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【漫画の語源】に関連して


江戸時代の絵師だった長沢芦雪の画の落款には『芦雪謾写』という表現が度々使われていました。

ここで、見た目に良く似た文字の「」ではなく「」と言う文字が使われてたことが気になります。

この「謾写」の意味なのですが、自分が勝手に想像し創作して描いた「漫画」や「戯画」とも似た意味で使っていたことと推測出来ますが、不思議な事に長沢芦雪以外での使用例を、見た事がありません。(今後、探せば有るのかも知れませんが)

【参考:字の意味】
  「謾」の辞書の意味:あざむく・だます・あなどる・軽く見る・おこたる 
  「漫」の辞書の意味:みだりに・むやみに・そぞろに・なんとなしに 

(この二文字は、意味が微妙に違ってはいますが、似通っている面も有るので、例えば、入れ替えて使われたとしても、解釈する上では、それほど重大な問題とは意識されなかったと思われます)


そこで、
「マンガ(漫画)」の語源を、改めてインターネット検索してみたのですが、比較的重要な言葉だと言うのに、どうにも説得力のある説明が見当たらず、、更にその由来を掘り下げて見ることにしました。
(既に、中国から伝わって来た「漫筆」と言う言葉は、古くから日本に在ったのですが、この言葉はマンガの画に対してではなく、文章に対する言葉だった様でした。また江戸後期に、『北斎漫画』や『四時交加』で「漫画」の文字が突然に現れたとするこれまで一般的だった解釈も、それ以前の空白期間が不自然で気に掛かり・・・ )


【 「謾」 が 「漫」 に化けたのでは? 】
江戸時代に使われていた筆に依る手書き文字は(筆穂先の動的な変形が余分な墨跡を生じ易い為)、今日多く目にするペン字的書体の筆跡(活字により近い)とは異なり、書く人のクセによる形の偏差が大きく、当時の人たちにとっても、全てを正確に読み取る事は容易ではなかった様です。(穂先の状態や墨のコンディションによっても大きく変わります)

謾(まん)の文字は、草書で書くと、言偏が三水偏(又は人偏にも)にとても良く似ることがあるので、漫(まん;漫画の漫)と見間違え、混同されて使われる事態が起こっていたのではないかと考えられます。 


 「謾」の草書体文字の例
e0259194_08430984.jpg「ゴンベン」なのですが、
「サンズイ」にも似て見え、


筆者の意図に拘わらず、文字が一人歩きをしてしまい・・・
(昔の手書き文字は、正確に読むのが難しく悩ましかった)









【「謾画(マンガ)」の字を初めて使ったのは、英一蝶?】
歴史的には、安永七年(1778)に、「英一蝶(はなぶさ いっちょう)著」として刊行された、『群蝶画英』と呼ばれる画集(3巻;木版)に使われていた『謾画』の文字が見付かるので、その辺りが「マンガの語源(又は由来)」としては、言葉の始まりの様です。(刊行が原画を描いた英一蝶の没後50年位になるので、『謾画』の文字の初使用者は『群蝶画英』の編纂作業に携わった鈴木鄰松だったのかも知れませんが)

(未だ、どなたもWEB上では言及されていない様ですが、マンガの為の漢字表記の始まりはこの頃で、文字も本来この字だったのでは?とすると 「英一蝶は世界初のマンガ家だった」・・!?)

【「謾」の字を使用、では長沢芦雪も後に関与】
絵師の英一蝶(1652-1724)の名は、その没後も大変著名でしたので、その画集(絵手本;戯画集;当時の業界の最新情報)の文字ともなれば、長沢芦雪等 (当時の職業絵師達;北斎や山東京伝等も)には当然積極的に目を通されていたと考えられます。
また、その画集にある画と似た構図やモチーフの画は、芦雪も幾つか描き残している様ですので、少なくとも芦雪は確実に影響を受けていたと思われます。

芦雪は、遅くとも1787年までに、落款にて「謾」の文字を使い始めています。(芦雪のその落款の書体で古い楷書体の署名は、天明初期の頃〈1782前後〉に使われた物とも良く似ていますので、「群蝶画英」の「謾画」と言う文字にも影響を受けて使い始めたと考えれば、タイミングとしてもストーリーとしても話しが合いそうです/芦雪の作品には、その画集の中でも見覚えの有る画題や構図の物が幾つか有る様ですが、「著作権」「知的財産権」という観念が、日本に全く無かった時代の出来事ですし、原画を描いた英一蝶は、芦雪より100~50年近く前を生きた先輩になりますので、むしろ敬意の表れという解釈もあった事でしょう)

芦雪が落款に「謾写」の文字を使った画(※)を見ますと、彼自身が創作した「遊び心の絵空事」の試みの戯画への「弁解」の意味を込めて使ったのではなかったのか?と感じられてしまいます。(師や先人たちの画を写した場合の「写意」等との、心構えでの区別を強調するために使ったのか?)


【北斎等に混用/誤用され、結果として「漫」の文字が歴史に残った?】
群蝶画英の出版から二十年以上後に、山東京伝の「四時交加(1798/ここでの読み;マングハシ?:マンガとは読ませていないし、意味もマンガを直接は示してない様な使い方)」や北斎の「北斎漫画(1812)」など大衆に影響力の強い人気作家の木版本にて、「マンガ」の漢字表記に( 「謾」に変わって?)「漫」の文字が使われ出版されています。(北斎漫画の元画は、おそらく十年間以上北斎が描き溜めた画をも使って再編集し出版したのだろうと考えられています)

(あくまでも仮説ではありますが)
結果的に、『誤用』(アレンジ?)の漢字表記の方が圧倒的に広く認知されたので、今日にまで至っていると考えるのが「マンガの由来」として、言葉が発生した筋書き(真相)の様に思われます。

【マンガの漢字は元々は】
謾画 ⇒ 漫画  (マンガ)



【北斎の誤用/混用には、北斎謾画にて他にも前例が・・】
実際に北斎漫画の第十三編では「魚藍観音」の名前で、本来の正式な「藍」の文字を誤りの「濫」の字に置き換えて使っている誤用(?)の前例が有ります。
(へそ曲がりだった北斎ならば、誤用でなく故意にアレンジした可能性も考えられ・・・事故だったのか、意図的な編集だったのか、その当て字を使った側も見た側もあまり拘らず・・・でしょうか)




今更そんな古い出来事への仮説の裏付け立証は誰も出来ないのかも知れませんが、歴史の真相なんて、案外そんな事だったのかも知れません。(個人的には ほぼ確信ですが)




【人々が知りたがる「語源」や「由来」の話しには、マユツバが多・・・
そもそも大昔の事では、語源由来と言い切れる確固たる根拠の残る言葉なんて殆どあるはずもなく、噂話が積み上がった程度の事例も多い事でしょう。
検証の手段が殆ど残って無いのですから、先人が発して認知されてしまったら、根拠があやふやであっても永遠に『真実』と同等に扱われてしまう可能性があります。













※【参考
《長沢芦雪の他の画での「謾写」の主な落款使用例》
「龍図襖」(島根県;西光寺蔵/朱文氷形印;欠損無/氷計謾写;1781~1788)
「寒山拾得図」
(京都市:高山寺蔵/朱文氷形印;欠損無/平安蘆雪謾写;1787
「娘道成寺(梵鐘)図」
(ドラッカー・コレクション/朱文氷形印;欠損有/蘆雪謾写;草書体
「猪童子図」(図集「長沢芦雪奇は新なり」より/朱文氷形印;欠損無/蘆雪謾写;1781~1788)

その他(※)

他に似た落款で、「大仏殿炎上図」(個人蔵/銅製の朱文円印/制作年1798)には「即席傍写」と読めそうな似た字が有りますが、これは、その場で即座に写したと言う意味だと考えられますので別物でしょう。
芦雪の場合は、落款の文字を、この様にこだわりを持って使い分けていたと言えそうです。







現代の「マンガ」でも、
「漫画」より「謾画」の文字や意味の方が、馴染む場合もあるのでは?

(マンガの画が誰かを笑わるというのは、構成展開による結果であって)
 見たいのは、自由な遊び心でのみ描き表現される疑似体験の
世界で・・







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by Ru_p | 2014-07-18 19:43 | その他 | Comments(0)

赤鬼の滝 (芦雪)

長澤芦雪筆 (不動七重滝の図) 14009 39x104
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画は、吉野からの大峰奥駈け道と呼ばれる熊野古道の一つが近くを通り、古くから修験道の聖地とされて来た大峰山脈の前鬼川にある、「日本の滝百選」にも選ばれている「前鬼山不動七重の滝」(吉野熊野国立公園の特別地域;奈良県吉野郡下北山村)の様です。
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ここの滝は、峠の道からも見えるのですが、好奇心の強かった蘆雪ならば、少しでも滝壺の近くにまで踏み入って写生しようとしたのではないのかと思われます。京都の一流絵師だった芦雪が敢えて険しい道を越えて、こんな奥地の滝を眺めに来ることには、既に大きな決断や覚悟を要していたことでしょうから。

前鬼川には、他にも三重の滝などがあり、それらの滝は、それ自体も信仰(山岳信仰と仏教が習合した修験道で)の対象だったそうです。
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この画の作画時期は、芦雪の南紀滞在中ではなく、彼の晩年に近い頃(落款印章の右上が欠けているので、満38歳以降;1792年~1799年の間)の様です。
おそらく南紀滞在中に実際に目にしてスケッチした画を持ち帰り、それを基に後日改めて描きなおした物と思われますが、基のスケッチが何時描かれたのかは、資料不足なので厳密には分かりません。
ただ、この画を見ていると、芦雪がこの険しい山奥にまで、自分の足を運んで自分の目で見たことは、確かなのだろうと思われます。(芦雪の足取りには謎が多いのですが、ここにも立ち寄った事の証拠には!/近景の樹木を見て、冬枯れの時季の様ですので、天明7年の冬、南紀から京都への帰路の途中と考えるのが合理的なのですが、となるとその道順は・・?)



滝の画は特に中世以降、李白が吟じた詩「望廬山観瀑」に憧れた日本の絵師達に好まれて、画題として盛んに扱われて来ました。(例えば、谷文晁もこれと酷似の構図の画をバーク・コレクションに見る事が出来ます)




※前鬼:
役行者が従えていたとされる「前鬼・後鬼」と呼ばれた夫婦の鬼の夫の方で、赤鬼として表されることがあるそうです。また、妻で青鬼ともされる後鬼は奈良県吉野郡天川村(直線距離で約20kmと近い)の出身とされているのだそうです。















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by Ru_p | 2014-07-06 14:16 | アート・コレクション | Comments(0)

桂山の彫り駒

桂山作 淇洲書彫りの駒
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王将と玉将に彫られた銘
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これを彫った『桂山』(本名;水戸常丸;故人)は、山形県にいた将棋駒の彫り師でした。

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(今でも多くの根強いファンがいる人気の彫り師なのだそうです)

その昔(昭和の時代)、仕事の関係で山形県の天童付近に半年間近く滞在していた時、何気なく立ち寄った将棋駒専門店でこれを目にして、強く衝撃を受けました。
しかし、価格がとても高かった(当時の手取り数ヶ月分位)ので、とても買えるとは思っていませんでした。
以後は、もっと手頃な額で、気に入る駒が見付からないのか? と考え、他の将棋駒専門店をも頻繁に見て回る様になっていましたが、この駒ほどの癒やしを感じる駒には出会いませんでした。気が付くと、頻繁にこの駒のある店を訪れる様になり、店主とも親しい仲になっていました。
(魅力的な『桂山』の駒を、個人的に高く評価し、目の保養のつもりで立ち寄っていました)


私がそれほど気に入ったことは、何時しか店主とも親交の厚かった当の桂山氏の耳にも届き、気をよくしたご当人から、ある時に様々な情報を聞く機会が出来ました。
この駒の材料となった重くて美しい木材(最後まで教えてくれませんでしたし、否定されたのですが、紫檀に似ています)は大変に珍しく、また、とても固かったので、極めて正確な彫りの技術と、とてつもない集中力が必要だったのだそうです。同じ材質の駒は、入手できた材料の制約から、この世に二組しか存在せず、今後はもう彫る事はない、とのことでした(そのもう一組でこれの弟分に当たる設定の駒は、私が出会う数日前に、東京から来たお客さんが、気に入って、既に買ってしまった直ぐ後だったのだとか)。
桂山氏は、この材質の駒の為に、漆の耐久性試験で、自から煮たり揚げたりと様々な工夫を行ない、全く問題が無いことの納得を得ていたそうで、そんな話から、仕事に対しての強い責任感と熱い情熱を持った人柄が感じられました。

この淇洲彫りの駒は、仕上がりまでに大変な労力と情熱を掛けた品物だったので、彫り埋めでなく、更にランクの高い「盛り上げ」仕様(専門職への外注)にも、その気になれば出来たのだそうですが、敢えてしなかった様でした(私も、盛り上げという仕様は、彫りの良さが隠れてしまい、将棋を指す時にも、文字の漆の盛り上がった部分が盤面と摺れる様な不安を感じるので、個人的に好みではありません)。おそらく桂山氏は、彫り師として、拘って作った品の価値を理解してくれる人がいてくれて、嬉しかったことと思います。

山形滞在も終わりが迫った或る日、既にすっかり仲良くなっていた店主から「作者との相談で、この駒を破格で譲っても構わないことにした」との話がありました。結局、『桂山』の精と魂がこもったこの駒は、驚く様な超破格で手に入れる事が出来て、山形の好い想い出となりました。


私は嬉しくなり、その半月後にも、普通の(楽に彫った?)桂山作の彫り駒(水無瀬)も、実際に将棋を指す目的で、一組買い足しましたが、そちらは残念ながら通常相場位でしか売ってもらえませんでした。
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実は、私は将棋が弱いので、同レベルの相手に恵まれず、家では眺めるだけで、たったの数回しか使った事がありません。

 これでは、持ち腐れと言われても・・・



※将棋の駒は普通、予備の歩が1枚あり、合計41枚なのですが、桂山の場合には、予備の歩が2枚有るので合計42枚となるのが特徴なのだそうです。

 他の彫り師でも、ちょっと良い駒の場合には、そう言うことが有るらしいです。











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by Ru_p | 2014-07-03 08:48 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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