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タグ:肉筆浮世絵 ( 21 ) タグの人気記事

歌麿に 三代目・・・?

榮文筆  柳下美人図 (南木山人画賛)  15014 39x89
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この画の作者 栄文(えいぶん)は、「栄文歌麿」または「別人歌麿」とも呼ばれていましたが、世界的に有名だった(初代の)喜多川歌麿とは、別の人です。

作例は少なくて、文化年間〈1804~1818年〉に描かれた僅か数点の肉筆浮世絵が知られていただけだったそうです。
(・・・となると、この画は新発見なのかも知れません)

筆致は初代歌麿や二代目歌麿とは幾らか異なります(この画の場合には、当初の師匠だった鳥文齋栄之の影響と思われる「品格」が幾らか感じられます)。
描いた美人画のレベルは高く、歌麿にも迫るとの評判もあったそうです。ただ、作品の絶対数が少なかった事もあり、必ずしも、十分な人気は得られなかった様で、彼の記録は殆ど残っていません。(もしも、木版画を手掛けるなど、上手に宣伝活動をしていれば、更に高い評価も得られていたことでしょうに)

作画時期が特定出来ないのですが、彼の作品の中には、落款に「歌麿」(又はそれに類した)の署名をした謎の作品が、何点かあるようです。
初代歌麿をそっくりコピーをした訳ではなく、独自の印章を使うなどの自己主張も見られますので、必ずしも真剣に「喜多川歌麿」の偽物作品を描こうとしたとは、不自然で考えにくいのです。
初代歌麿(~1806)又は二代目歌麿と何らかの接点が有り、その門人となったとか、三代目を襲名していたと考えれば納得出来そうなのですが、残念ながらそれを裏付ける資料は見付かっていません。

この人物の筆と思われる画の落款には、「栄文筆」「一掬斎(いっきくさい)栄文」「栄文菅原利信筆」「鳥文斎一流 一掬斎栄文筆」「歌麿筆」「喜多川主人筆」等と、無署名も含めて複数の例が有ります。
ところが、それらの印章に関しては「自成弌家」「拂袖」等の共通する物が使い回される例が見られたので、同一人物の作と判断(推定)されている様です。

資料不足の為にか、あまり掘り下げた研究はされていなかったのかも知れません。
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画像の見られる作品例では、

二女図」(東京国立博物館所蔵)には、上の画の落款と酷似の「自成弌家」の印章が見られますが、署名は無い様です。
ちろり美人図」(熊本県立美術館所蔵)には、落款に「喜多川主人哥麿」と記し、「拂袖」の朱文長方印を捺してある様です。
また、
「肉筆浮世絵 美人画集成Ⅰ」(毎日新聞社刊) にも下記3例の画像掲載があります。
「矢場の女図」  (署名:哥麿筆)
「夕涼み美人図」 (署名:喜多川主人筆)
「若衆と美人図」 (署名:無署名)



栄文は当初、喜多川歌麿とは、人気を二分するライバル関係にあった鳥文斎栄之の門人だったそうです。その栄之の門人達の多くが「鳥〇齋」と言う様に名の頭に「鳥」の文字を置いていた中で、一掬斎(「一掬」には「少しの期間」の意味が有るらしい)と言う変わった字を落款頭に使っていました。
落款での「一掬斎」や「自成弌家」の印章は、例えば、栄之とは決別を果たした事を意味するものだったのでしょうか?
「歌麿筆」や「喜多川主人筆」などと、敢えて波風を立てる様に挑戦的に、師匠のライバルだった一派の名前を使ったのは、三代目を引き継いだ事を、主張したかったからでしょうか?


なやましくも、永遠の謎に・・・・









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by Ru_p | 2015-08-29 22:37 | アート・コレクション | Comments(0)

御神木だった「首尾の松」

鳥文齋栄之筆 「首尾の松」(絹本肉筆浮世絵/太田蜀山人画賛) 15005 29x83
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紅い楓と、東の空に浮かぶ月、群れで飛ぶ雁とを併せて、静かに暮れるもの寂しい秋の情景を演出している様に見えます。(この月ですと、ほぼ満月で雲が少し掛かった状況かと思われます)

画賛には
夕汐に 月の桂の 棹さして さてよい首尾の 松をみるかな
とありますので、これは「首尾の松」と呼ばれて浅草の新吉原にもほど近い江戸名所の画だった様です。(画賛にある「月の桂」は、中国の古い伝説からの引用で、月の影又は月の光を表した言葉と思われます~「桂」と「松」との対比も狙って・・)

画の作者は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし/本名:細田時富/1756~1829年)という旗本出身の絵師(人気の浮世絵師)の様です。
上の画賛を書き加えたのは、御家人でありながら狂歌師でもあり、非常に多くの書画に画賛を書き加えて残した人として有名な蜀山人(本名:大田 南畝/1749~1823年の別号)の様で、栄之とは交友が深かった様です。
蜀山人が、文化5年(西暦1808年)頃、「首尾の松に月出て舟ある画」にこれとほほ同じ文の画賛を書いたという記録(出典:千紅万紫)が残されていますので、それがこの画の事である可能性が高そうです。
西暦1808年の少し前(※)に描かれたことになれば、葛飾北斎が狂歌絵本「絵本隅田川両岸一覧」の中で描いている「首尾松の鉤船」の図が、ほぼ同じ頃の同じ場所の風景の様です。また、広重の「名所江戸百景」の木版画は、それよりも約50年後の同じ場所の風景という事になりそうです。


ここの主役となる松は「御蔵神木首尾の松」とも呼ばれていたそうですので、画面左下に見える小さな屋根が、その神木を祀った祠の様です。

首尾の松は、安永年間の強風災害のために、倒れてしまい、その後幾度も手当が試みられたそうです。画をよく見ると、確かに傾き過ぎて懸崖で川に跳ね出している様に見えますので、その話とも一致しています。
支柱の内で古くて朽ちたような何本かは短く描かれていますので、霊験が有ると信じられていたこの松は、災害の後も長い間人々に大切に守られ続けていたのだと思われます。

安永9年8月25日(西暦1779年10月4日)、日本各地に疲害をもたらした台風が、この辺も通った様で、神田川も氾濫・浸水したという記録が残っているそうです。
当時の松は、残念ながら江戸末期の安政年間(1854~1859)には枯れてしまっていたそうで、現在見られる松は後継の何代目かになる別物なのだそうです。
ここの場所は、現在の住居表示では台東区蔵前1丁目の隅田川西岸付近に当たり、上部に蔵前橋が掛かっていますが、江戸時代末期の「江戸切絵図」と見比べると、当時幕府の米倉庫「御蔵」があり、そこに隅田川から運搬舟を引き込む為の堀が8本あり、その4~5番目の間の突堤の先に、この松が位置していた様です。
ちなみに、川の対岸右側に見える施設は、その当時は、丹後宮津藩の下屋敷(現在は旧安田庭園:藩主は松平姓を与えられて名乗りましたが、元は本条氏で、地名の『本所』の語源なのだそうです)の辺りですので、その一部かとも思われます(そこの右には、『本所の七不思議』の「椎の木屋敷」とも呼ばれた名所の肥前国平戸藩松浦家下屋敷もあった様です)。


当時ここの少し上流には「御蔵(おくら)の渡し」とも呼ばれた渡し場もあり、舟で新吉原(この川の上流で画面左側方向に約2キロ)へ向かう客達の多くがここを通って目印としていたので、蜀山人の画賛にも有る様に、その夜の好い首尾の結末を見ることをこの御神木に掛けて祈願していたことでしょう。
松の向こうの川面に浮かぶ猪牙舟(ちょきぶね)にはそんな客達が乗っていたのかも知れませんね。

ということは、これって「神仏画」でもあり・・??



祠の屋根の上の千木(ちぎ;神社建築の屋根のにある部材)の先端部分を拡大すると、何となく「内削ぎ」と呼ばれる水平の切断形に描かれている様に見えます。
そうだとすると、ここの祠は「女神」を祀ったものになりそうです。(男神の祠の屋根にある千木は、先端の切断面が垂直の向き)
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果たして、吉原での「好い首尾」を祈願するのに、女性の神様の方がご利益があったということなのでしょうか?



まさか、そんな身勝手な願い事が重荷になって、枯れてしまった・・・?








※栄之は寛政12年(1800年)に、御物に収められた作品の中で、「隅田川図巻」として、この首尾の松をも含めた風景画を描いていたそうで、それが栄之の同類作の中では最も初期の作品と考えられているそうです。(出光コレクション「肉筆浮世絵」解説文より)。その説に依れば、上の画の制作時期は、1801~(1808)年の制作だった様です。
ちなみに、上の画とほぼ同じ構図構成の画は「バーク・コレクション」にもあり、同じく蜀山人の画賛が書かれていますが、微妙に風情が異なるのが面白いです。


ところで、それ等を描くために使った下絵の制作年代(すなわち、この画の情景が実際に見られた時期)は何時だったのでしょうね?。

長い歴史を持つ松なので、同じテーマの画は他の作者に多いのですが、それぞれの制作年代の違いによって、松の表情や背景の様子が微妙に違っていますので。








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by Ru_p | 2015-08-18 22:45 | アート・コレクション | Comments(0)

江戸の餅つき・・(北斎)

餅つきの図 「前北斎為一筆」(絹本 肉筆画)  15009 49.7x40.6 
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前北斎為一(まえほくさいいいつ)と言う名は、葛飾北斎(1760~1849年)の60代始めから70代半ばに使われていた画号なので、真筆ならば今から二百年近く前の肉筆浮世絵ということになりそうです。
(その頃既に「北斎」と言う号は、弟子に譲ってしまっていたので、「北斎だったが、今は為一」と言う、いい加減な理由で命名し、使われていた画号 / 時代が経ち過ぎたので、たとへ真筆であっても、厳密な意味で、その事を証明をする手段は、もうありません:古い物の宿命)

餅の絡んだ杵を力の限りに振り上げ、極まった瞬間らしく、その周りの3人の仕種や表情も、実に活き活きと描かれています。多くの木版画絵本で人気挿絵師として好評を博した北斎らしい画力と構成力(※1)を感じます。

江戸庶民の風俗が画題なのですが、各登場人物(餅つき職人)を連携させる様な構図がバランス良く組み立てられ、全体として躍動感と見応えを感じます。


他の北斎の画でも、雰囲気や存在感を強調する為に重要な役処には、非常に極端な体勢(無理な姿勢)をとらせる事があり、見ている側は楽しいのですが、「まさか、可能だろうか・・・」と感じつつも、知らず知らずに引き込まれていることがよくあります。

腰 折れそっ !!
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例えば、美人画で首を極端に前傾させるなど、人や動物の姿勢の誇張・風景画では遠近感や大きさや勾配などの誇張、 と絶妙で巧みに「誇張」を操ることが得意だったようです。
(やはり、天才・・・!)


(※1)
北斎が50代の頃に、描き貯めた下絵を基に編纂された万民向けの木版画絵手本誌の『北斎漫画』(十二編)の中に、下の様に似た画を見つけました。
(見開き頁左右の画「餅ハ餅屋」を結合して表示:下の木版画の原稿は、上の肉筆浮世絵よりも10年以上前に描かれたことになりそうなのですが、比べると進化の跡?が見られ・・・ 、設定や人物の数が幾分変わっています;北斎の性格ならば、未熟だった頃の似た画と全く同じ構成で描くことは、自在に発想出来るという自負やプライドからも、避けたかったのではないかと思われます)
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肉筆画の方では、歴史風俗記録画としての資料性は薄れているのかも知れませんが、描線や添景が洗練(無駄なく簡略化)され、楽しく滑稽な雰囲気はより強調されたよう・・
鑑賞者の視線が自然に誘導される先を辿ると、ループとなって循環させられる様な構成のトリックもある?(一つの画面なのに、人物毎に目で追って注視すると、自然に次の人物に視線が誘導され、コマの無いマンガや絵巻物の場面を見る様ですし、さらには餅をつくリズム感や声まで感じられる様で、楽しませてくれる画です) 

 笑顔が幸せそう・・・







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by Ru_p | 2015-06-15 00:08 | アート・コレクション | Comments(0)

富士の晴れ姿 (文晁)

富岳三保淸曉図 谷文晁 筆  09013 88x54.5
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三保の松原の辺りから見た富士山の細密画です。寛政9年3月と書かれていますので、グレゴリオ暦に換算すると1797年4月で、春頃になります。落款は、富士を特に好んで描いた谷文晁(1763-1841)で、真筆だとは思いますが、だとしても今日では誰も客観的な立証は出来ません。

この三保の松原辺りから富士を臨む景観は、古くから多くの一流絵師たちが挑戦して、富士が最も美しく見える場所と言われて来たので、『世界遺産』として富士とセットで登録されたことにも納得出来ます。(※1)

今では全く見なくなりましたが、当時の江戸近郊の沿岸では、製塩が盛んで、この画の様に「塩田(揚浜式?)」が至る所に有ったようです。
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万が一江戸が攻められて、塩の供給が止められても、自給自足出が来るようにか、江戸の近郊でも積極的に製塩が行われていたようです(現代の日本でも、レアアース・石油・食品等に対する危機管理意識はこれを見習うべきかも知れませんね)。

また、画の左端に僅かに描かれている寺社らしき施設は、徳川家康も人質であった若い頃に修行をした、由緒のある清見寺の様(今はこの山門と本堂との間を東海道本線が横切っています)で、梅か桜が咲いているようです。
その昔、雪舟(1420~1506?年)もここを訪れて富士を描いたのだそうです。(原画は残ってませんが、室町時代に写された模本が「永青文庫」には現存するそうです)
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下の松林の中には、天女伝説で有名な「羽衣の松」(現在の樹齢だと650年?)があったはずで、近くにあるはずの御穂神社(「羽衣の切れ端」が安置されていると言われる)らしき施設は描かれていますので、特定は出来ませんが、その辺りのどれかなのでしょう。
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この絵では現実の絵師の視点よりも、高い位置から俯瞰した様に描かれています。更に、遠くの物でも必ずしも遠近法に従わない大きさで描かれていること、富士山の勾配(※2)が実物よりもかなり急になっていることなど、写真的な正確さよりも画としての見応えを優先した表現になっていることに気付きます。
今と違って、誰しもが気楽に観光を楽しめなかった時代でしたので、そんなデフォルメや誇張こそが江戸の画の面白さ・楽しさとして要求された遊び心だったのかも知れません。そして、富士と海とを一つの画面に納める理想的な構図(※3)が、古く万葉集の 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」 (山部赤人)にも登場する題として「日本人の心象風景」と言われるまでになったのかも知れません。








※1 ユネスコの世界遺産委員会で、2013年6月22日に富士山(三保の松原を含めて)を世界文化遺産に登録されることが決定されました。 (めでたし!されど昔の景観はすでに・・・・ )

※2 富士山頂付近の最大傾斜部を延長して出来る頂角は、実物の写真では約120度、この画の場合で約80度(室町時代の雪舟の模写の場合でも約100度)ですので、画ではかなり誇張されています。 (それが理想形に近いのか?見応えは増します)

※3 当時「田子浦」は広く清水湊より東の一帯を指していました。 (銭湯の壁画は一時期この画題ばかりだったそうですが、公衆浴場も最近はめっきり減り・・・ )
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by Ru_p | 2013-06-24 19:32 | アート・コレクション | Comments(0)

化粧する武家 (江戸の風俗)

「若衆」 龍山樵夫 筆(= 狩野養長)  08045 32x70
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一見、男装の麗人にも見えますが、元服前の武家の男子の姿の様です。色白の肌・切れ長の目・体を捩るポーズは妙に艶めかしく、ある種の「美人画」の様でもあります。

江戸時代には、男社会の封建制度のしきたりの中で、性が抑圧され、その捌け口が同性に向けられる事も多かった様で、金や権力で『男色』の相手をさせられる芝居役者の「陰間」や、大名家の小姓が、その様な存在だったようです。

これを描いた絵師は、(真筆ならば)落款から狩野養長(かのう おさなが 1814-1876)かと思われます。
養長は肥後熊本に生まれ、19歳で狩野弘信の養子としなり、まもなく狩野家八代目となったのだそうです。以後幕末までは、狩野家と因縁の深い肥後細川藩のお抱え絵師として、頻繁に江戸と熊本とを往復していた様です。
落款は、養長、元象、信象、登雲堂、凌霄花齏、龍山樵夫、など多数使っていましたが、藩主細川斉護さんの命で描いた物には落款を入れられなかったので、落款が在るのは他所からの依頼などで描いた物なのだそうです。

この画のモデルさんも、何処かのお殿様のお気に入りだったのでしょうが、 
もしも、当時そんな詮索をしていたら、首が飛ん・・・・



















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by Ru_p | 2013-06-22 08:28 | アート・コレクション | Comments(0)

看病 (鳥居清経)

病床美人図 鳥居清経筆   08052  36x102
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江戸中期の風俗画ですが、十畳以上の部屋で、床に就いた可愛い顔の病人を、布団で暖め、綺麗な屏風(六曲一双分かな?)で囲って隙間風を除けながら絵で楽しませて励まし、薬湯を暖めた湯気で部屋の温度と湿度を上げ、近しい人が顔色を見ながら布団の上から手を当てる様子の様に見えますので、この時代での出来うる限りの看病の様子なのでしょう。
病人が布団の上に掛けているのはただの着物なのか、それとも「掻巻(かいまき)」と呼ばれる着物状の袖付き綿入りの寝具なのでしょうか(私は以前は愛用していましたが、現在では使う人が少なくなった様です)。枕を頭の横に当てているのは、結ってある髪を乱さない為の配慮でしょう。また、体を半ば起こしているのは、薬湯を飲むときの、誤嚥を防ぐ配慮なのでしょうか。
屏風や着物の柄が梅の花なので、まだ春でも寒い時季の様ですが、この画の病人は、熱を出したのでしょうか、顔色を見ても、病状があまり重そうには見えないので、こちらも気楽に眺めることが出来ます。

これを描いた鳥居清経は、生没年が不詳ですが、初代の鳥居清満に師事して、宝暦-安永(1751-1781年)の頃に作画活動をしていたそうです。
一枚ものの作例は非常に少ないそうなので、真筆であれば希少な画と言うことになりそうです。鈴木春信風の美人画を描く事があったらしいので、その点ではこの画はそれに近い様に感じます。こんなテーマの画だと、果たして依頼を請けて描いた物なのかどうか・・・・?
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by Ru_p | 2013-06-18 00:43 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥居清峰)

蚊遣り美人図  二代目 鳥居清満(=初代 鳥居清峰) 筆 肉筆浮世絵  31.5x78 07032
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蚊遣り(かやり)部分
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蚊の出る時季にはお馴染みのブタ型の蚊遣りですが、これが19世紀初頭(1810年頃)の江戸(吉原)では既に使われていた、と言えそうです。

除虫菊を加工した『蚊取り線香』は、明治中期以降に『金鳥』の創始者に依って考案されたのだそうですので、まだこの頃には、松の葉などをこの中で焚いて、蚊が嫌う煙を出す為の器だった様です。

蚊遣りブタのルーツに関してweb上で検索してみますと、「推定年代 19世紀前葉~中葉」として発掘された蚊遣りブタが見付かりましたが、その形は、口が小さくて、全体に大振りで、「徳利を加工した様な形」でした。ところが、上の肉筆浮世絵を見ると、口が大きくて、現代の「蚊遣りブタ」にかなり近い形です。その時代の江戸吉原の遊郭では、既にこの形が使われていたことが判ります。(果たして、この画は「蚊遣りブタ」の歴史資料として、最も古い物となるのでしょうか?)

今日使われている渦巻き状蚊取り線香(※)の様に、長時間の安定した燃焼を期待出来なかったでしょうから、寝る前には、蚊が忌避する煙を、体や衣類に焚き込んでおく必要があったのでしょう。
「蚊取り」でなく「蚊遣り」と言われていたのも、まだ、除虫菊の無かった時代の煙では殺虫効果が弱かったからかも知れません。
豚の体を連想する形になっていたのは、寝具に火が移ることを避ける為の機能性と、陶器職人の遊び心とがもたらした必然の結果だったのではないかと推測されますが、真実はどうだったのでしょうか。

上の画の落款にある「鳥居清峯」ですが、画風などから初代鳥居清峰〈1787~1869年 :二代目鳥居清満が後に改名)と思われます。
参考: ボストン美術館のwebページ中に、酷似の画像を見付けました。そちらは木版画なのですが、図中に「青楼四季之詠 岡本屋内 稲岡」とあり、1810年の制作とのことです。人物や衣服の線や構図には共通する部分が多く、上の肉筆画と同一の絵師が同一の時期に(同一のモデルを?)描いたとも判断出来そうな作品です。画の遊女部分の大きさは上の肉筆画の方が二倍程度と大きいのですが、背景のモチーフ(蚊帳など)での季節設定も同じ夏です。


湯上がりの透ける単衣の着物に団扇とはお洒落ですし、7頭身以上の長身は、当時の標準的体型の女性よりも当然誇張された美女なのでしょう。

いったいどんな経緯でこの画が描かれたのでしょうか? 夢ででも、当時の吉原にタイムスリップしてみたい
          

 



                                                                                                                                                                                                           ※蚊取線香は、まだまだ使われてはいますが、マット式~ノーマット式~プッシュ式(それぞれに含まれる「ピレスロイド系」の有効成分を空気中に蒸散させるタイプ)へと進化したため、次第に消えてしまう運命なのかも知れません。 
あれに郷愁を感じる世代としては、少し寂しい気持ちも・・・・                                                               



                                                                                              
                                                                                                              ・
                                         
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by Ru_p | 2013-06-17 00:10 | アート・コレクション | Comments(0)

猿曳き (その2)

小猿と少女の図  無落款(肉筆浮世絵)  07050 27x122
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上から見下ろす可愛い小猿と、真剣そうに見上げる少女との視線のぶつかり合いに、ある種の緊張感を感じます。

髪型や服装の特徴から、江戸初~中期なのでしょうか、肉筆浮世絵としては、比較的早い時期の「美人画」だと思われます。(私感的には奥村政信の作品に似たものを感じています)

構図として上の余白は多過ぎと感じられますが、江戸絵画ではこういうバランスもしばしば見受けられます。昔は床の間に掛けて眺めたので、鑑賞者への見せ方を絵師が演出したとも考えられますし、用紙のサイズや表具の技術的な合理性の関係もあったと思います。そんな余白なので、見ていると画賛を書き込みたいという衝動も起こりそうです。

江戸時代には、猿と猿曳き(猿廻し・猿遣い)が見世物としては多かったのでしょうが、現代はあまり見かけなくなりました。古来日本では猿が馬の守護神として崇められていたそうで、昔の猿曳きは(柳田國男によれば)馬の医者をも兼ねている場合が多かったそうです。それ故に、馬が少なくなった現代では猿曳きも見なくなったのかも知れませんね。
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by Ru_p | 2013-06-11 00:41 | アート・コレクション | Comments(0)

猫じゃれ美人 (暁斎?)

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「女三の宮と猫」 と共通する構図ですが、更に一工夫加わっている様にも見えます。

赤い布にじゃれた猫に驚く女性が、少し滑稽に描かれています。

肉筆浮世絵ですが、江戸でなく明治始め頃の作品で、目と手の作る表情には『写楽』の「大谷鬼次の江戸兵衛」とも似た面白さが感じられます。筆がたっていて描線がよく活きています。
どことなく顔に見覚えがある(気がする)べっぴんさんの女性で、色気が感じられます。


不明瞭な印影?があったので、画像処理してみますと、なんと「暁斎」に見えました。
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「最後の浮世絵師」と称された河鍋暁斎の既知の印影と酷似しているのですが、署名は無く、肉眼での判読は難しい状態です。(また、当時の弟子たちが内緒で押した可能性もあるので、厳密な真偽は・・・・?)

無落款だと思って眺めても、けっこう楽しめます。




【参考】
暁斎さんの画集の中に、弟子で次男の河鍋暁雲さんの描いた似た構図の画を見つけましたが、描線も顔もだいぶで違っています。
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by Ru_p | 2013-04-28 17:38 | アート・コレクション | Comments(0)

江戸でも ダンス

踊る男女の図①    10039
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江戸初・中期の風俗の肉筆浮世絵の軸です。
若い男女(十代半ば?に見える)二人が、テンポの良さそうな曲に合わせて踊っている様子でしょうか。
顔が見えているのは女性の方だけですが、薄っすら紅潮した様な顔と陶酔した様な表情から、曲に乗っている雰囲気が伝わって来ます。
二人とも大胆で洒落た柄の衣服を着ていて、特に男性は変わった組み紐の帯を締るなど、当時でも流行の先端のファッションだったのでわないかと思わせます。髪型や衣服には江戸時代初期(慶長?寛永?)の雰囲気も感じられますし、女性は下唇を濃くは染める化粧法(=笹色紅;が大流行したのが文化・文政頃)ではないので、少なくとも江戸中期よりも前の風俗の様に思われます。(画がその時期に描かれたという根拠ではありませんが)

なんだか、若者たちの行動や心理は遠く時代を越えても、あまり変わっていないのかも知れない、と思えてきます。

この画に表わされた時代の他の浮世絵を見ますと、まだ版画ではなく肉筆で、殆ど無落款ばかりだった様です。
どんな絵師がどんな気持ちで描いたものか、どんな世の中だったのか、見ていると想像が膨らみます。


踊る男女の図②    13013
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①②共に着物が単衣では無く、暑い夏の盆踊りでも無さそうな・・・







【参考】 雰囲気が類似する、鈴木其一の有名な「群舞図」
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by Ru_p | 2013-01-23 07:50 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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