御神木だった「首尾の松」
鳥文齋栄之筆 「首尾の松」(絹本肉筆浮世絵/太田蜀山人画賛) 15005 29x83
紅い楓と、東の空に浮かぶ月、群れで飛ぶ雁とを併せて、静かに暮れるもの寂しい秋の情景を演出している様に見えます。(この月ですと、ほぼ満月で雲が少し掛かった状況かと思われます)
画賛には
「夕汐に 月の桂の 棹さして さてよい首尾の 松をみるかな」
とありますので、これは「首尾の松」と呼ばれて浅草の新吉原にもほど近い江戸名所の画だった様です。(画賛にある「月の桂」は、中国の古い伝説からの引用で、月の影又は月の光を表した言葉と思われます~「桂」と「松」との対比も狙って・・)
画の作者は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし/本名:細田時富/1756~1829年)という旗本出身の絵師(人気の浮世絵師)の様です。
上の画賛を書き加えたのは、御家人でありながら狂歌師でもあり、非常に多くの書画に画賛を書き加えて残した人として有名な蜀山人(本名:大田 南畝/1749~1823年の別号)の様で、栄之とは交友が深かった様です。
蜀山人が、文化5年(西暦1808年)頃、「首尾の松に月出て舟ある画」にこれとほほ同じ文の画賛を書いたという記録(出典:千紅万紫)が残されていますので、それがこの画の事である可能性が高そうです。
西暦1808年の少し前(※)に描かれたことになれば、葛飾北斎が狂歌絵本「絵本隅田川両岸一覧」の中で描いている「首尾松の鉤船」の図が、ほぼ同じ頃の同じ場所の風景の様です。また、広重の「名所江戸百景」の木版画は、それよりも約50年後の同じ場所の風景という事になりそうです。
ここの主役となる松は「御蔵神木首尾の松」とも呼ばれていたそうですので、画面左下に見える小さな屋根が、その神木を祀った祠の様です。
首尾の松は、安永年間の強風災害のために、倒れてしまい、その後幾度も手当が試みられたそうです。画をよく見ると、確かに傾き過ぎて懸崖で川に跳ね出している様に見えますので、その話とも一致しています。
支柱の内で古くて朽ちたような何本かは短く描かれていますので、霊験が有ると信じられていたこの松は、災害の後も長い間人々に大切に守られ続けていたのだと思われます。
安永9年8月25日(西暦1779年10月4日)、日本各地に疲害をもたらした台風が、この辺も通った様で、神田川も氾濫・浸水したという記録が残っているそうです。
当時の松は、残念ながら江戸末期の安政年間(1854~1859)には枯れてしまっていたそうで、現在見られる松は後継の何代目かになる別物なのだそうです。
ここの場所は、現在の住居表示では台東区蔵前1丁目の隅田川西岸付近に当たり、上部に蔵前橋が掛かっていますが、江戸時代末期の「江戸切絵図」と見比べると、当時幕府の米倉庫「御蔵」があり、そこに隅田川から運搬舟を引き込む為の堀が8本あり、その4~5番目の間の突堤の先に、この松が位置していた様です。
ちなみに、川の対岸右側に見える施設は、その当時は、丹後宮津藩の下屋敷(現在は旧安田庭園:藩主は松平姓を与えられて名乗りましたが、元は本条氏で、地名の『本所』の語源なのだそうです)の辺りですので、その一部かとも思われます(そこの右には、『本所の七不思議』の「椎の木屋敷」とも呼ばれた名所の肥前国平戸藩松浦家下屋敷もあった様です)。
当時ここの少し上流には「御蔵(おくら)の渡し」とも呼ばれた渡し場もあり、舟で新吉原(この川の上流で画面左側方向に約2キロ)へ向かう客達の多くがここを通って目印としていたので、蜀山人の画賛にも有る様に、その夜の好い首尾の結末を見ることをこの御神木に掛けて祈願していたことでしょう。
松の向こうの川面に浮かぶ猪牙舟(ちょきぶね)にはそんな客達が乗っていたのかも知れませんね。
ということは、これって「神仏画」でもあり・・??
祠の屋根の上の千木(ちぎ;神社建築の屋根のにある部材)の先端部分を拡大すると、何となく「内削ぎ」と呼ばれる水平の切断形に描かれている様に見えます。
そうだとすると、ここの祠は「女神」を祀ったものになりそうです。(男神の祠の屋根にある千木は、先端の切断面が垂直の向き)
果たして、吉原での「好い首尾」を祈願するのに、女性の神様の方がご利益があったということなのでしょうか?
まさか、そんな身勝手な願い事が重荷になって、枯れてしまった・・・?
※栄之は寛政12年(1800年)に、御物に収められた作品の中で、「隅田川図巻」として、この首尾の松をも含めた風景画を描いていたそうで、それが栄之の同類作の中では最も初期の作品と考えられているそうです。(出光コレクション「肉筆浮世絵」解説文より)。その説に依れば、上の画の制作時期は、1801~(1808)年の制作だった様です。
ちなみに、上の画とほぼ同じ構図構成の画は「バーク・コレクション」にもあり、同じく蜀山人の画賛が書かれていますが、微妙に風情が異なるのが面白いです。
ところで、それ等を描くために使った下絵の制作年代(すなわち、この画の情景が実際に見られた時期)は何時だったのでしょうね?。
長い歴史を持つ松なので、同じテーマの画は他の浮世絵作者にも多いのですが、それぞれの制作年代の違いによって、松の表情や背景の様子が微妙に違っていますので。
紅い楓と、東の空に浮かぶ月、群れで飛ぶ雁とを併せて、静かに暮れるもの寂しい秋の情景を演出している様に見えます。(この月ですと、ほぼ満月で雲が少し掛かった状況かと思われます)
画賛には
「夕汐に 月の桂の 棹さして さてよい首尾の 松をみるかな」
とありますので、これは「首尾の松」と呼ばれて浅草の新吉原にもほど近い江戸名所の画だった様です。(画賛にある「月の桂」は、中国の古い伝説からの引用で、月の影又は月の光を表した言葉と思われます~「桂」と「松」との対比も狙って・・)
画の作者は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし/本名:細田時富/1756~1829年)という旗本出身の絵師(人気の浮世絵師)の様です。
上の画賛を書き加えたのは、御家人でありながら狂歌師でもあり、非常に多くの書画に画賛を書き加えて残した人として有名な蜀山人(本名:大田 南畝/1749~1823年の別号)の様で、栄之とは交友が深かった様です。
蜀山人が、文化5年(西暦1808年)頃、「首尾の松に月出て舟ある画」にこれとほほ同じ文の画賛を書いたという記録(出典:千紅万紫)が残されていますので、それがこの画の事である可能性が高そうです。
西暦1808年の少し前(※)に描かれたことになれば、葛飾北斎が狂歌絵本「絵本隅田川両岸一覧」の中で描いている「首尾松の鉤船」の図が、ほぼ同じ頃の同じ場所の風景の様です。また、広重の「名所江戸百景」の木版画は、それよりも約50年後の同じ場所の風景という事になりそうです。
ここの主役となる松は「御蔵神木首尾の松」とも呼ばれていたそうですので、画面左下に見える小さな屋根が、その神木を祀った祠の様です。
首尾の松は、安永年間の強風災害のために、倒れてしまい、その後幾度も手当が試みられたそうです。画をよく見ると、確かに傾き過ぎて懸崖で川に跳ね出している様に見えますので、その話とも一致しています。
支柱の内で古くて朽ちたような何本かは短く描かれていますので、霊験が有ると信じられていたこの松は、災害の後も長い間人々に大切に守られ続けていたのだと思われます。
安永9年8月25日(西暦1779年10月4日)、日本各地に疲害をもたらした台風が、この辺も通った様で、神田川も氾濫・浸水したという記録が残っているそうです。
当時の松は、残念ながら江戸末期の安政年間(1854~1859)には枯れてしまっていたそうで、現在見られる松は後継の何代目かになる別物なのだそうです。
ここの場所は、現在の住居表示では台東区蔵前1丁目の隅田川西岸付近に当たり、上部に蔵前橋が掛かっていますが、江戸時代末期の「江戸切絵図」と見比べると、当時幕府の米倉庫「御蔵」があり、そこに隅田川から運搬舟を引き込む為の堀が8本あり、その4~5番目の間の突堤の先に、この松が位置していた様です。
ちなみに、川の対岸右側に見える施設は、その当時は、丹後宮津藩の下屋敷(現在は旧安田庭園:藩主は松平姓を与えられて名乗りましたが、元は本条氏で、地名の『本所』の語源なのだそうです)の辺りですので、その一部かとも思われます(そこの右には、『本所の七不思議』の「椎の木屋敷」とも呼ばれた名所の肥前国平戸藩松浦家下屋敷もあった様です)。
当時ここの少し上流には「御蔵(おくら)の渡し」とも呼ばれた渡し場もあり、舟で新吉原(この川の上流で画面左側方向に約2キロ)へ向かう客達の多くがここを通って目印としていたので、蜀山人の画賛にも有る様に、その夜の好い首尾の結末を見ることをこの御神木に掛けて祈願していたことでしょう。
松の向こうの川面に浮かぶ猪牙舟(ちょきぶね)にはそんな客達が乗っていたのかも知れませんね。
ということは、これって「神仏画」でもあり・・??
祠の屋根の上の千木(ちぎ;神社建築の屋根のにある部材)の先端部分を拡大すると、何となく「内削ぎ」と呼ばれる水平の切断形に描かれている様に見えます。
そうだとすると、ここの祠は「女神」を祀ったものになりそうです。(男神の祠の屋根にある千木は、先端の切断面が垂直の向き)
まさか、そんな身勝手な願い事が重荷になって、枯れてしまった・・・?
※栄之は寛政12年(1800年)に、御物に収められた作品の中で、「隅田川図巻」として、この首尾の松をも含めた風景画を描いていたそうで、それが栄之の同類作の中では最も初期の作品と考えられているそうです。(出光コレクション「肉筆浮世絵」解説文より)。その説に依れば、上の画の制作時期は、1801~(1808)年の制作だった様です。
ちなみに、上の画とほぼ同じ構図構成の画は「バーク・コレクション」にもあり、同じく蜀山人の画賛が書かれていますが、微妙に風情が異なるのが面白いです。
ところで、それ等を描くために使った下絵の制作年代(すなわち、この画の情景が実際に見られた時期)は何時だったのでしょうね?。
長い歴史を持つ松なので、同じテーマの画は他の浮世絵作者にも多いのですが、それぞれの制作年代の違いによって、松の表情や背景の様子が微妙に違っていますので。
by Ru_p
| 2015-08-18 22:45
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by Ru_p
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