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オウム も見てた芦雪

長沢芦雪筆 鸚鵡図 (紙本彩色)  15015  44.5x127
e0259194_1221251.jpg

一瞬、何が描かれているのか(?)と戸惑いそな構図ですが、じきに、とぼけた顔で、目の可愛いオウムが正面を向いて茅葺き屋根の上に留まっている様子の画だと分かります。(当時としては、珍しい南方から輸入された鳥)
屋根は上から見下ろす様な形なのですが、オウムと月は、下から見上げる様なので、幾分奇妙な位置関係に感じられます。
 
芦雪の描いた生き物の作品には、特徴の有る方向からだけでなく、あえて描き難い(特徴を捉え難い)方向から描いた画がしばしば見られます。
(この嘴の描き方、なんとなく見覚えもあり・・・けっこう好きです)
e0259194_11484899.jpg
    (目力!)   


ところで、芦雪は、ある事故が原因で片目の視力を失っていたとも言われています。
その事故とは、淀藩に仕えていた芦雪が、藩主稲葉公に独楽の芸を披露した際、放り上げた独楽を受け損ねて、片目に刺さってしまった、と言う事態だったそうです。

いつ頃の事なのか?どちら側の目だったのか?視力は全く失われたのか?などの詳しい事は判らないのですが、もしも、そんな事故が実際に起こったのならば、画の腕前でなく独楽の芸の披露だった訳ですので、若い頃の出来事なのだろうと思われます。(芦雪は29歳で既に「平安人物誌」に、画家として名が載っていた知名人)
かと言って、もっと若い十代から片目では、応挙門への入門も修行も出来なかったでしょうから、恐らくは二十代の終わり(天明初期)頃だったのではないかと思われます。

この事故が原因で、ある時期から両眼視が出来なくなったと仮定するならば、当然それ以後の画の作風に何らかの影響があったと考えられます。
(例えば、芦雪の「美人画」では、天明の始め頃とそれの後とでは作風が明らかに変わったとの評価があります)

片目で物を見た場合、側面の情報を気にせずに済む(空間全体を把握して、より良い視点のアングルを求めたいという無意識の衝動が抑えられる)のではないか(?)と考えられます。また、視野が狭くなる事に伴い、対象物が視界からはみ出る様な多少不自然な距離感をも容認出来てしまう可能性が考えられます。(それってもしや、あの奇抜な構図が生まれた理由に・・・?)

残った片方の目が、右脳が主導的に支配する左目だったのかどうかも判りませんが、奇抜な構図や奔放な筆遣いが特徴として現れた原因が、この失明事件と関連していたのか(?)と意識して、作品群を見直してみることで、納得も期待出来るし、新しい発見も有るのではないかと思います。

上の画は、落款の書体(草書に変える前の楷書の時期の)と、印章(「朱文氷形印」で外周に年代判別の指標となる欠けが見られないこと)から、寛政3年以前の作品と思われますが、

この頃には、もう既に・・・・











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by Ru_p | 2015-09-02 20:47 | アート・コレクション | Comments(0)

【漫画の語源】に関連して


江戸時代の絵師だった長沢芦雪の画の落款には「芦雪謾写」という表現が度々使われていました。

ここで、見た目に良く似た文字の「」ではなく「」と言う文字が使われてたことが気になります。

この「謾写」の意味なのですが、自分が勝手に想像し創作して描いた「漫画」や「戯画」とも似た意味で使っていたことと推測出来ますが、不思議な事に長沢芦雪以外での使用例を、見た事がありません。(今後、探せば有るのかも知れませんが)

【参考:字の意味】
  「謾」の辞書の意味:あざむく・だます・あなどる・軽く見る・おこたる 
  「漫」の辞書の意味:みだりに・むやみに・そぞろに・なんとなしに 

(この二文字は、意味が微妙に違ってはいますが、似通っている面も有るので、例えば、入れ替えて使われたとしても、解釈する上では、それほど重大な問題とは意識されなかったと思われます)


そこで、
「マンガ(漫画)」の語源を、改めてインターネットで検索してみたのですが、比較的重要な言葉だと言うのに、どうにも説得力のある説明が見当たらず、更にその由来を深く掘り下げて見ることにしました。
(中国で生まれた「漫筆」と言う言葉が、既に日本でも知られていたらしいのですが、この言葉は、現在のマンガの様な画像に対してではなく、文章に対して使う言葉の様に思われます。
また江戸後期に、『北斎漫画』や『四時交加』と言う出版物で「漫画」の文字が突然に出現したとするこれまでの定説では、それ以前の空白期間が不自然に思え・・ )



【 謾」 が 「漫」 に化けた? 】
江戸時代に使われていた筆に依る手書き文字は(筆穂先の動的な変形が余分な墨跡を生じ易い為)、今日多く目にするペン字的書体の筆跡(活字により近い)とは異なり、書く人のクセによる形の偏差が大きく、当時の人たちにとっても、全てを正確に読み取る事は容易ではなかった様です。(穂先の状態や墨のコンディションによっても大きく変わります)

謾(まん)の文字は、草書で書くと、言偏が三水偏(又は人偏にも)にとても良く似ることがあるので、漫(まん;漫画の漫)と見間違え、混同されて使われる事態が起こっていたのではないかと考えられます。 


 「謾」の草書体文字の例
e0259194_08430984.jpg「ゴンベン」なのですが、
「サンズイ」にも似て見え、


筆者の意図に拘わらず、文字が一人歩きをしてしまい・・・
(昔の手書き文字は、正確に読むのが難しく悩ましかった)









【「謾画(マンガ)」の言葉を初めて使ったのは、英一蝶?】
歴史的には、安永七年(1778)に、「英一蝶(はなぶさ いっちょう:1652-1724)著」として刊行された、『
群蝶画英』と呼ばれる画集(3巻;木版)に使われていた「謾画」の文字が見付かるので、この辺りが「マンガ」と言う言葉の、根拠の残る語源又は由来としては、始まりの様です。
この『群蝶画英』は、原画を描いた英一蝶の没後54年目の刊行となるので、「謾画」の文字の初使用者は『群蝶画英』の編纂作業に携わった鈴木鄰松の方だったのかも知れません。(だとしても、今まで語源の定説とされていた山東京伝の『四時交加』の発刊より20年ほどは前なので、その定説は覆ってしまいます)

未だ、どなたもWEB上では言及されていない様ですが、マンガの為の漢字表記の始まりはこの頃で、文字も本来この字だったのでは?

とすると 、
英一蝶が世界初のマンガ家だった」・・!?


【「謾」の字の使用で、長沢芦雪も その直後に関与】
絵師としての英一蝶の名は、没後も大変著名でしたので、その画集(絵手本;戯画集;当時の業界の最新情報)の文字ともなれば、長沢芦雪等 (当時の職業絵師達;北斎や山東京伝等も含む)には当然積極的に目を通されていたと考えられます。
また、その画集『群蝶画英』にある画と似た構図やモチーフの画は、芦雪も幾つか描き残していますので、少なくとも芦雪は確実に影響を受けていたと考えられます。(北斎でも同様に似た作例はあり)
「著作権」や「知的財産権」という観念が、日本人に全く無かった時代の出来事ですし、原画を描いた英一蝶は、芦雪よりも100~50年近く前を生きた先輩となりますので、芦雪(等)にとってそんな模倣は、むしろ敬意の表れという解釈でもあった事でしょう。

長沢芦雪は、遅くとも1787年までに、落款にて「謾」の文字を使い始めています。
(芦雪のその落款の書体で古い楷書体の署名は、天明初期の頃〈1782前後〉に使われた物とも良く似ていますので、『群蝶画英』の「謾画」と言う文字に影響を受けて使い始めたと考えれば、タイミングとしてもストーリーとしても話しが合いそうです)

芦雪が落款に「謾写」の文字を使った画(※)を見ますと、彼自身が創作した「遊び心の絵空事」の試みの戯画への「弁解」の意味を込めて使ったのではなかったのかと感じられます。
(師や先人たちの画を写した場合の「写意」等との、心構えでの区別を強調するために使ったと考えられます)


【北斎等に混用または誤用され、結果として「漫」の文字が歴史に残った?】
群蝶画英の出版から二十年以上後に、山東京伝の『四時交加(1798/ここでの読み;マングハシ?:マンガとは読ませていないし、意味もマンガを直接は示してない様な使い方)』や北斎の『北斎漫画(1812)』など大衆に影響力の強い人気作家の木版本にて、「マンガ」の漢字表記に( 「謾」に変わって?)「漫」の文字が使われ出版されています。

(あくまでも仮説ではありますが)
結果的に、「誤用」(アレンジ?)での漢字表記(読みは同じ)の方が圧倒的に広く認知されたので、今日にまで至っていると考えるのが「マンガの由来」として、言葉が発生した筋書き(真相)の様に思われます。

【マンガの漢字は元々は】
謾画 ⇒ 漫画  (マンガ)


【北斎の誤用/混用には、北斎謾画にて他にも前例が・・】

実際に北斎漫画の第十三編では「魚藍観音」の名前で、本来の正式な「藍」の文字を誤りの「濫」の字に置き換えて使っている誤用(?)の前例も有ります。
(へそ曲がりだった北斎ならば、誤用でなく故意にアレンジした可能性も考えられ・・・事故だったのか、意図的な編集だったのか、その当て字を使った側も見た側もあまり拘らず・・・でしょうか)




今更そんな古い出来事への仮説の裏付け立証は誰も出来ないのかも知れませんが、歴史の真相なんて、案外そんな事だったのかも知れません。(個人的には ほぼ確信ですが)




【人々が知りたがる「語源」や「由来」の話しには、マユツバが多・・・
そもそも大昔の事では、語源由来と言い切れる確固たる根拠の残る言葉なんて殆どあるはずもなく、噂話が積み上がった程度の事例も多い事でしょう。
検証の手段が殆ど残って無いのですから、先人が発して認知されてしまったら、根拠があやふやであっても永遠に『真実』と同等に扱われてしまう可能性があります。













※【参考
《長沢芦雪の他の画での「謾写」の主な落款使用例》
「龍図襖」(島根県;西光寺蔵/朱文氷形印;欠損無/氷計謾写;1781~1788)
「寒山拾得図」
(京都市:高山寺蔵/朱文氷形印;欠損無/平安蘆雪謾写;1787
「娘道成寺(梵鐘)図」
(ドラッカー・コレクション/朱文氷形印;欠損有/蘆雪謾写;草書体
「猪童子図」(図集「長沢芦雪奇は新なり」より/朱文氷形印;欠損無/蘆雪謾写;1781~1788)

その他(※)

他に似た落款で、「大仏殿炎上図」(個人蔵/銅製の朱文円印/制作年1798)には「即席傍写」と読めそうな似た字が有りますが、これは、その場で即座に写したと言う意味だと考えられますので別物でしょう。
芦雪の場合は、落款の文字を、この様にこだわりを持って使い分けていたと言えそうです。








マンガの画が誰かを笑わるというのは、構成展開による結果でしょう。

見たい(見せたい)のは、自由な遊び心でのみ描き表現される疑似体験の
世界・・







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by Ru_p | 2014-07-18 19:43 | その他 | Comments(0)

酒豪たちの詩(芦雪)

①飲中八仙図   12010   58.0x110.0
e0259194_1521385.jpg

『 飲中八仙 』は、中国唐時代に杜甫(とほ)が七言古詩「飲中八仙歌」に詠んだ8人の酒豪たち;賀知章(がちしょう)・汝陽王李(りしん)・李適之(りてきし)・崔宗之(さいそうし)・蘇晋(そしん)・李白(りはく)・張旭(ちょうきょく)・焦遂(しょうすい)のことです(仮名は日本語読みの場合です)。

中国では、日本の七福神の様に、古くから親しまれた存在で、豪快さの表現は当然誇張されているのでしょうが、歌と共に長く親しまれて来たそうです。
芦雪も自らが酒好きであったこともあり、これに関連した画題を好んで(憧れて?)描いていた様です。
そこに出てくる、李白(や布袋など)は単独の画も多く残されているので、特にお気に入りだったようです。

長沢芦雪が描いた「飲中八仙図」では、②バーク・コレクションの作品と ③MIHOミュージアム等の展示会にも出品された画とは互いに構図が酷似していて、既に世間には周知されています。この画①はそれ等とは多少別の構成ですが、仙人毎の構図や筆致には共通した面が多くあります。②③に有った犬の姿は省かれていますが、代わりに?後ろ姿の馬や少し多めの子供たちが加えられ、平和で楽しそうな(芦雪好みの)パーティーの雰囲気が良く出ています。

ところで、大きな違い・・・じつは、この画で芦雪自身が描いたのは、下から四分の三位までで、それより上の部分は、画賛によると「淇淵」(不詳:柳沢淇園のことか?)が山水の遠景を、(戯れで?)描き加えた様です。
明らかにその辺りから筆致が替わって見えますので、その気になれば、腕の良い表具師さんが、二枚別々の画として仕立て直すことすら可能と思われるくらい境目は明瞭です。
e0259194_15573422.jpg

「戯れで」と思わせる理由の一つには、芦雪の落款が「隠し落款」になっていて、よく見ると、画の中の更に別(布袋様)の画の落款部分が「蘆雪」となっていて、『長澤』『魚』の朱文印風の手描き印象があることです。
この様な「隠し落款」の使い方は、この時代に必ずしも例が無い訳ではないのですが、いかにも芦雪が好みそうな『奇想』(サービス精神?)を感じます。おそらくは、仲の良い友人同士で酒を飲み、この話題で盛り上がり、勢いで描かれてしまったからなのではないかと想像します(「応需」でなく?)。それ故なのか手慣れた気儘な表現に見えるので、②③よりも、後で描かれた物かも知れません。
e0259194_716448.jpg


  





【参考】
②左: ニューヨーク・バーク・コレクション展よりの「飲中八仙図」
③右: ミホ・ミュージアム 「長澤芦雪 奇は新なり」よりの「飲中八仙図」

e0259194_1358068.jpg

②③の画では、8人目の焦遂?と思われる仙人を囲む集団が、左上遙か後方の丘に陣取って見えますが、①の画では、手前の集団と合流して描かれています。


[飲中八仙歌]
知章騎馬似乗船
眼花落井水底眠
汝陽三斗始朝天
道逢曲車口流涎
恨不移封向酒泉
左相日興費万銭
飲如長鯨吸百川
銜杯楽聖称避賢
宗之瀟洒美少年
挙觴白眼望青天
皎如玉樹臨風前
蘇晋長斎繍仏前
醉中往往愛逃禪
李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠
天子呼来不上船
自称臣是酒中仙
張旭三杯草聖伝
脱帽露頂王公前
揮毫落紙如云煙
焦遂五斗方卓然
高談雄弁驚四筵

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by Ru_p | 2013-04-26 12:48 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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