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カテゴリ:アート・コレクション( 121 )

蘆雪の仔犬

長沢芦雪 筆 「仔犬の図」 絹本 14004 34x102.5
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江戸時代の人達も、こんな可愛い子犬を見れば、当然癒されたことでしょう。
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子犬の画の可愛らしさでは、師匠の応挙も得意な題材だった様で、とても有名です。
意図的にそれらに習って描く練習を重ねていたのでしょうから、全体の構図や体形等似た雰囲気になって当然なのですが、この画の表情には優しさ(芦雪らしい愛情)が表れているので好きです。



















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by Ru_p | 2014-06-03 00:07 | アート・コレクション | Comments(0)

ひょうたんなまず

瓢鮎図(ひょうねんず) 無落款 36.5×28.8 13023
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"瓢鮎図は瓢箪で鯰(ナマズ)を捕らえると言う禅の公案(修行の為の難題)をテーマにした画です(中国から伝わって来た「」の字は「ねん」と読み、《あゆ》ではなく《なまず》の意味なのだそうで、という字が日本で作られた「国字」なので、ここでは元の字の「」が使われるのだそうで、とても複雑)。


上の画とは別に、今から600年以上前の室町時代に将軍の足利義持が画僧の如拙(じょせつ)に命じて描かせたと言われる作品が最も有名で、そちらは国宝にも指定されていて、かつては京都の妙心寺塔頭(たっちゅう)の退蔵院に在りましたが、その後京都国立博物館に寄託された物で、美術の教科書にもしばしば登場するほど美術史的に大変希少な資料としての意味を持つ作品なのです。
下が参考のための、その如拙筆の瓢鮎図(75.8×111.5)
上半分の画賛の文が、当時の著名な禅僧30人による、この公案への回答に相当し、制作当時は障壁画で、下半分の図の背面に在ったのだそうです;この画賛によって、制作年代や作者を含む制作背景が明らかになるから、歴史的資料としての価値が大きい らしいのですが・・・・

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辞書による「瓢箪鯰」という言葉の意味では、《「瓢箪で鯰を押さえる」から》とらえどころのないようす。要領を得ないようす。また、そのような人。という説明を見かけました。
当然、瓢箪で鯰を捕らえさせる事など実際には不可能な難題と思われていたのでしょう。どうやってこの後鯰を捕らえようとするのか判りませんが、上の方の画の場合には、下の国宝の模写とも違い、あり得ないと思える程大きな瓢箪と鯰との組み合わせで、運ぶ人物も鯰も共に愛らしく、楽しそうに描かれていて、好きな画です。

室町時代に、如拙、周文、雪舟らの有名な画僧が幕府の庇護を受けて活躍していた後に、狩野正信が御用絵師としての座に着き、以後約400年にわたって活動し続けた狩野派の存在を考えると、この画題を扱わなかったはずがないので、上の画はそんな狩野派の誰かが残した可能性があるとも考えられますが、厳密にはいつ頃の誰の画なのかは判りません。

鯰には長い髭があるせいか、英語圏では“CATFISH”とも呼ばれ、どことなく愛嬌を感じさせるキャラクターなのですが、何か神秘的な能力を持っていそうな雰囲気も感じられます。
江戸時代中期になると、この様な瓢鮎図とは別にも鯰を描いた『鯰絵』が、地震や疫病など、人の力ではどうしようもない災難に対する民間信仰でのお守りとしての意味を持つようになり、浮世絵や大津絵での版画の出版物も含めて多数が世に出回る様になったそうです。





※鯰捕りの方法として、「コロンブスの卵」を参考に発想転換してみますと、ウナギ漁に使う筒の代わりに、瓢箪の底を割って穴を開けて水に沈め、鯰が入るのを待って引き揚げる、と言う単純な方法が思い浮かびましたが、もしもそんな方法で解決してしまったなら、600年の歴史有る難問だったはずの禅の公案がとても軽かったということにも・・・
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by Ru_p | 2014-01-03 01:34 | アート・コレクション | Comments(0)

逆鱗

驪竜の珠 菊池容齋筆  06062 35x96
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黒竜の顎の下の玉(逆鱗)は、竜が起きている時に人が触れると、激怒してその者を食い殺すと言う中国の伝説を題材にした画のようです。

暗い水底で眠る竜の喉元から首尾良く宝玉を奪い取れるのか、それとも敢えなく命を落とす事になるのか・・・
目を覚ましてしまった竜が背後から襲い掛かろうと身構えている瞬間でしょうか、夢の中にでも出てきそうなシーンです。

おそらく江戸後期の作品ですが、アニメか挿絵を見る様で、見事にストーリーが伝わってきます。
画を描いた菊池容齋(1788~1878)は、神話や伝説を題材にした作品を多く残した絵師でだそうです。
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by Ru_p | 2013-10-31 13:23 | アート・コレクション | Comments(0)

画の「引き算」 (芦雪)

野菊と岩上の雀図 長沢芦雪筆  09010  29×92.5
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小禽(特に「雀」)は芦雪が特に好んで描いた得意な題材なので、多くの作品が残されていますが、同じであってもこの画では筆数が特に省かれて描いてある様に見えます。
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細かく描くべき詳細部分が省かれているのに、驚くほど強く存在感が現われていることに気付きます。
それは、曖昧な部分を省き描かないこと(つまり「引き算」)が、結果として必要十分な個性を強調したと言うことなのかも知れません。

一説に、芦雪は片目の視力を失っていたとも言われています。とすると、細部が良く見えなくなったことで、反って対象の本質を見抜く力を得た、という事なのかも知れませんね。




滲み・かすれが上手く活かされ、雀の表情は、実に可愛らし・・・



落款印章:朱文氷形印(欠け無し)
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by Ru_p | 2013-10-06 06:00 | アート・コレクション | Comments(0)

芦雪の山水画

月下舟止図 長沢芦雪筆   13011  39x21
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おぼろな月が低く霧のかかる山の上にかかり、風も無く静かな水面に船(底が浅い、琵琶湖など用の)が三艘浮かんでいる光景の様に見えます。

月明かりで彩度の低い情景は、墨の濃淡だけで描くのに都合の良いテーマだったのでしょうが、簡潔で叙情的(寂しげ・悲しげ)な描写がとても見事です。


ところで、この月の欠け方は、日没直後の東の方角に見える形の様です。

全く勝手な想像ですが、
中秋(旧暦の8月中旬)の日没直後に琵琶湖西岸の水辺から、東側を見た光景の様です。

この雰囲気って、何か悲しい事でもあったのでしょうか?









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by Ru_p | 2013-10-03 07:14 | アート・コレクション | Comments(0)

良寛 思慕の歌

年ごとに あふと・・・(七夕)  良寛書  13014  30.5x26.5
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年ことに あふと
わすれと 七
夕の ぬる夜
の数ぞ すく
なかりけり

  沙門良寛書



「年ごとに 逢うとはすれど 七夕の 寝る夜の数ぞ 少なかりける」
という古今和歌集 秋歌上179番の歌の様です。

良寛さんが58歳(1817年)の頃、遠く江戸の地に出向いたまま、なか
なか戻れない7歳年下の維馨尼(いきょうに)さんを想って詠んだ、と思
われる歌(維馨尼さんを織り姫に見立てたと思われる七夕関連の歌の一つ
で、他にも万葉集や自作の詩が幾つか現存しているそうです)の墨跡です。

清貧であるべき僧としての体面に囚われない大胆な感情表現や堂々と署名を残す姿勢には、
裏も表も隠さずに生きようとした潔さが感じられます。

良寛さんの書を見ていて癒やさるのは、子どもが書く字の様で「あざとさ」
を感じさせないからかも知れません。
デフォルメの奔放さ伸びやかさも好きです。




1817年(文化14)の七夕だとすると、新暦では立秋の後で8月18日
の深夜の行事です。(故に季語は秋)

「ぬる」には「寝る」の他に「濡れる」の意味も含むようです。


例によって、古過ぎて真跡を厳密に立証する方法は存在しませんが・・














.

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by Ru_p | 2013-10-01 20:15 | アート・コレクション | Comments(0)

富士の晴れ姿 (文晁)

富岳三保淸曉図 谷文晁 筆  09013 88x54.5
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三保の松原の辺りから見た富士山の細密画です。寛政9年3月と書かれていますので、グレゴリオ暦に換算すると1797年4月で、春頃になります。落款は、富士を特に好んで描いた谷文晁(1763-1841)で、真筆だとは思いますが、だとしても今日では誰も客観的な立証は出来ません。

この三保の松原辺りから富士を臨む景観は、古くから多くの一流絵師たちが挑戦して、富士が最も美しく見える場所と言われて来たので、『世界遺産』として富士とセットで登録されたことにも納得出来ます。(※1)

今では全く見なくなりましたが、当時の江戸近郊の沿岸では、製塩が盛んで、この画の様に「塩田(揚浜式?)」が至る所に有ったようです。
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万が一江戸が攻められて、塩の供給が止められても、自給自足出が来るようにか、江戸の近郊でも積極的に製塩が行われていたようです(現代の日本でも、レアアース・石油・食品等に対する危機管理意識はこれを見習うべきかも知れませんね)。

また、画の左端に僅かに描かれている寺社らしき施設は、徳川家康も人質であった若い頃に修行をした、由緒のある清見寺の様(今はこの山門と本堂との間を東海道本線が横切っています)で、梅か桜が咲いているようです。
その昔、雪舟(1420~1506?年)もここを訪れて富士を描いたのだそうです。(原画は残ってませんが、室町時代に写された模本が「永青文庫」には現存するそうです)
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下の松林の中には、天女伝説で有名な「羽衣の松」(現在の樹齢だと650年?)があったはずで、近くにあるはずの御穂神社(「羽衣の切れ端」が安置されていると言われる)らしき施設は描かれていますので、特定は出来ませんが、その辺りのどれかなのでしょう。
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この絵では現実の絵師の視点よりも、高い位置から俯瞰した様に描かれています。更に、遠くの物でも必ずしも遠近法に従わない大きさで描かれていること、富士山の勾配(※2)が実物よりもかなり急になっていることなど、写真的な正確さよりも画としての見応えを優先した表現になっていることに気付きます。
今と違って、誰しもが気楽に観光を楽しめなかった時代でしたので、そんなデフォルメや誇張こそが江戸の画の面白さ・楽しさとして要求された遊び心だったのかも知れません。そして、富士と海とを一つの画面に納める理想的な構図(※3)が、古く万葉集の 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」 (山部赤人)にも登場する題として「日本人の心象風景」と言われるまでになったのかも知れません。








※1 ユネスコの世界遺産委員会で、2013年6月22日に富士山(三保の松原を含めて)を世界文化遺産に登録されることが決定されました。 (めでたし!されど昔の景観はすでに・・・・ )

※2 富士山頂付近の最大傾斜部を延長して出来る頂角は、実物の写真では約120度、この画の場合で約80度(室町時代の雪舟の模写の場合でも約100度)ですので、画ではかなり誇張されています。 (それが理想形に近いのか?見応えは増します)

※3 当時「田子浦」は広く清水湊より東の一帯を指していました。 (銭湯の壁画は一時期この画題ばかりだったそうですが、公衆浴場も最近はめっきり減り・・・ )
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by Ru_p | 2013-06-24 19:32 | アート・コレクション | Comments(0)

化粧する武家 (江戸の風俗)

「若衆」 龍山樵夫 筆(= 狩野養長)  08045 32x70
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一見、男装の麗人にも見えますが、元服前の武家の男子の姿の様です。色白の肌・切れ長の目・体を捩るポーズは妙に艶めかしく、ある種の「美人画」の様でもあります。

江戸時代には、男社会の封建制度のしきたりの中で、性が抑圧され、その捌け口が同性に向けられる事も多かった様で、金や権力で『男色』の相手をさせられる芝居役者の「陰間」や、大名家の小姓が、その様な存在だったようです。

これを描いた絵師は、(真筆ならば)落款から狩野養長(かのう おさなが 1814-1876)かと思われます。
養長は肥後熊本に生まれ、19歳で狩野弘信の養子としなり、まもなく狩野家八代目となったのだそうです。以後幕末までは、狩野家と因縁の深い肥後細川藩のお抱え絵師として、頻繁に江戸と熊本とを往復していた様です。
落款は、養長、元象、信象、登雲堂、凌霄花齏、龍山樵夫、など多数使っていましたが、藩主細川斉護さんの命で描いた物には落款を入れられなかったので、落款が在るのは他所からの依頼などで描いた物なのだそうです。

この画のモデルさんも、何処かのお殿様のお気に入りだったのでしょうが、 
もしも、当時そんな詮索をしていたら、首が飛ん・・・・



















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by Ru_p | 2013-06-22 08:28 | アート・コレクション | Comments(0)

看病 (鳥居清経)

病床美人図 鳥居清経筆   08052  36x102
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江戸中期の風俗画ですが、十畳以上の部屋で、床に就いた可愛い顔の病人を、布団で暖め、綺麗な屏風(六曲一双分かな?)で囲って隙間風を除けながら絵で楽しませて励まし、薬湯を暖めた湯気で部屋の温度と湿度を上げ、近しい人が顔色を見ながら布団の上から手を当てる様子の様に見えますので、この時代での出来うる限りの看病の様子なのでしょう。
病人が布団の上に掛けているのはただの着物なのか、それとも「掻巻(かいまき)」と呼ばれる着物状の袖付き綿入りの寝具なのでしょうか(私は以前は愛用していましたが、現在では使う人が少なくなった様です)。枕を頭の横に当てているのは、結ってある髪を乱さない為の配慮でしょう。また、体を半ば起こしているのは、薬湯を飲むときの、誤嚥を防ぐ配慮なのでしょうか。
屏風や着物の柄が梅の花なので、まだ春でも寒い時季の様ですが、この画の病人は、熱を出したのでしょうか、顔色を見ても、病状があまり重そうには見えないので、こちらも気楽に眺めることが出来ます。

これを描いた鳥居清経は、生没年が不詳ですが、初代の鳥居清満に師事して、宝暦-安永(1751-1781年)の頃に作画活動をしていたそうです。
一枚ものの作例は非常に少ないそうなので、真筆であれば希少な画と言うことになりそうです。鈴木春信風の美人画を描く事があったらしいので、その点ではこの画はそれに近い様に感じます。こんなテーマの画だと、果たして依頼を請けて描いた物なのかどうか・・・・?
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by Ru_p | 2013-06-18 00:43 | アート・コレクション | Comments(0)

夏の風物詩 (鳥居清峰)

蚊遣り美人図  二代目 鳥居清満(=初代 鳥居清峰) 筆 肉筆浮世絵  31.5x78 07032
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蚊遣り(かやり)部分
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蚊の出る時季にはお馴染みのブタ型の蚊遣りですが、これが19世紀初頭(1810年頃)の江戸(吉原)では既に使われていた、と言えそうです。

除虫菊を加工した『蚊取り線香』は、明治中期以降に『金鳥』の創始者に依って考案されたのだそうですので、まだこの頃には、松の葉などをこの中で焚いて、蚊が嫌う煙を出す為の器だった様です。

蚊遣りブタのルーツに関してweb上で検索してみますと、「推定年代 19世紀前葉~中葉」として発掘された蚊遣りブタが見付かりましたが、その形は、口が小さくて、全体に大振りで、「徳利を加工した様な形」でした。ところが、上の肉筆浮世絵を見ると、口が大きくて、現代の「蚊遣りブタ」にかなり近い形です。その時代の江戸吉原の遊郭では、既にこの形が使われていたことが判ります。(果たして、この画は「蚊遣りブタ」の歴史資料として、最も古い物となるのでしょうか?)

今日使われている渦巻き状蚊取り線香(※)の様に、長時間の安定した燃焼を期待出来なかったでしょうから、寝る前には、蚊が忌避する煙を、体や衣類に焚き込んでおく必要があったのでしょう。
「蚊取り」でなく「蚊遣り」と言われていたのも、まだ、除虫菊の無かった時代の煙では殺虫効果が弱かったからかも知れません。
豚の体を連想する形になっていたのは、寝具に火が移ることを避ける為の機能性と、陶器職人の遊び心とがもたらした必然の結果だったのではないかと推測されますが、真実はどうだったのでしょうか。

上の画の落款にある「鳥居清峯」ですが、画風などから初代鳥居清峰〈1787~1869年 :二代目鳥居清満が後に改名)と思われます。
参考: ボストン美術館のwebページ中に、酷似の画像を見付けました。そちらは木版画なのですが、図中に「青楼四季之詠 岡本屋内 稲岡」とあり、1810年の制作とのことです。人物や衣服の線や構図には共通する部分が多く、上の肉筆画と同一の絵師が同一の時期に(同一のモデルを?)描いたとも判断出来そうな作品です。画の遊女部分の大きさは上の肉筆画の方が二倍程度と大きいのですが、背景のモチーフ(蚊帳など)での季節設定も同じ夏です。


湯上がりの透ける単衣の着物に団扇とはお洒落ですし、7頭身以上の長身は、当時の標準的体型の女性よりも当然誇張された美女なのでしょう。

いったいどんな経緯でこの画が描かれたのでしょうか? 夢ででも、当時の吉原にタイムスリップしてみたい
          

 



                                                                                                                                                                                                           ※蚊取線香は、まだまだ使われてはいますが、マット式~ノーマット式~プッシュ式(それぞれに含まれる「ピレスロイド系」の有効成分を空気中に蒸散させるタイプ)へと進化したため、次第に消えてしまう運命なのかも知れません。 
あれに郷愁を感じる世代としては、少し寂しい気持ちも・・・・                                                               



                                                                                              
                                                                                                              ・
                                         
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by Ru_p | 2013-06-17 00:10 | アート・コレクション | Comments(0)


妄想猫の起末具連記


by Ru_p

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