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富士の晴れ姿 (文晁)

富岳三保淸曉図 谷文晁 筆  09013 88x54.5
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三保の松原の辺りから見た富士山の細密画です。寛政9年3月と書かれていますので、グレゴリオ暦に換算すると1797年4月で、春頃になります。落款は、富士を特に好んで描いた谷文晁(1763-1841)で、真筆だとは思いますが、だとしても今日では誰も客観的な立証は出来ません。

この三保の松原辺りから富士を臨む景観は、古くから多くの一流絵師たちが挑戦して、富士が最も美しく見える場所と言われて来たので、『世界遺産』として富士とセットで登録されたことにも納得出来ます。(※1)

今では全く見なくなりましたが、当時の江戸近郊の沿岸では、製塩が盛んで、この画の様に「塩田(揚浜式?)」が至る所に有ったようです。
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万が一江戸が攻められて、塩の供給が止められても、自給自足出が来るようにか、江戸の近郊でも積極的に製塩が行われていたようです(現代の日本でも、レアアース・石油・食品等に対する危機管理意識はこれを見習うべきかも知れませんね)。

また、画の左端に僅かに描かれている寺社らしき施設は、徳川家康も人質であった若い頃に修行をした、由緒のある清見寺の様(今はこの山門と本堂との間を東海道本線が横切っています)で、梅か桜が咲いているようです。
その昔、雪舟(1420~1506?年)もここを訪れて富士を描いたのだそうです。(原画は残ってませんが、室町時代に写された模本が「永青文庫」には現存するそうです)
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下の松林の中には、天女伝説で有名な「羽衣の松」(現在の樹齢だと650年?)があったはずで、近くにあるはずの御穂神社(「羽衣の切れ端」が安置されていると言われる)らしき施設は描かれていますので、特定は出来ませんが、その辺りのどれかなのでしょう。
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この絵では現実の絵師の視点よりも、高い位置から俯瞰した様に描かれています。更に、遠くの物でも必ずしも遠近法に従わない大きさで描かれていること、富士山の勾配(※2)が実物よりもかなり急になっていることなど、写真的な正確さよりも画としての見応えを優先した表現になっていることに気付きます。
今と違って、誰しもが気楽に観光を楽しめなかった時代でしたので、そんなデフォルメや誇張こそが江戸の画の面白さ・楽しさとして要求された遊び心だったのかも知れません。そして、富士と海とを一つの画面に納める理想的な構図(※3)が、古く万葉集の 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」 (山部赤人)にも登場する題として「日本人の心象風景」と言われるまでになったのかも知れません。








※1 ユネスコの世界遺産委員会で、2013年6月22日に富士山(三保の松原を含めて)を世界文化遺産に登録されることが決定されました。 (めでたし!されど昔の景観はすでに・・・・ )

※2 富士山頂付近の最大傾斜部を延長して出来る頂角は、実物の写真では約120度、この画の場合で約80度(室町時代の雪舟の模写の場合でも約100度)ですので、画ではかなり誇張されています。 (それが理想形に近いのか?見応えは増します)

※3 当時「田子浦」は広く清水湊より東の一帯を指していました。 (銭湯の壁画は一時期この画題ばかりだったそうですが、公衆浴場も最近はめっきり減り・・・ )
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by Ru_p | 2013-06-24 19:32 | アート・コレクション | Comments(0)

化粧する武家 (江戸の風俗)

「若衆」 龍山樵夫 筆(= 狩野養長)  08045 32x70
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一見、男装の麗人にも見えますが、元服前の武家の男子の姿の様です。色白の肌・切れ長の目・体を捩るポーズは妙に艶めかしく、ある種の「美人画」の様でもあります。

江戸時代には、男社会の封建制度のしきたりの中で、性が抑圧され、その捌け口が同性に向けられる事も多かった様で、金や権力で『男色』の相手をさせられる芝居役者の「陰間」や、大名家の小姓が、その様な存在だったようです。

これを描いた絵師は、(真筆ならば)落款から狩野養長(かのう おさなが 1814-1876)かと思われます。
養長は肥後熊本に生まれ、19歳で狩野弘信の養子としなり、まもなく狩野家八代目となったのだそうです。以後幕末までは、狩野家と因縁の深い肥後細川藩のお抱え絵師として、頻繁に江戸と熊本とを往復していた様です。
落款は、養長、元象、信象、登雲堂、凌霄花齏、龍山樵夫、など多数使っていましたが、藩主細川斉護さんの命で描いた物には落款を入れられなかったので、落款が在るのは他所からの依頼などで描いた物なのだそうです。

この画のモデルさんも、何処かのお殿様のお気に入りだったのでしょうが、 
もしも、当時そんな詮索をしていたら、首が飛ん・・・・
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by Ru_p | 2013-06-22 08:28 | アート・コレクション | Comments(0)

看病 (鳥居清経)

病床美人図 鳥居清経筆   08052  36x102
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江戸中期の風俗画ですが、十畳以上の部屋で、床に就いた可愛い顔の病人を、布団で暖め、綺麗な屏風(六曲一双分かな?)で囲って隙間風を除けながら絵で楽しませて励まし、薬湯を暖めた湯気で部屋の温度と湿度を上げ、近しい人が顔色を見ながら布団の上から手を当てる様子の様に見えますので、この時代での出来うる限りの看病の様子なのでしょう。
病人が布団の上に掛けているのはただの着物なのか、それとも「掻巻(かいまき)」と呼ばれる着物状の袖付き綿入りの寝具なのでしょうか(私は以前は愛用していましたが、現在では使う人が少なくなった様です)。枕を頭の横に当てているのは、結ってある髪を乱さない為の配慮でしょう。また、体を半ば起こしているのは、薬湯を飲むときの、誤嚥を防ぐ配慮なのでしょうか。
屏風や着物の柄が梅の花なので、まだ春でも寒い時季の様ですが、この画の病人は、熱を出したのでしょうか、顔色を見ても、病状があまり重そうには見えないので、こちらも気楽に眺めることが出来ます。

これを描いた鳥居清経は、生没年が不詳ですが、初代の鳥居清満に師事して、宝暦-安永(1751-1781年)の頃に作画活動をしていたそうです。
一枚ものの作例は非常に少ないそうなので、真筆であれば希少な画と言うことになりそうです。鈴木春信風の美人画を描く事があったらしいので、その点ではこの画はそれに近い様に感じます。こんなテーマの画だと、果たして依頼を請けて描いた物なのかどうか・・・・?
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by Ru_p | 2013-06-18 00:43 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥居清峰)

蚊遣り美人図  二代目 鳥居清満(=初代 鳥居清峰) 筆 肉筆浮世絵  31.5x78 07032
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蚊遣り(かやり)部分
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蚊の出る時季にはお馴染みのブタ型の蚊遣りですが、これが19世紀初頭(1810年頃)の江戸(吉原)では既に使われていた、と言えそうです。

除虫菊を加工した『蚊取り線香』は、明治中期以降に『金鳥』の創始者に依って考案されたのだそうですので、まだこの頃には、松の葉などをこの中で焚いて、蚊が嫌う煙を出す為の器だった様です。

蚊遣りブタのルーツに関してweb上で検索してみますと、「推定年代 19世紀前葉~中葉」として発掘された蚊遣りブタが見付かりましたが、その形は、口が小さくて、全体に大振りで、「徳利を加工した様な形」でした。ところが、上の肉筆浮世絵を見ると、口が大きくて、現代の「蚊遣りブタ」にかなり近い形です。その時代の江戸吉原の遊郭では、既にこの形が使われていたことが判ります。(果たして、この画は「蚊遣りブタ」の歴史資料として、最も古い物となるのでしょうか?)

今日使われている渦巻き状蚊取り線香(※)の様に、長時間の安定した燃焼を期待出来なかったでしょうから、寝る前には、蚊が忌避する煙を、体や衣類に焚き込んでおく必要があったのでしょう。
「蚊取り」でなく「蚊遣り」と言われていたのも、まだ、除虫菊の無かった時代の煙では殺虫効果が弱かったからかも知れません。
豚の体を連想する形になっていたのは、寝具に火が移ることを避ける為の機能性と、陶器職人の遊び心とがもたらした必然の結果だったのではないかと推測されますが、真実はどうだったのでしょうか。

上の画の落款にある「鳥居清峯」ですが、画風などから初代鳥居清峰〈1787~1869年 :二代目鳥居清満が後に改名)と思われます。
参考: ボストン美術館のwebページ中に、酷似の画像を見付けました。そちらは木版画なのですが、図中に「青楼四季之詠 岡本屋内 稲岡」とあり、1810年の制作とのことです。人物や衣服の線や構図には共通する部分が多く、上の肉筆画と同一の絵師が同一の時期に(同一のモデルを?)描いたとも判断出来そうな作品です。画の遊女部分の大きさは上の肉筆画の方が二倍程度と大きいのですが、背景のモチーフ(蚊帳など)での季節設定も同じ夏です。


湯上がりの透ける単衣の着物に団扇とはお洒落ですし、7頭身以上の長身は、当時の標準的体型の女性よりも当然誇張された美女なのでしょう。

いったいどんな経緯でこの画が描かれたのでしょうか? 夢ででも、当時の吉原にタイムスリップしてみたい
          

 



                                                                                                                                                                                                           ※蚊取線香は、まだまだ使われてはいますが、マット式~ノーマット式~プッシュ式(それぞれに含まれる「ピレスロイド系」の有効成分を空気中に蒸散させるタイプ)へと進化したため、次第に消えてしまう運命なのかも知れません。 
あれに郷愁を感じる世代としては、少し寂しい気持ちも・・・・                                                               



                                                                                              
                                                                                                              ・
                                         
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by Ru_p | 2013-06-17 00:10 | アート・コレクション | Comments(0)

原種が減少 (羽蝶蘭属)

我が家の羽蝶蘭(うちょうらん)の仲間は、今年も数鉢を残してほぼ咲きそろいました。毎年地上部が枯れ、地中の球根が分裂して殖え、また成長もする多年草で、順調に殖える時もありますが、突然全て枯れて無くなることもあり悩まされています。
「羽蝶蘭には寿命があり、長年栽培すると、ある時にその株の系統全てが枯死してしまう」と言う噂(現実には証明されてません)もあるくらい気難しい面が有り、古い品種を維持するのは難しいです。

羽蝶蘭『雷鳥』(北関東産原種):遅咲き系で、白紫点と淡桃色とに咲き分けします。
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サツマチドリ『妖精』(鹿児島県甑島産原種):花全体が丸くて小さく、優しい雰囲気の名花。
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私の長い羽蝶蘭(属)の栽培歴の中では、多くの株を枯らしてしまいましたが、上の二つの原種だけは、その初期からは約30年間維持出来ているので、特に愛着のある株です。 永く付き合うのなら、原種がオススメ!

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by Ru_p | 2013-06-14 12:38 | 東洋蘭 | Comments(6)

猿曳き (その2)

小猿と少女の図  無落款(肉筆浮世絵)  07050 27x122
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上から見下ろす可愛い小猿と、真剣そうに見上げる少女との視線のぶつかり合いに、ある種の緊張感を感じます。

髪型や服装の特徴から、江戸初~中期なのでしょうか、肉筆浮世絵としては、比較的早い時期の「美人画」だと思われます。(私感的には奥村政信の作品に似たものを感じています)

構図として上の余白は多過ぎと感じられますが、江戸絵画ではこういうバランスもしばしば見受けられます。昔は床の間に掛けて眺めたので、鑑賞者への見せ方を絵師が演出したとも考えられますし、用紙のサイズや表具の技術的な合理性の関係もあったと思います。そんな余白なので、見ていると画賛を書き込みたいという衝動も起こりそうです。

江戸時代には、猿と猿曳き(猿廻し・猿遣い)が見世物としては多かったのでしょうが、現代はあまり見かけなくなりました。古来日本では猿が馬の守護神として崇められていたそうで、昔の猿曳きは(柳田國男によれば)馬の医者をも兼ねている場合が多かったそうです。それ故に、馬が少なくなった現代では猿曳きも見なくなったのかも知れませんね。
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by Ru_p | 2013-06-11 00:41 | アート・コレクション | Comments(0)

猿曳き (その1)

猿と老人の図  円山応挙筆(「主水筆」 仲選印)  13008  51.7x110.1
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振り返りながら蝶を見上げる猿と猿曳き(猿廻し・猿遣い)老人の図です。おもしろい雰囲気の画で、絵師の人柄の穏やかさも感じられ、観ていて飽きないので気に入りました。
署名が「主水」・印章が「仲選」なので、真筆ならば、円山応挙(1733~1795;1766年以降没年までは応挙に改名)の30歳前後の作品なのでしょうか?(だとしても、今さら生き証人もいないので、誰も客観的証明は出来ません;全ての古い物の宿命です)。
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猿は蝶の動きに惹かれて振り返った瞬間らしく、跳びかかるべきかどうかの判断を下す直前の体にも力が入っていない状態の様に見えます。「あっ 蝶・・・! 」

人や猿の構図は、骨格や筋肉の仕組みをよく理解した人が構成したらしく、細部の描き込みも見事なのですが、蝶に関しては、柄などの描写(※)で幾らか曖昧さ見られます(応挙が「写生帳」等の観察記録を作ったのは30代の後半らしいので、この頃にはまだ博物観察への意識が不十分だったのでしょうか)。

虫を目で追尾させるという設定は、有名なブライスコレクションにも、これと似た構成でブライス氏のお気に入りの『猿と蜂』(森狙仙 筆)の作品があり、NHKの新日曜美術館でも紹介されていました。
その画の作者の森狙仙(1747~1821)は、応挙よりも14年後に生まれ、応挙から多くの影響を受けたそうなので、もしもこの絵が応挙の30歳頃の作品だとすれば、その頃まだ15歳前後だったはずの森狙仙が、これに影響を受けた可能性も十分に考えられ(唐絵からの影響も当然あるのですが)・・・と気持ちだけは江戸時代にタイムスリップしそうです。








※もしもマダラチョウ科だとすると、体に毒を持っているので、猿が本能的に補食をためらう反応をしたのかも知れませんが、この画から蝶を特定するのは難しそうです。


猿曳き老人の手や足の爪を見ると、小爪の色合いがとても健康的。おそらくは、若い応挙が自身の身体を観察して、それをも参考にして描いたからなのでしょう。
図らずも、応挙の自画像の一部となっていた・・? そんな見方も面白いですよね。











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by Ru_p | 2013-06-10 22:34 | アート・コレクション | Comments(0)

獅子の仏画 (道周)

獅子と??  鬼頭道周 筆  07026  42x121
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この取り合わせでの仏画の人物だと、文殊菩薩なのでしょうか?体には臂釧,腕釧などの装飾品を身につけていて衣服はぼろぼろ。、羅漢の様でもあり、、よく解りません。

獅子は、その元はライオンのことですが、日本に伝わってきた当時には、中国でも生息してなかったので、想像上の「伝説の生き物」と捉えられていたのだそうです。「唐獅子」とも呼ばれていたり、神社などの狛犬の角のない方がその古い姿を伝えているそうで、猫科には見えますが、ライオンには見えません。

この画の獅子は、みすぼらしい(羅漢風の)老人に甘える毛玉たらけの動物で、形は猫の様に見えますが、表情はアニメチックで犬の様です。獅子も人も表情が魅力的だと思いますが、「写」とあるので元画がどこかに現存しているのであれば、比べてみたいものです。

一般的な仏像では、文殊菩薩は獅子に乗って、独尊又は釈迦三尊で、年齢も稚児から大人までと幅広いのですが、この様な老齢の姿の例は知りませんので、根拠が気になっています。 

画はおそらく大正~昭和初期だろうと思うのですが、詳しい資料が無いので定かではありません。








※鬼頭道周:明治~昭和初期に活動していた画家ですが、作品は、あまり多く残ってないようです。

参考;文殊菩薩と獅子との珍しい組合せでは、下の造像例があります。
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文殊菩薩持獅立像;木彫一木造り乾漆
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文殊信仰が盛んだった中国四川省の寺から伝わった物だそうです。

















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by Ru_p | 2013-06-09 18:42 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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