識されなかったと思われます)


そこで、
「マンガ(漫画)」の語源を、改めてインターネット検索してみたのですが、比較的重要な言葉だと言うのに、どうにも説得力のある説明が見当たらず、、更にその由来を掘り下げて見ることにしました。
(既に、中国から伝わって来た「漫筆」と言う言葉は、古くから日本に在ったのですが、この言葉はマンガの画に対してではなく、文章に対する言葉だった様でした。また江戸後期に、『北斎漫画』や『四時交加』で「漫画」の文字が突然に現れたとするこれまで一般的だった解釈も、それ以前の空白期間が不自然で気に掛かり・・・ )


【 「謾」 が 「漫」 に化けたのでは? 】
江戸時代に使われていた筆に依る手書き文字は(筆穂先の動的な変形が余分な墨跡を生じ易い為)、今日多く目にするペン字的書体の筆跡(活字により近い)とは異なり、書く人のクセによる形の偏差が大きく、当時の人たちにとっても、全てを正確に読み取る事は容易ではなかった様です。(穂先の状態や墨のコンディションによっても大きく変わります)

謾(まん)の文字は、草書で書くと、言偏が三水偏(又は人偏にも)にとても良く似ることがあるので、漫(まん;漫画の漫)と見間違え、混同されて使われる事態が起こっていたのではないかと考えられます。 


 「謾」の草書体文字の例
e0259194_08430984.jpg「ゴンベン」なのですが、
「サンズイ」にも似て見え、


筆者の意図に拘わらず、文字が一人歩きをしてしまい・・・
(昔の手書き文字は、正確に読むのが難しく悩ましかった)









【「謾画(マンガ)」の字を初めて使ったのは、英一蝶?】
歴史的には、安永七年(1778)に、「英一蝶(はなぶさ いっちょう)著」として刊行された、『群蝶画英』と呼ばれる画集(3巻;木版)に使われていた『謾画』の文字が見付かるので、その辺りが「マンガの語源(又は由来)」としては、言葉の始まりの様です。(刊行が原画を描いた英一蝶の没後50年位になるので、『謾画』の文字の初使用者は『群蝶画英』の編纂作業に携わった鈴木鄰松だったのかも知れませんが)

(未だ、どなたもWEB上では言及されていない様ですが、マンガの為の漢字表記の始まりはこの頃で、文字も本来この字だったのでは?とすると 「英一蝶は世界初のマンガ家だった」・・!?)

【「謾」の字を使用、では長沢芦雪も後に関与】
絵師の英一蝶(1652-1724)の名は、その没後も大変著名でしたので、その画集(絵手本;戯画集;当時の業界の最新情報)の文字ともなれば、長沢芦雪等 (当時の職業絵師達;北斎や山東京伝等も)には当然積極的に目を通されていたと考えられます。
また、その画集にある画と似た構図やモチーフの画は、芦雪も幾つか描き残している様ですので、少なくとも芦雪は確実に影響を受けていたと思われます。

芦雪は、遅くとも1787年までに、落款にて「謾」の文字を使い始めています。(芦雪のその落款の書体で古い楷書体の署名は、天明初期の頃〈1782前後〉に使われた物とも良く似ていますので、「群蝶画英」の「謾画」と言う文字にも影響を受けて使い始めたと考えれば、タイミングとしてもストーリーとしても話しが合いそうです/芦雪の作品には、その画集の中でも見覚えの有る画題や構図の物が幾つか有る様ですが、「著作権」「知的財産権」という観念が、日本に全く無かった時代の出来事ですし、原画を描いた英一蝶は、芦雪より100~50年近く前を生きた先輩になりますので、むしろ敬意の表れという解釈もあった事でしょう)

芦雪が落款に「謾写」の文字を使った画(※)を見ますと、彼自身が創作した「遊び心の絵空事」の試みの戯画への「弁解」の意味を込めて使ったのではなかったのか?と感じられてしまいます。(師や先人たちの画を写した場合の「写意」等との、心構えでの区別を強調するために使ったのか?)


【北斎等に混用/誤用され、結果として「漫」の文字が歴史に残った?】
群蝶画英の出版から二十年以上後に、山東京伝の「四時交加(1798/ここでの読み;マングハシ?:マンガとは読ませていないし、意味もマンガを直接は示してない様な使い方)」や北斎の「北斎漫画(1812)」など大衆に影響力の強い人気作家の木版本にて、「マンガ」の漢字表記に( 「謾」に変わって?)「漫」の文字が使われ出版されています。(北斎漫画の元画は、おそらく十年間以上北斎が描き溜めた画をも使って再編集し出版したのだろうと考えられています)

(あくまでも仮説ではありますが)
結果的に、『誤用』(アレンジ?)の漢字表記の方が圧倒的に広く認知されたので、今日にまで至っていると考えるのが「マンガの由来」として、言葉が発生した筋書き(真相)の様に思われます。

【マンガの漢字は元々は】
謾画 ⇒ 漫画  (マンガ)



【北斎の誤用/混用には、北斎謾画にて他にも前例が・・】
実際に北斎漫画の第十三編では「魚藍観音」の名前で、本来の正式な「藍」の文字を誤りの「濫」の字に置き換えて使っている誤用(?)の前例が有ります。
(へそ曲がりだった北斎ならば、誤用でなく故意にアレンジした可能性も考えられ・・・事故だったのか、意図的な編集だったのか、その当て字を使った側も見た側もあまり拘らず・・・でしょうか)




今更そんな古い出来事への仮説の裏付け立証は誰も出来ないのかも知れませんが、歴史の真相なんて、案外そんな事だったのかも知れません。(個人的には ほぼ確信ですが)




【人々が知りたがる「語源」や「由来」の話しには、マユツバが多・・・
そもそも大昔の事では、語源由来と言い切れる確固たる根拠の残る言葉なんて殆どあるはずもなく、噂話が積み上がった程度の事例も多い事でしょう。
検証の手段が殆ど残って無いのですから、先人が発して認知されてしまったら、根拠があやふやであっても永遠に『真実』と同等に扱われてしまう可能性があります。













※【参考
《長沢芦雪の他の画での「謾写」の主な落款使用例》
「龍図襖」(島根県;西光寺蔵/朱文氷形印;欠損無/氷計謾写;1781~1788)
「寒山拾得図」
(京都市:高山寺蔵/朱文氷形印;欠損無/平安蘆雪謾写;1787
「娘道成寺(梵鐘)図」
(ドラッカー・コレクション/朱文氷形印;欠損有/蘆雪謾写;草書体
「猪童子図」(図集「長沢芦雪奇は新なり」より/朱文氷形印;欠損無/蘆雪謾写;1781~1788)

その他(※)

他に似た落款で、「大仏殿炎上図」(個人蔵/銅製の朱文円印/制作年1798)には「即席傍写」と読めそうな似た字が有りますが、これは、その場で即座に写したと言う意味だと考えられますので別物でしょう。
芦雪の場合は、落款の文字を、この様にこだわりを持って使い分けていたと言えそうです。







現代の「マンガ」でも、
「漫画」より「謾画」の文字や意味の方が、馴染む場合もあるのでは?

(マンガの画が誰かを笑わるというのは、構成展開による結果であって)
 見たいのは、自由な遊び心でのみ描き表現される疑似体験の
世界で・・







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by Ru_p | 2014-07-18 19:43 | その他 | Comments(0)

赤鬼の滝 (芦雪)

長澤芦雪筆 (不動七重滝の図) 14009 39x104
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画は、吉野からの大峰奥駈け道と呼ばれる熊野古道の一つが近くを通り、古くから修験道の聖地とされて来た大峰山脈の前鬼川にある、「日本の滝百選」にも選ばれている「前鬼山不動七重の滝」(吉野熊野国立公園の特別地域;奈良県吉野郡下北山村)の様です。
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ここの滝は、峠の道からも見えるのですが、好奇心の強かった蘆雪ならば、少しでも滝壺の近くにまで踏み入って写生しようとしたのではないのかと思われます。京都の一流絵師だった芦雪が敢えて険しい道を越えて、こんな奥地の滝を眺めに来ることには、既に大きな決断や覚悟を要していたことでしょうから。

前鬼川には、他にも三重の滝などがあり、それらの滝は、それ自体も信仰(山岳信仰と仏教が習合した修験道で)の対象だったそうです。
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この画の作画時期は、芦雪の南紀滞在中ではなく、彼の晩年に近い頃(落款印章の右上が欠けているので、満38歳以降;1792年~1799年の間)の様です。
おそらく南紀滞在中に実際に目にしてスケッチした画を持ち帰り、それを基に後日改めて描きなおした物と思われますが、基のスケッチが何時描かれたのかは、資料不足なので厳密には分かりません。
ただ、この画を見ていると、芦雪がこの険しい山奥にまで、自分の足を運んで自分の目で見たことは、確かなのだろうと思われます。(芦雪の足取りには謎が多いのですが、ここにも立ち寄った事の証拠には!/近景の樹木を見て、冬枯れの時季の様ですので、天明7年の冬、南紀から京都への帰路の途中と考えるのが合理的なのですが、となるとその道順は・・?)



滝の画は特に中世以降、李白が吟じた詩「望廬山観瀑」に憧れた日本の絵師達に好まれて、画題として盛んに扱われて来ました。(例えば、谷文晁もこれと酷似の構図の画をバーク・コレクションに見る事が出来ます)




※前鬼:
役行者が従えていたとされる「前鬼・後鬼」と呼ばれた夫婦の鬼の夫の方で、赤鬼として表されることがあるそうです。また、妻で青鬼ともされる後鬼は奈良県吉野郡天川村(直線距離で約20kmと近い)の出身とされているのだそうです。















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by Ru_p | 2014-07-06 14:16 | アート・コレクション | Comments(0)

蘆雪の仔犬

長沢芦雪 筆 「仔犬の図」 絹本 14004 34x102.5
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江戸時代の人達も、こんな可愛い子犬を見れば、当然癒されたことでしょう。
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子犬の画の可愛らしさでは、師匠の応挙も得意な題材だった様で、とても有名です。
意図的にそれらに習って描く練習を重ねていたのでしょうから、全体の構図や体形等似た雰囲気になって当然なのですが、この画の表情には優しさ(芦雪らしい愛情)が表れているので好きです。



















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by Ru_p | 2014-06-03 00:07 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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